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新宿/歌舞伎町ルポ〜大人が大人じゃなくなった日に子どもは子どもを辞めることができない〜

わたし達ちゃんと大人やれてるだろうか?

冒頭

子供は他者に期待する生き物である。
期待の対象は多くの場合は親だし、親は無償の愛をもって期待に応えるのがその努めであると思う。

期待し、満たされることで子どもが子どもとして成立し、無償の愛によって与える、与えられることの尊さを、また人生のロールモデルとして生きることの希望を本能レベルでインプットされる。 
その輪が広がることで、人類はなんとかやってきた。

ただその家族という繋がりが希望ではなく呪縛になってしまったとき、期待が失望に変わったとき、子どもたちは「子供」を努めることができるのであろうか? 

本題の歌舞伎町卍會ルポの前に周辺を取り巻く要素を時代を追って、課題抽出という形で冒頭に置かせていただきたい。

家族システムの崩壊の歴史

家族システムっていつから崩壊したんだろうか?
サザエさんもしくはちびまるこちゃんよろしく、テレビで同じ番組を見て 同じ話題を同じ食卓を囲み話す。 

家には二世帯、三世帯が入り乱れ「母という役割の人」「父という役割の人」「敬うべき先人」で構成されている。

昭和のテンプレート家族システムはこうだ

平成前夜、家族はもう一つミクロ化し「核家族」というシステムを作り上げる。 

平成前夜〜ミクロ化した家族とヤンキー醸成期〜

1980〜1990年ころ バブルの絶頂と崩壊の激動の時代
核家族という最小単位の家族の中で、前述の親への期待に失望した子供達はまだ家に、学校にいながらも「戦うべき明確な敵」を見出し、不良やツッパリと呼ばれる「身近な体制」に対する反抗をする。
まだ、期待→失望を経験しても、「何かを自分達で変えれる」というエネルギーを外部に向けて発散できる環境が整っていたからだ。
ヤンキーの出現である。
 この頃はまだ、親子の失望の矛先として体制や社会へのエネルギーを向けるべき、裏を返せば外部に期待を寄せれる社会や環境があったからこそ学校にとどまり反抗することで期待をする子ども足りえたとわたしは考える。

平成突入と呪い 母パッケージからの解放と認めてくれない父

では、平成突入、平成初期はどうだろう?
以前書いたnoteで渋谷のギャングの話を聞き日常回帰と中流家庭であるコンプレックスについて書いた。
(詳しくはこちらの、「平成初期の呪い」を一読してほしい)

全てを無かったことにしようという世界と、ファンタジーを終わらせた1995年 大震災と地下鉄サリン事件
大人はこれから来る「世界の終わり」への絶望から自らのサバイブに必死で、なおかつ平凡な日常への回帰を下の世代に強制することで、失敗の歴史を反省しようとしていた。
この頃大きく変化したのは、「お母さんだって人間なのよ」という叫びと家に居ない、認めてくれない父親だ。

もうとっくに期待することすらしなくなった世代 それが平成初期チルドレンだと考える。 

そんな平成初期チルドレンには明確な敵は存在せず、見えない敵と戦うことを許されない雰囲気の中帰る場所を失くしていく。
しかし、どの時代も大人に触られない聖域を作りだせるもので、ネットカルチャーが急速に発展しだすのだ。 

奪われた子供時代

平成初期チルドレンは子どもであることを許されず、虚像の大人像を模索していくことになる。 
母を辞めたい悲痛な叫びも、認めてくれない父も、子どもであるべき期間に子どもであることを奪い去ったともいえる。 
大人ならざるを得ない環境下で社会に放流された平成初期チルドレンは自らの子ども時代を奪われたことを突きつけられていくのである。 
そして、フィジカルに反抗するよりもSNS上での承認のほうが心地よく、コミュニティはクローズドになっていく。 

大人にならざるを得なかった彼らと現代子どもの君達

「家出したいんですけどトー横行ったら助けてもらえますか?」

これはLINEのオープンチャットと言われる匿名でチャットできるサービスである。 

わたしが歌舞伎町界隈をレポートしだしたころ情報収集の為に入ったオープンチャットに一件の質問が流れた。
14才だという少女(?)は親が帰ってこず、家に居ても「もしかしたらあり得た理想の未来」を想像して辛くなるだけなので家を出たいとのこと。 
どうしたら救われるかなんてこの年齢では想像もつかないだろう。 
救いを求めて話題の「トー横界隈」にたどり着いたのだろう。

平成初期チルドレンが親になる時代だ 奪われた子ども時代を過ごして親になった今、自分の子どもに何を与えるのだろうか? 

冒頭が果てしなく長くなってしまったがそんな子どもたちを拒否するでもなくすんなりと受け入れてしまう街、新宿歌舞伎町 そこで活動する母性であり父性 「奪うもの」の間に立ち「与える」人が活動していると耳にし足を運んでみた。

今回のロケ地、新宿/歌舞伎町

ゴールデンウィークの喧騒
数日続いた雨と晴れきらない気温に、足元から込み上げる湿度の高い悪臭 誰よりも誰かの目に留まろうと夜をかき消すネオン

帰る場所は地獄で、やっと出てきた先では大人達の搾取
少し歩けば虚構にBETし続ける特殊な街新宿歌舞伎町

2019年あたりから、若年層(14歳〜)が出入りし溜まっているのを取り上げられ、社会問題とまで報道されている。 いわゆる#トー横界隈である。 

そこに居場所を見出した子達に大人に奪われないためのコミュニティを提供している団体がいる。
歌舞伎町卍會だ

歌舞伎町卍會の活動とルール

トー横界隈とは? 新宿という街とは? は次回の動画とnoteでプロファイルを説明したいので割愛する。
今回は取材に協力いただいた歌舞伎町卍會の存在と活動について紹介したい。 

歌舞伎町卍會の活動は大きく三点

  1. シネシティ広場の清掃活動
    「昔のトー横はゴミの山」と語るハウルさん、今は定期的な清掃をすることで、街へのボランティア活動と自分達の居場所を守る責任として清掃活動をしている。

  2. 集会に来た人たちへの炊き出し活動
    いつも暖かいご飯を集る人たちに提供している。
    コロナ流行初期に感染し「このまま未知のウイルスに感染して何も成さずに終わるのか」と語るハウルさんは自身の原体験から、行き場のない子たちに「ご飯」というツールで他者に与えることの尊さを伝えている。

  3. 周辺トラブルの仲裁活動
    「行くも地獄帰るも地獄」にならないよう、未成年への搾取やトラブルの仲裁に入っている。

総会長ハウルというひとりの大人

どんな人でも受け入れる度量をもった街歌舞伎町には、本当にいろんな人が集まっている。 
その懐の深さ故に、トラブルや事件が日常茶飯事で昨今ではその表面だけをトリミングして取り上げられてしまう。

その中でも歌舞伎町卍會に対しても同じようにネガティブな側面がくっついている団体だと勘違いしている人も沢山居ると思う。 

実際には、「奪われた」子どもに「与える」 そして、その未来への可能性を誰よりも信じている立派な大人だった!

表題の大人がおとなをやらなくなった時代に誰よりも大人をやっている彼に大きく共感し、わたしもまた大人たることの責任と自省するきっかけとなったのでした。 

ハウルさんのTwitterはこちら 


そんなハウルさんのインタビューはこちら!

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