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展示を終えて①

Twitterというものをやめた。
ここのところ怒濤の勢いでいろんなものが手元にやってきて、本当に必要なものはなんなのかもう一度洗いざらいにしてみたくなった。

画面上でのやりとりが、私にはなんだか寸劇をしているような繋がりばかりでどんどん自分から自分がかけ離れていくような苦しい気持ちがあった。

手放すことが怖かったこと。
両極端で合同展が終わるまで揺れ動いていた。
もう、誘われないんじゃないかとか
助けてもらえないんじゃないかとか。

悲しみや嫉妬もあったんだ。
どんどんグズグズになっていく私になって仲間一人愛せなくなりそうだった。

ああ、この人だけなんだなって惨めな気持ちになったり、気づいてもらえなかったのかななんて自分の押しの弱さに泣けてきたりして存在の意義すら見えずに、私の企画も自分で壊滅させようとしてる自分に悲しくなってじたばたしている。

今も正直な気持ちは悩んでいる。
バカみたいとか、あほくさいとか。
思い出なんか殺してしまいたいとか。
それでも、ただ、たった一人の人が待ってるからじゃあ、もう一人くらいいるかもってミストを作ろうとしてる。

子供みたいにだれかを愛して、
“外向きな気持ちになって純粋なものが作れなくなること、純粋な表現をやめちゃうこと“
のほうがつらいなあって素直な気持ちにしたがってスパッとやめた。

表舞台はいつも、うつくしくキレイにみえる。
見せ方や切り取りかたに人は引き付けられるから、そこの仲間に入りたくなるよね。

宣伝力もなんもない私に誰や何が残るのかわからないけれど、手放して残らなければ、ここは違うんだなって唇噛み締めてじぶんの感性や直感で動こう。

TwitterやSNSじゃないやり方で私の企画を知ってもらえる方法を信じてみたいし可能性もみてみたいから、私自身の改革で創造する。

「私にはこれ以上増やすものはないな」って諦めをつけている最中に。

ありがとうより、頑張ったねって言ってもらいたくて友達に弱音をこぼした。
………………言われたかったんだな。

みんながしているようなことを辞める。
そこからが自立の一歩。


“Les and More“