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元旦の日に

「明けましておめでとう」とは、簡単に言えない状態で迎えた元旦。

能登地方を中心とした大地震は、ニュースやSNSで状況が伝わっては来るけど、詳細はまだまだ不明。

石川県には親戚がいる関係で昔からよく行ったけれど、震度7という地震に見舞われたというのは聞いたことがない。
新潟中越地震の時には震災後に出かけたけれど、高速道路が波打っていたりして、その凄さに驚かされたものだった。

災害によって、過去訪れた場所が大きく変わってしまう時がある。
宮城県の女川町がそうだった。
多数の方が津波被害で亡くなられた場所だが、事前にニュース等で頭では理解っていたはずだったが、実際に行ってみると、その変貌は想像以上だった。
地震発生から一年半が過ぎていたのに。

高台に造られていた仮設住宅。
被害者の遺品を並べてあった施設。
雨天で肌寒さを感じる秋の東北で、全身濡れそぼりながら海岸を歩き、港内をゆっくりと動きながら作業する浚渫船と、海沿いをまるで数珠のように繰り返し走り流れるトラックの光景をボンヤリと見ていた。

辺りには石油の臭いが漂っていて、それが海風の匂いと混じり有って、更に意識を不確定なものにしていた。
足取りがすごく重くて、砂浜にしゃがみ込んだ。
砂は妙に黒くなっていて、どこか不自然な感じがした。

…砂浜など、昔あっただろうか?。
記憶にあるのは、小さいけれど清潔そうな町が、山に向かって延びている風景。
港には連絡船や漁船が白く浮かんでいて、長閑な海に面した町の姿しか思い出せない。

輪島市や七尾湾にも行ったことがある。
金沢には何度行ったか…子供時分の頃からで、回数も数えきれない。

被害が出来るだけ小さいものである事を祈る。
女川を訪れたときに感じた喪失感のようなものを、また味わいたいとは思えない。

1998年8月 女川町



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