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昔、ロマ(ジプシー)は縞模様で描かれていた

以前私は、ロマ(ジプシー)といえば水玉模様、フラメンコといえば水玉模様、といったようなイメージが世の中には浸透している、ということについて書きました。

けれどもジプシーたちが水玉模様を身につけるようになるよりもずっと前、実はジプシーたちは、絵画の中で縞模様で描かれていた時代があったと言われています。

ボヘミアの女
ニコラ・ボナール
1680年
版画
縞模様の衣服を着てタンバリンを演奏しているジプシー

そもそもヨーロッパ中世では、縞模様は悪魔の模様とされていました。
そういったイメージとの繋がりもあり、この模様は普通の市民と見分けをつけるために、娼婦、犯罪者、旅芸人といった社会的アウトサイダーに位置する人々が着ることを定められた模様だったのです。

ところで、「放浪しながら音楽や踊りをして日銭を稼ぐ生活」をするという意味で、中世のいわゆる吟遊詩人や旅芸人たちとジプシーたちとは、社会的立場が非常に似ています。
そのせいか、旅芸人たちとジプシーたちとは色々な類似点が見つけられるのですが、その中の一つとしてあげられるのに、衣服のことがあります。

中世ヨーロッパの旅芸人たちは、かつてローマを賑わせていた音楽家たちのように、どぎつい色合いで飾り立てられた、カラフルで目立つ衣服を身につけていました。
この奇抜な衣服を身につければ、大勢の群衆に囲まれていてもすぐに人々の視線を惹きつけることができるために、商売をする上でとても便利だったのです。
また、彼らの衣服のうちの多くは報酬として貰い受けた物だったので、色や仕立ての具合が上半身と下半身とで全く調和していないままコーディネートされることもありました。
そのためちぐはぐで滑稽な見た目に仕上がることもあったかもしれませんが、でもむしろそれは、「人々を面白がらせる」という、旅芸人にとってはとても大切な役割に対して好都合に働きました。
そうしてその習慣が出来上がり、その習慣を続けていくうちに、次第に色の異なったものを組み合わせるコーディネートはデザインの「技法」として取り込まれるようになっていきました。

これが、「二色等分」(ミ・パルティ)と呼ばれる技法です。

つまり、身体を縦に二分割して、右半分と左半分で色が違う、という衣服が出現したのです。

二色等分技法による奇抜な衣装を身にまとった中世の芸人たち

これがさらに発展していくと、ついには色とりどりの縞模様が生まれるに至りました。
こうして芸人の衣装は、極楽鳥のように派手やかになっていき、この姿が大流行したのです。

ジプシーたちは旅芸人たちが次第に姿を決していった時代にヨーロッパに現れたので、彼らが旅芸人たちの装いを参考にしていたのかどうかはわかりません。
そしてジプシーたちが縞模様を本当に身につけていたから絵画に描かれたのか、それとも絵画の中で「ジプシーである」ことをわかりやすく表現するために縞模様を記号として使っただけなのかも定かではないですが、とにかく旅芸人もジプシーも、色とりどりの目立つ模様のものを好んでいたことは確かなようです。
それはもしかしたら、放浪芸人という立場から考えた時、人の目を引く衣装というのは彼らにとって何か有利に働くものがあって、結果として同じような好みを持つことになった、ということなのかもしれません。

ところで縞模様はその後、産業革命後に何度か流行を繰り返し、「悪魔的」というだけでない、良い意味も獲得していきます。
けれどもスペインのジプシーたちは、結局この模様をフラメンコに取り入れることはありませんでした。
「フラメンコ」が誕生して一般の人々に向けてショーをするようになった19世紀中頃には、すでに縞模様はフランス革命で革命のメッセージを伝えるために用いられ、一方で使用人たちのお仕着せに用いられるなどをして、真面目な政治的意味合いや従属の意味合いも併せ持つ持つようになっていました。
けれどもそんな生真面目な模様は、ジプシーの自由気ままな気質にはまるで合わないし、だからわざわざショーの衣装にしようなどとも思わなかったのかもしれません。

この縞模様は、ある時代になるとこれもまたヨーロッパで大流行する模様となっていくのですが、それについてはまた別の機会にお話できればと思います。

転載禁止 ©Nanako Mashiro
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♣︎水玉模様と縞模様、ジプシーについてはこちらの本でも触れています。

※本コラムには、今日の人権庇護の見地に照らして不当・不適当と思われる語句や表現があるが、歴史的背景を説明するために、その時代に使用された語句や表現をそのまま使用することといたします。

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