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旅(もしくは人生)とカメラ(後編)

写真は、カメラを持って自分が出掛けない限り、撮影できない。
そして、被写体の前に立たないと撮れない。

旅も同じだ。
自分が出掛けようと思わない限り、旅には出られない。

撮影することと、旅に出ることは、非常に相似した関係にある。
旅に出て写真を撮るのも、写真を撮るために旅に出ようとするのも、そのきっかけは異なれど、行為はほぼ同じだ。

いつもと違う場所にいること。
昨日と違う場所に行くこと。
その繰り返しの中で、出会いと瞬間を凍結させるようにシャッターを切り続けること。
…日々何かを求め続けていたい。
それが可能である限り。

先達は居る。
山頭火や芭蕉が放浪を続けたように。
その他に、きっと見知らぬ人々が旅に出て、何かを遺してきた。
私もその、見知らぬ旅人の一人だろう。

砂場で、砂山に穴を穿ち続けた幼児は、長じて尚、時の壁に印(しるし)を遺そうとしている。
それにどのような理由があるかということを問う必要はない。
児戯であれなんであれ、それはきっと生まれた時から始まっていたことだ。
そしてきっと死ぬまで、私の旅は終わらない。




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