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味覚というその人の歴史のこと

祖母が他界したことをここnoteでも既に数回書いた。

語るほどおばあちゃん子でもないし、祖母孝行な孫でもなかったし、いろんな事情が重なって、近年では会うのも一年に一度あるかないか、くらいになっていた。

葬儀も滞りなく執り行われ、見送ることも、骨を拾うこともできた。

そしてつい先日、この祖母の得意料理だったという「アジの南蛮漬け」を作りながら、少しだけ祖母を想った。

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これは我が実家では定番の料理。
私の母親は嫁いでから酢関係の料理を教わったのだと言う。
19歳と言う私からすると考えられない年で嫁いだ彼女。料理もほとんどできなかっただろう。
父親の母、つまり先日逝った祖母は料理が得意な人だった。
いろんな得意料理があったけれど、母親はこの祖母から教わったのだろう、酢の物は食卓でよく見かける定番料理の1つ。そして、酢の物大好きな父親の味覚に合わせて、酢の物の酢加減は結構きつめ。それを父親はいつも、最後まで残らず飲み干していた。

その勢いで結婚当初旦那くんに作ってあげると「酸っぱい!!」と顔をしかめられたことを思い出す。今私が作る酢の物は、実家の味よりも砂糖多めに仕上げている。

そしてもう1つの定番酢料理が写真の「アジの南蛮漬け」。これは旦那くんも好きなので、私も家で作るようになった。
祖母から母へ、そして母から私へ。

ただ、先日作ったときに「何か違うな」と思っていたら、アジを揚げるときに片栗粉をまぶしてしまっていた。わざわざそうしようとしたのではなくて「何となく」そうしたら、アジの扱いが本家の「素揚げ」よりも楽だったので私の中で勝手にレシピ修正。
そして他の具材はゴボウだけなのだけれど、玉ねぎも入れたら美味しいかな、とこちらも勝手に追加。

作りながら「これおばあちゃんに見せたら"これはうちのアジの南蛮漬けじゃない"とか怒られちゃうかなぁ」と考えた。

ただ、料理と言うものは長い歴史の中で「この方法がいい」「こうした方が美味しい」などと改良や工夫は常にされているもので、家庭料理にもそれがあっていいのだろうなと解釈した。

パートナーの好みに合わせ、自分の経験も含めて、その人なりの考えでアップデートされていき、時代や人に合わせながら生き残っていく。

私の酢の物は旦那くんの好みに合わせて、私のこれまでの経験を生かして、既に実家の味とは離れている。アジの南蛮漬けもそうだ。

今ではレシピがネットで簡単に手に入れられるから「おふくろの味」などと言うものは古いのかも知れない。人によっては無駄と思えるのかも知れない。

ただこういった味の変遷を思うとき、料理が"いにしえ"からこれまで、何人もの手と舌を介して、右往左往しながら生き抜いていく姿を想像すると、ちょっと面白い。

ミシュランとか食べログとか色々あるけれど、絶対的な美味しさ、などと言うものはなくて、人の舌はその人の歩んできた歴史そのものだなと思う。

また新鮮なアジが手に入ったら「アジの南蛮漬け、私バージョン」作ろうと思う。そのうち何度かは祖母を思い出しながら。

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