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プロフィール

色々な仕事をしてみた。
「そうなってしまった。」というのが正しいかもしれない。
今更ながら、自分を客観的に見るために、まとめてみようと思った。

美大を出て就職したのはペンギンのガムで知られている菓子メーカーで、パッケージのデザイン担当だった。
ちょうど、キシリトールの発売や、主力のガム、赤いチョコレート・・・の『失敗が許されないデザインリニューアル』の時期にあたっていた。
ブランドが定着して長く愛されている最中に、何をどう変えていくのか?を勉強させてもらった。

新しくするための話題性をどこに持っていくのか。
『以前のデザインと離れすぎない程度の新しさ』を、どう見せていくのか。
コンセプトワークが続く。
感覚も大切にしながら、左脳のお仕事のような部分があった。

大手広告代理店、大手印刷会社の方とブレストして商品を作り上げていく。
デザインコンペで見事に勝ち残られたのは、佐藤卓さんだった。


新製品については研究所から上がってきた商品サンプルから、ターゲット層やコンセプト、宣伝計画を立て、特徴を生かしたパッケージ案を上げていく。
出てきたダミーにディレクションを行い、生産工程に合わせ、納期に間に合うように包装資材の指定、印刷立会までこなしていく。

デザインのプレゼンテーションは、社長に直接するというのが慣例で、私ももれなく社長に説明させていただく機会をもらえた。
仕上げるために尽力してくださる方々の思いを背負っているというと大袈裟なようだが、私というより、みなさんの作品をなんとか通過させたいという思いで、何度も練習して挑んだ。

会社代表は龍のような佇まいで、仙人の如く。
何もかも見抜かれているような雰囲気に圧倒され、
「丹田に力を」などと言い聞かせていた意識が、完全に頭に昇ってしまい、言葉が上ずった。
それでも余裕を持って聴いてくださったことだけは覚えている。
何をどう説明したのかは、全く覚えていない。

10年間勤めてやっとコツが掴めてきた矢先だったけれど、
辞めなければならなかった。
まだ、介護・子育てで仕事を辞めなければならない時代だった。
親の介護も子育ても、経験してみて人生が豊かになったが、もし、現在のような環境があれば続けていたと思う。
大好きな仕事だった。


その後は、子育てしながらでも絵に関われる絵画教室や、幼稚園、保育園、フリースクールでの絵の指導、美術予備校でのアルバイト、などをした後、
濃いピンクで全国的にお馴染みの、大手小売業のプライベートブランドを手がける部署にに再就職した。
ブランドマーケティング部パッケージデザイン担当という部署で、キッチン用品や家電のデザイン担当をした。


身体を壊して辞職したのち、専門外の役所にご縁をいただき勤務した。
母子保健係。
フィンランド発祥の「ネウボラ」を先駆けて取り組んでいるところで、子育ての起点となる場所での学びは、とても大きなものだった。
今、親たちが困っていることは何か?
貧困、DV、ネグレクトを含めた虐待事例。養子縁組。親のメンタルの問題。
外国人労働者の言葉の問題など・・・。

その後、引越しと共に辞職して、療育施設で児童指導員もやってみた。
発達支援の必要なお子さんとの関わりで絵画療法を使い、こちらが勉強させてもらった。

さて、今、何にもなっていないが(笑)、
これらをまとめると何が出来上がるかな?
ちょっと面白くなってきた。



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書くこと、描くことを続けていきたいと思います。