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心が軽くなる一日

 朝、福生駅に降りて、実家のお墓参りに行った。
 いつもは車で行くのだけれど、久しぶりに電車と霊園バスを乗り継いで行った。

 お墓を掃除して、赤い鶏頭と青い竜胆の花を生けた。
 他界した母は目鼻立ちがはっきりとしていて、きっぱりと鮮やかな色が似合う人だった。
 そして鶏頭と竜胆は、赤御影石の墓石には合うように思った。

 祖父母は80歳を過ぎて他界しているけれど、父は享年48歳、母は62歳で他界したので、私は両親が年老いた姿を知らない。
 今、生きていたらどんな風だったかしら?と思うことがある。
 それでも、話しかけるのは当時の母の姿である。

 子どもも大きくなり、「どうしたらいいかな?」と天国の母に話しかけることも少なくなったが、いくつか見守って欲しいことをお墓の前で話した。

 山の日に、山の景色。
 
 父が他界した後、お墓参りと決めた日が雨予報でも雪予報でも、母は必ず、
 「晴れるから大丈夫よ。」
と言った。
 そして、お墓参りの時間は、必ず晴れるのだった。
 緑の山に雨が降っていても、その時間だけ雨が上がる。
 何か不思議な力が働いているみたいだった。

 そういえば、福生駅からの行きのバスで、心が軽くなることがあった。
 駅の北口には、お花を抱えた人々がすでに長い列を作っていて、着いたマイクロバスに、果たしてどこまで乗れるかしら?と思った。
 すでに気温も上がってきて、お年寄りも多い。
 次々に乗って、乗って。
 
 「もう少しずつ、詰めましょう。みなさん乗れるかしら。」
 「そうですね。少し前の方が空いてますね。」
 「もう少し、前に行きますね。」

 お墓参りという共通の目的以外は知らないみなさんが、声を掛け合いながら乗り合わせ、ひとりでも多くが乗れるように配慮する。
 最近、そのような温かい配慮に出会っていなかったな、と思う。
 
 「お客様トラブルで電車が遅れております。」
 などというアナウンスが都心部のメトロでは珍しくない。

 さすが!お墓参りのバス。
 というのも変な話で、本来あってほしい姿はこういうものだと思う。
 心が軽くなるのを感じた。

 そして、帰りのバスが駅に着き、改札への階段を昇っている時のこと。
 階段の隅の埃を、丁寧に小さな箒と塵取りでお掃除してくださっている年配の女性がいらした。
 お仕事とはいえ、あのように丁寧にお掃除されている姿をみて、心の美しさを思った。
 こんなに暑い中、腰を曲げた姿勢で大変なことだと思った。
 誰もが気付きにくいところを、綺麗にしてくださっているのだな。
 その階段の端っこが綺麗だから、実はみんな気持ちよく過ごせている。

 本当は、感謝の気持ちを伝えたかったけれど、それができなかったことが悔やまれる。
 気持ちが伝わるように、駅のホームで「ありがとうございます。」と繰り返した。
 福生駅の北口の階段。
 ご存知の方はおられるだろうか。

 

 とても美しい曼荼羅の写真を使わせていただいた。
 こんな風に綺麗な心持ちで毎日を過ごせたらいいな。
 以前、よく描いていた曼荼羅を、最近は描いていない。
 「今」の心が現れる曼荼羅。
 また、描いてみよう。

 
 

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