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未来は君たち若者のためにある

中国最新携帯事情


 今週の授業は「携帯」について。
 学生たちが使っている教科書の情報は古い!
 この5Gの時代に「3G」だの「着うたフル」だのの内容。
 さらに、「デジタルカメラ」「電子辞書」が各課に別れている。
 だから私はこの教科書は使わない。
 実用性がまったくないからだ。

 そんなわけで、まず前半はこの教科書にある携帯の時代の「ガラケー」がどんなものだったかの紹介。
 あゆを熱唱しながら、熱く2000年代を語る。

 ガラケーなんて見たこともない2003年生まれは、「子どものおもちゃ」という感想。

 じゃあ、今の中国の携帯事情を私に教えてくださいってのが宿題。
これが楽しかった。

日本語そうでもない班長の作ったパワポがのかっこよさ
写真撮影で翻訳するソフトは縦書きはできず漫画の翻訳に一苦労らしい
学生カードと連携しているため寮の出入りや食堂でも携帯使用
ちなみに日本は2021年でやっと30%を超えた
充電分け与える機能
さすが加工大国な居直り発言w
学生たちが作った私のファンのオリジナルステッカー
NFCを取り上げる学生が多かった

 最後のこれを発表した学生が言う。

「私たちは便利さと引き換えに何かを失う可能性がある」

 そこで私はSF映画の話をした。

 でもこれには裏の意味もある。

「個人情報がすべて管理された社会において、人は便利さと引き換えに個人の自由や尊厳を失うだろう。何を選ぶかは自分次第だ」

 実際、中国では徹底した0コロナの下、アプリで居場所を特定された上での強制隔離される。このことは以前の記事にも書いた。

 さらには連日に及ぶ検査で授業中断、ネット授業における中高生の学力低下、学生たちは貴重な青春の日々を国の政策により奪われて疲弊している。

 私は彼らの発表に感心しながらも、やはり裏の意味を込めて言った。

「この二十年、三十年で時代の変化は著しい。そもそも生まれた時から携帯やインターネットが身近にある君らとそうではない上の世代では、考え方、感性、能力にも大きな差があって当然。

それぞれの国において国民性や民族性はあるとは思うけれど、それ以上に時代性というものがある。私は日本人だけれど、武士の考え方に共感しろと言われても難しいし、腹切れとか言われても意味がわからない。

今の老人と君たち若い世代は、これまでの百年ぐらいの差があると考えてもいいと思う。

人は年を取れば体力も思考力も衰えていく。もうね、年取ったら若い人にどんどん学ぶべきなんだよ。古いものにしがみつくべきじゃないんだよ。
あ、これは私の考え方ね。
私の恩師の言葉は
『年寄りは若者のために生きねばならない』だからね。

今の時代は君たちのもの。君らが今の時代を作る。
未来は君たちのためにある」

 これだけ言うのが精一杯である。

 今、中国では、哲学や思想を教える外国人教師が、きょーさん犬になって、学生に告発されて職を失ったりしている。
 
 まあ、別にそうなったらそれでもいいんだけれども、学生たちのためにも本当に言いたいことはいつもこんな形でしか言えない。

 それは学生たちも同じようだ。

本当のことは誰も言えない

 私が親しくしている学生の一人、夏まで日本に留学していた女子が私に言う。

「このままじゃ中国は終わりだ。
 みんな知っているけど何もできない。
 少なくとも大学生ならみんなわかってる。
 でもSNSで悪いことを言えば学校に知られる」

 だから何も言えない。

 WeChatのモーメンツも「雪が降った」とか「食べ物がおいしい」とか「髪を切り過ぎた」とかそんな内容ばかり。

 私は最近モーメンツに自分が食べたおいしいものとか日本で遊んでいることとかあげなくなった。

 ある学生にこう言われたからだ。

「先生は、いろんなところで遊んでていいですね。私も早く友達といろんなところに行きたい。旅行もしたい。おいしいものを食べに行きたい」

 全寮制の大学はまるで監獄だ。

 コロナの規制が続いてもう三年。

 中学生や高校生は入学して卒業し、大学生だって四年生はほとんど大学に来ないから、もう学生生活は失われている。

 土日も含めて朝も昼も時には夜までPCR検査。
 日本語能力試験も直前で中止。
 セキュリティシステムばかりが進歩して、「便利」になっているのと同時に、学生たちが最も求める「自由」がない。

 最初の頃は彼らも「疫病が済んだら」とか「国が安全に守ってくれている」とか「しかたない」とよく言っていたものだが、最近は露骨に不満を口にする学生がいたり、「この国は終わった」という声もある。

 今まで豊かな生活が保証されていたからこそきょうさんとーは支持されていたようだが、経済が本格的にやばさを増して、沈む行く船の舵取りをできるような人材さえ追い払って、一体どこに向かっていくのだろう。

