見出し画像

美濃路〈像が歩いた道〉

県立図書館に県内の観光案内の資料を集めたコーナーがある。そこで、なにげなく手にとった一枚の歴史民俗資料館のリーフレット。
その表紙の絵に目を奪われた。

江戸時代の役人らしき三人が、一頭の象の綱を引いている。象を連れて旅をしているらしい。

記憶にある光景だと思った。
見たわけではないが、ずいぶん前に読んだことがある。
杉本苑子の「ああ三百七十里」という小説だ。

1729年。徳川吉宗が、インドから象を輸入した。つがいで輸入したのだが、雌は船旅の間に死んでしまい、上陸したのは雄一頭。
三人の役人に連れられて、一頭の雄の象は長崎から江戸まで旅をした。
将軍さまに謁見するために。
街道を歩いて。
その道中の物語だった。

野越え山越え谷越えて。
象の糧食を調達しながらの旅だから、容易ではない。
一頭と三人は、助けたり助けられたり。
困難な旅をつづけるうちに人と象は、固い絆で結ばれていった。
胸が熱くなるような物語だった。

リーフレットの歴史民俗資料館は、一宮市の起という町にある。美濃路の宿場があったところだ。ということは、象は、美濃路を経由して江戸に向かったということだ。

美濃路は、垂井宿から、大垣宿、墨俣宿、起宿、萩原宿、稲葉宿、清須宿、名古屋宿、を経て宮宿に至る。東海道の脇街道だ。

この図書館は、名古屋宿の近くにある。
三百年前、この辺りを象が歩いて行ったのだ。

帰りみち、わたしは、美濃路なごりの旧城下町をぶらぶら歩いた。

堀川に架かる石橋を渡る。
美濃路と刻んだ石碑がある。
豪商の白壁の蔵が建ち並ぶ。
屋根神がある。
古い寺があり、神社がある。

人も家も多いにぎやかな城下町だったから、象のまわりには、たちまち人だかりができたにちがいない。
象は、おどろき、おびえただろうか。
それとも、スター気分を楽しんだだろうか。
ただただ、疲れただけだろうか。
いやいや、長崎から旅をしてきたのだ。
人間どもの騒ぎには、慣れっこになっていたかもしれない。

インド象の成獣は、重さ4トンはあるという。
歩くたび、地面は揺れただろうか。

ドシン、ドシン、ドシン……

わたしは、バス停のある大きな通りに出た。

ドドドドドド……

地面が揺れた。
目の前を、4トントラックが通り過ぎて行った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?