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わたしの庭 〈彼岸花〉

草むしりをしていて、彼岸花の花芽をみつけた。9月も16日を数えるというのに、予想最高気温36度の朝である。
わたしの庭には、毎年、一本だけ彼岸花が咲く。いつどこからやってきたのかは、わからないが、土の中に、彼岸花の球根が埋まっているということだ。そこは花壇でもないし、植えた記憶もない。いっこうに増えないのは、土がやせているせいだろうか。

彼岸花といえば、新美南吉の「ごんぎつね」を思い出す。
兵十のおっかあを葬った墓地には、彼岸花が咲き乱れていた。葬列が去ったあとには、彼岸花は踏み折られていたのだった。
ごんは、村人から名まえをつけられるほど、いたずらものの困ったきつねだったのだろう。
じっさい、兵十が病気のおっかあのために捕ったウナギを盗んでしまったのだから。
野生動物だから、自分が食べるためならしょうがない。が、ごんはそのウナギを食べなかった。いたずらのために盗んだのである。
性悪のきつねだが、ウナギが兵十の病気の母親のためのものだったことを知り、深く後悔する。ごんは、きっと、きびしい子別れをしてきたばかりで、まだ母親の恋しい子ぎつねだったのだろう。母親を亡くしてひとりぼっちになった兵十に、親しみを感じたにちがいない。
兵十のために、栗やらマツタケやら、山の幸をせっせと運んでつぐないをする。しかし、そうとは知らぬ兵十に、火縄銃で撃たれてしまう。
ぐったり倒れたごん。
土間にちらばった栗やマツタケ。
かけよる兵十。
「ごん、おまえだったのか。」
火縄銃の筒先から立ち上る薄青いけむり。
ひとりぼっちの人間の若者と、ひとりぼっちの野生の動物の魂が、わかりあえた瞬間。
涙なしには読めないラストシーンである。
兵十は、ごんの遺骸をねんごろに葬ったにちがいない。そこには、まい年、秋になると、彼岸花が咲き乱れることだろう。

ところで、わたしの庭の彼岸花。
翌朝、もうひとつの花芽が土の中から顔を出していた。もしかしたら、あとひとつやふたつは出てくるかもしれない。
うれしい。

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