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美濃路〈いざ出陣〉

「桜を見に行く」と、家人に告げて家を出た。

桜といえば、城である。
城には桜がよく似合う。
城といえば、清洲城である。

なぜ清洲城かといえば、織田信長が、桶狭間に出陣していった城だから。

名鉄新清洲駅から、五条川の堤にのぼり、川に沿って、ぶらぶらてくてく。
やがて、城の天主閣が見えてくる。

しかし、信長が居城にしていた城は、そこじゃない。
あれは、市のシンボル。
観光用に造られた歴史資料館のようなものだ。

信長が弘治元年(1555)に、陰謀をめぐらしてのっとった清洲城は、川の対岸にあったのだ。
もとは守護·斯波氏の館で、平城だった。
いまは、城址公園になっている。

その公園は、桜の名所でもある。
平日とはいえ、春休みの一日、親子連れでにぎわっていた。

あせばむほどの陽気なのに、桜は、ちらほらとしか咲いていない。
わたしは、桜のつぼみを見上げながら歩き、緑の木立ちに囲まれた静かな一角を目指した。

そこには、若き信長の銅像が立っている。
少し離れて、濃姫の銅像もある。

信長は、甲冑姿で桶狭間の方を向いている。
南蛮マントなんぞ着ておらず、まっとうな戦国武者の姿だ。

濃姫は、ななめうしろから、信長を仰ぎ見ている。
大名の正室らしく、打掛をまとって。

城は、もう一つの戦場。
城を守 るのは、残された妻。
この濃姫像が出陣していく夫を見送る妻をかたどっているなら、せめて薙刀を持たせてほしかった。髪は一つに束ね、袴もはかせて。

濃姫は、信長が留守の間に、城をのっとることだってできたはずだ。
このころ、信長は、美濃と敵対していた。
濃姫は美濃斎藤氏の出。
彼女のもとには、城を守るためにいくらかの手勢が残されていたはずで、その多くは、美濃衆だったにちがいない。彼らの手引で美濃の軍勢を城に引き入れることだって、できたんじゃないか。 

信長は、未明に出陣して、日没前に帰城。
今川との戦は、一日でかたづいた。
たった一日でも、城を空けている間、気が気ではなかっただろう。

帰ってみれば、城の内にも外にも美濃兵があふれ、そのまん中で濃姫が、えんぜんと微笑んでいる。
そんな情景が、何度も頭をよぎったかもしれない。

あるいは。
今川とやったって、どうせ勝ち目はない。
塩漬けにされた首だけになって、おれは城に返されるのだ。
ならば、妻よ。
この城は、おまえにくれてやる。
好きにしていいよ。

そんなやけっぱちな気持ちで、暁の空の下、出陣していったのかもしれない。
一度も城を振り返ることなく、駆けて、駆けて……

にぎやかにしゃべる外国人の一団がやってきて、わたしは妄想から覚めた。

朱塗りの橋を渡って、市のシンボル、天主閣に入った。入場料400円。
展示を見ながら四階まで上ると、展望台。
見渡す限り、ごちゃごちゃした街の風景。
望遠鏡を使えば、桶狭間まで見えるのかな。

帰り道、五条橋の上から城址公園を振り返った。
ここには、室町時代から橋があったという。
この道は、美濃路。熱田へ続く道。
信長は、馬でこの橋を渡り、桶狭間に向かったのだろうか。

濃姫は、城の櫓から見送ったにちがいない。

いってらっしゃい、殿。
どうぞご無事で。
でも、あまいわ、あなた。
妻を信用するなんて。







 








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