 どちらかというとインドアな若い世代だからこそ、まだ引きこもれ政策も維持できただろうけど、これでネットの自由までさらになくなっていくと、さすがに若者も我慢ならなくなるんじゃないだろうか。むしろネットの不自由のほうが彼らにとっては行動制限よりつらいのでは?と思えるような世代だ。

 何にしても、年寄りの言うことをおとなしく聞いて、そんなもんだと無理やり納得して、疲弊してしおれていってほしくない。

 はっきりいって私より元気がない若者たちを見ているのはもどかしい。
 だからといって安全地帯から「立ち上がれ!」なんて彼らを扇動したいわけでもない。

 ただ、まるで蓋をされた瓶の中のノミみたいに、自分に制限をつけて死んだように生きることを分別だなんて思ってほしくないだけだ。

 それは、今日の作文授業の別のクラスでも言った。

臆病な自尊心

 
 今週の作文の読書感想文の課題は中島敦の『山月記』。


 私がとても好きな短編だ。何より文章がかっこいい! これは中国ですでに有名な故事を元に作られたそうで、学生たちも子どもの頃から知っている話だそうだ。
 ただもともとの話は李徴が虎になるという話だけで、中島敦が描いた「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」に苦悩した李徴という感じではないらしい。

 ほとんどの学生が引用部分を使って、もっともらしいことを書く中、二年休学していて軍隊から戻ってきた学生だけが、自分の言葉で書いていた。

 彼は軍隊は向いていないらしく、「自分は大した人間ではなかった」と自覚して復学したそうだ。だから李徴の心情に深く共感したようで、彼の言葉には一つ一つ説得力があった。

 自分の弱さを認めて受け入れることはある意味強さだと私は彼に伝えた。

 それができない人間は、弱さを隠してごまかすために自分を強く見せようとする。そのために多くの人を必要とする。

「そもそも地位や名声は一人では成り立たず、必ず他者を必要とする」

 そうやって誰かを偉く見せるために、多くの民衆が太鼓持ちをしなければならなくなる。

「名声は死んだら何も意味はない」

ある男子学生はそう作文に書いていた。

「分相応の幸せに満足するべきだ」

このように書いた学生も多い。

「人は足りているものよりも不足しているものに目が行きがちだよね」

 だから領土を広げたり、奪ったりしようとするわけだが……

 力でねじ伏せること、黙らせること、そうやって人を巻き込んで、自己欺瞞で生きる虚しさを既に若者は知っている。

 このクラスはおとなしすぎるぐらいおとなしい学生が多いクラスだ。前述の最新携帯を扱った陽キャクラスとはちがう。

 「既来之则安之」という孔子の言葉を作文に書いていた学生もいた。

 「こうなってしまった以上、落ち着いてその起きてしまったことに向き合おう」といった意味らしい。

 まさに今の現状のことじゃないかと思った。

 そうやって彼らは、検査で授業がつぶれても(このクラスが一番つぶれる率が高い)、一生懸命がんばっていた日本語能力試験が中止になっても、不平不満を表に出すことを良しとはせずに、じっと耐えてきた。そのくせこのクラスは鬱病や適応障害やストレスからくる不調で休む学生も多い。

 ある意味聞き分けが良すぎる彼らに今日言ったのは

「自分で自分を諦めて、現状に甘んじるな」

ということだ。

 自分はこの程度のことしかできないだろうと目標を低く設定して、無難なことしかせず、挑戦しない学生が増えている現状は、老害がのさばり若者を抑圧してきた結果なのではないかとすら思う。

 実際作文に「世の中の仕組みを無視して何かを望んでもうまくいくわけがない」というようなことを書いている学生もいた。

 彼のいう「世の中の仕組み」とは「世の中とはこういうものだ」という社会通念や常識といったことらしいが、そもそもそう言って子どもに教え込んでいるのは大人であり、彼らより上の世代だろう。世の中は常に時代と共に変化し、価値観は変わっていく。世の中をどういうものにするかという新しい価値観は、それこそ若い世代が作っていくものじゃないだろうか。

 だからこそ、私はやはりここでもいう。

「時代の主役、中心は君たちなんだ!」ということを。

 と、ここまで書いたところで、大学から突然通知。

 明日から火曜にかけて、山東省は学生たちが一斉に大学を去ることになった。

 ゼロコロナへの反発から各地できょーさんとーへの抗議デモが起こり、広州や一部の地域では規制緩和されたらしいのに、さすが保守的な山東省!

 でもコロナが深刻だからということを理由にしているようだけど、実は若者たちを一か所に集めておくことを危険と感じているからだったりして。

 そして今学期は全学部全教科オンライン期末試験になるらしい。
 オンライン授業は緩和されるどころかますます厳しくなっている。

 政府はゼロコロナを緩和していく見込みとかニュースで見たばかりだったけど、実際の身近な中国はまったくその気配もない。

 それでも私は若者たちに「未来は君たちのためにある」とやはり言い続けるだろう。


 




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