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谷村新司さんの事

今年も様々な方の訃報が続きました。
その中でも一番ショックだったのは、アリスの「谷村新司さん」だったでしょうか。

「アリス」については、私の中では「大ヒットメーカー」というイメージしかありません。
中二の頃、級友とホウキ片手に教室内で「チャンピオン」をシャウトしていました。
時はニューミュージック、そしてバンドの趨勢が起き始めた頃です。

当時はフォークやニューミュージック系の方々が「テレビに出演る?出演ない?」とヤっていた頃のこと。
しかし、曲の中身が政治的なモノから恋愛調にシフトしていく事で、彼等はお茶の間の市民権を得るに至って、段々と露出は増えていきました。

中学生の目から見たチンペイさんや堀内さんは、正直とても大人に見えました。
失礼ですが…実年齢よりもww。
しかし…カッコいいオジサン達であり、何よりも歌謡曲には無かった何処か「泥臭いロック」なテイストは、中二の男の子の「漢への憧憬」を目覚めさせたのでしたww。

やがてアリスは解散し、谷村さんは詞曲の提供と個人での歌唱を始め、歌謡曲界にも切り込んで行きます。
独自の世界観は並び立つ者が無く、孤高と言えるような活動を続けて来ました。

私自身は中学卒業後、パッとしない高校生活を送り、高校卒業後に就職した会社で、現実と理想のギャップに苦しんだ末に大病をし、大きな挫折を味わっていました。
漸く症状がやや軽減し、違う仕事に就きましたが…挫折感は大きく、それは仕事にも影響を与えていました。

苦しさの中、カーラジオから聞こえて来たのが「陽はまた昇る」でした。

…冬の乾いた埃飛ぶ平地を走っていたとき、この曲が流れてきたのです。
まさに空は晴天で、しかし暖かさなど皆無な非情な冷たさの寒風が吹き荒ぶ平地。
遠くに風に流された煙突からの煙が見え…曲の世界との合致に驚きながら、私は車を停め、暫しじっとしていました。

「生きることは、燃えながら暮らすこと」

…そうだ。
どのような生であれ、死という瞬間が訪れるまでは、燃えるように生きよう。
心の火だけは消すな…例え命を病魔に喰われようとも…。
その時にそう決めたから、私はまだ元気でいられているのだと思います。

…谷村さんは病状が悪化してから、他の人にはあまり連絡を取らなかったようです。
仲間である堀内さんや矢沢さんにも、戦友である「さだまさしさん」にも、病状を伝えなかった。

この事が今も気になっています。
心配をかけたくないから、という優しさだけでは無かったと思うのです。

もし、報道通りの腸炎の悪化だと言うなら、その闘病は長く苦しいものになります。
軽く見る筋の人もいると思いますが…腸という臓器は長くて細いことが特徴で、その中で栄養分と水分を吸収する大本ですから、絶えず動き続けています。
動き続けると言うことは、一度壊れると治りづらいということです。

治しづらく、かつ、治りづらいというのが、腸の病気の特徴なのです。
当然悪化すれば、見た人が呆気にとられるほどに見かけは激変します。
見かけだけではなく、症状も苛烈で、根本的に抑える方法が少ない。

末期になれば痛みをとるのが精一杯になるでしょう。
ダンディズムを貫き、突っ張り通してきた人であるならば、その姿を見せる事を頑なに拒むかも知れません。

私と比較になるわけじゃ無いですが…もし私なら「最後は一人にして!」と言うと思うのです。
最後くらいは、弱々しい一人の人間としての時間を過ごしたいと。
生きている間に、多数の人を励ましてきたのですから…。

巨星墜つ、と言いますが、谷村さんには違う比喩を使いたいです。
「流星燃ゆ」と。

…谷村さん、そちらはもう静かですか?。



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