天塩にかけて、雑草を育ててみた

 私が大切にしている物、それは鉢植えの植物だ。ヒメツルソバといって、春から秋にかけて小さな球のようなピンクの花をたくさんつける。
 このヒメツルソバ、とてもかわいらしいとはいえ、間違ってもお店に並ぶ類の花ではない。咲いているのは家の庭や、石垣の隙間や、下水道の網の下。つまり紛れもなく雑草だ。それをなぜ私が後生大事に鉢に植え、今も毎朝水をやっているのか。
 話は2020年の5月にさかのぼる。コロナ禍が始まったばかりで、社会活動のすべてがストップしていた。車でおそるおそるマクドナルドに行き、テイクアウトの品をひっつかんで家にとんぼ返りしていた頃だ。
 私はその直前の3月に大学を卒業し、就職する予定もなかった。だから他の多くの人たちのように突然日常生活がばっさりと切られてしまうような感覚を味わってはいない。それでも、特にこれといった目的もなく、これからどうなるかもわからないまま、お家時間を過ごしていたことはたしかだ。
 そんなときに思いついたささやかな遊び。それが、庭に生えている雑草を鉢に植え替えて育ててみることだった。ふだん見向きもされない、唯一注目を浴びるのが草むしりのときというかわいそうな植物。それを毎日丁寧に世話したらどうなるのか試してみよう。
 そしてそれは、私の小さなかけでもあった。1本の草を育てることに喜びを見出せるかどうかで、「自然が好き」という自分の気持が本物かどうかを知りたかったのだ。
 その頃私は、将来はネイチャーガイドになろうと思っていた。子どもの頃から自然公園に入りびたり、ネイチャーガイドのおじさんたちに遊んでもらっていたから、この仕事に憧れがあった。大学では環境教育を専攻し、留学したコスタリカでもエコツーリズムを学んだ。何より森や川にいるととても心が満たされる。人と話すこと、人に何かを教えることも好きなので、ネイチャーガイドは自分にぴったりの職業だと思った。
 そのために、山梨県のキープ協会や岐阜県の森林文化アカデミーなど、ネイチャーガイドを養成しているところに見学にいった。そこで出会った人たちと一緒に、子ども向けの自然観察イベントをオンラインで開いたこともある。訪れた場所はどこも美しく、出会った人たちはみんな優しかった。
 にもかかわらず、なんだかずっと苦しかった。体に合わない椅子に長いこと坐っているみたいに消耗した。
 ネイチャーガイドを目指す根本的なモチベーションだったはずの「自然が好き」という自分の気持がぐらついてきたからだ。
 自分の中途半端さに気づいてしまったのだ。現役のネイチャーガイドさんたちは、皆自然への愛がものすごい。暇さえあれば、日本各地、世界各地の山や川や海の話をしている。それでも、知識や経験の量が違うのは当たり前として、自分が本当にそれが好きなら、食いついてあれこれ吸収するだろう。ところが私は、「ここまでにはなれない」とその熱量にたじろぐばかり。そんな自分自身を俯瞰で見て、「もしかして自分はそもそも自然が好きじゃないんじゃないか?」と思ってしまったのだ。
 そう思ったら、本当に自然を楽しめなくなってきた。近所の山に行って鳥の声を聴いても、朝早く海に行ってヤドカリやアメフラシを探しても、楽しくないどころか気が重くなってしまう。
 だから、ヒメツルソバを育てることで、自分が本当に自然が好きなのかどうか確かめたかった。
 結果、自分で育てた野の花はかわいさもひとしおだった。毎日せっせと水をやり、日当りを調節し、肥料を与え、土の通気を良くするために卵の殻を砕いて混ぜた。「もともと雑草なんだからそんなことしなくても育つよ」と家族に笑われた。小さくて柔らかい新芽がみるみる枝分かれして葉を広げ、初めてぽつんと玉のような花を付けたときのうれしさといったらなかった。
 そうしてすっかり愛着がわいてしまい、大阪に引っ越すときも鉢を持ってきた。育て始めて2年、ヒメツルソバは今も定期的に花を付けている。  
 今、私はネイチャーガイドとは全く関係のない仕事をしている。ネイチャーガイドさんたちとのつながりも特にない。でも、人と熱量を比べることなく、自然を純粋に楽しむことを思い出せた。マンションのすぐ横に公園があるので、朝早くベンチに坐って鳥の声に耳を傾けたり、秋にはクヌギの木に通って、ドングリが日増しに大きくなっていくのを観察したりしている。 
 これから先、ネイチャーガイドのような仕事を再び目指すかはわからないけれど、どちらにしても私は私のやり方で自然を愛していきたい。

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