自分についての新たな気づき

多分これの続き。以下雑多な落書き。

新しい会社(クローズ)に勤めて一年半以上が過ぎた。
精神的には比較的平穏に過ごしてきたと思う。
というか職場からかなりの高評価を得ていて、ハンデのある身としてはとても鼻が高い気持ち。

先延ばしにしていた転院先への紹介状と自立支援の申し込みに使う診断書を書いてもらうことになった。

診断書の中身見たらなんか増えてた

去年まではADHDだけだった

元々自覚はあったし、3歳児健診で人と目を合わせないことや高校生の時にカウンセラーから「ADHDもあるだろうけどASDっぽいよね」なんて言われたこともあったから、そこまでショックでもなかった。

これについて医者からの説明がなかったのはさすがにびっくりしたから聞いてこようかなと思ったり。

びっくりポイントその2
病状の説明も増えてる(当たり前)

強度の不安・恐怖感あったの!?ってなった
自覚は数ミリくらいはあったけど丸つけられるほど深刻なものだとは思ってなかった。

たしかに気がついたら緊張してて身体バキバキだったりするからなあ…。

憂鬱気分に丸ついてるのもちょっとはわかるけど家事して仕事してジム行って〜ってできてるから人生の中でかなり元気だと思っていた。

……うん、なんかわかってきたぞ。

特性と対策

自分の苦しみに鈍感すぎる

思えば平穏とはいっても、めまいや低い音が聞こえにくくなる症状で会社を休むことになったり時折不眠を拗らせて睡眠薬をもらったり、ダメな時はエナジードリンクに頼って生活して、それでも集中できない時は動き過ぎたんだな〜でスルーしてきた。

個人的には仕事できて、無理に人と関わらず、周囲から評価されてさえいれば、それで心の平穏は保たれてはいると思ってたからかも。
そして、家事も同棲している彼氏(忙しい)の協力があまりない中、比較的難なくこなしてたから自己評価としてはかなり上々。

ただ、文字に起こしてみるとこれ結構辛いかもしれない。
憂鬱気分の症状もデフォルトすぎて逆に辛いとすら思ってなかった。

なんなら、昔の強烈なフラッシュバックを幾度も経験して崩壊しそうなくらい悩んでた時の感覚を覚えているから、それがあまりないなら別にいいのかなという気持ちが今の辛さを無視する原因なのかもしれない。

その反面辛さを自覚するとそれにしか目が行かなくなるところは少なからずあるのだけども。

一応そこそこにポジティブな人間なので、「ここまで努力してやっと人並みなんだ…」って思うよりかは、「社会性終了のカスみたいな病気なのによくやってるやん」みたいな気持ちでいる。

知覚統合と処理速度が低く、言語理解や作動記憶は凸ではあっても一応人並みレベル
要するに感覚的な理解が苦手で、感覚的に習得したことを早くこなせない。

これについては、無理に周りの人と合わせようとしなくてもいいようにリモートワークを選んでいる。
気晴らしとかもしやすいしね。

そういえば、身近にロールモデルがいないし、ネット上ではネガティブな意見や自分よりも就労で悩んで苦労してる人の方が多いから、状況的に辛くて当然じゃない?ってなった。

いろいろ雑多に描いてるうちに、現状への対策より、自分にとって心地の良い生活についてより深く考えてみたほうがいいのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?