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病歴57:敵は花粉症

梅の花が咲き、春めいた日が増えてきた。
まだ2月だというのに、気温が高い日もあると、今年の夏が思いやられる。
ジョウビタキが高い声を残して去っていき、ウグイスの初音が遠くに聞こえた。

さて、こうなると、花粉症がやってくる。
毎年1月の中旬から、春に向けてアレルギーの薬が欠かせない。
この頃は、通年で服薬しているので、あまり変わりはないけれど。
昨年8月のまるまる1ヶ月入院していた時は、さすがにほとんど症状がでなかった。
と思ったら、プレドニンを大量に処方されていたせいかもしれない。

そんなわけで、今年も花粉症の季節を迎えた。
杉よりヒノキのほうに反応するので、まだまだ序の口であるが、耳の奥がかゆい。ものすごくかゆい。
喉の奥から鼻にかけての粘膜とつながっているからだそうで、どうにもかゆい。
これにはつける薬がないので、かきやぶらないようにじっと我慢。

そして、今年は在宅酸素療法を受けているので、非常に困ったことになった。
なにしろ、鼻水が出てしまう。
鼻水が出て、鼻が詰まる。
酸素が、吸えない。
困った。

カニューラの中に鼻水が入り込んでしまうというのも嫌な事態である。
カニューラは水洗いできるにしても、こちらの方言で言うならば、「うらんしい」。
そうならないように鼻をかもうとすると、カニューラが邪魔をする。
特に外出時は、カニューラを外すとぴーぴーと同調器に叱られるので、場所によってはうるさくて困る。
どちらにしても、面倒臭い気分になる。

もっと困るのが、酸素で鼻水が鼻の奥で固まってしまうのだ。
だから、鼻づまりがしやすいのだけども、鼻づまりというと粘液の状態を想像する。
それよりももっと乾燥した状態になる。ばりばりとした固体の状態。
鼻呼吸ができない上に、固まったものが剥がれるときに皮膚まで剥がれて、鼻血が出る始末だ。
耳鼻科に相談したら、どうしようもないと言われた。

鼻呼吸ができないと在宅酸素が十分に機能しないし、息苦しくて口呼吸が増えるので喉が乾くし。
どうやら、いびきもひどいらしくて、それも恥ずかしいし。
ほんとうに困ったもんだ。

当初は数ヶ月で在宅酸素療法が終わると思っていた。
薬剤性肺炎になったばかりの頃に、肺活量の検査を受けた。92歳、と書いてあった。
先月、久しぶりに肺活量の検査を受けた。82歳と書いてあった。
−10歳。
しかし、82歳。

しゅーんとしていたら、主治医が目線をそらしながら、その数字はあまり気にしないように言ってくれた。
その数字はどういう場合の説明に用いるかも教えてくれた。
それは職業上の秘密ということで、ここには書かないでおこうと思う。

肺炎の症状そのものは解消していて、レントゲンはきれいなものだ。
咳き込むこともまったくなく過ごしている。
ただ、肺活量が小さくなり、活動すると息苦しくなる。
階段を登ったり、風呂上がりなど、血中酸素濃度が90を下回る時はさすがにつらい。
体感として、息苦しいよりも頭がしーんとする感じ、なんとなく視界が暗くなるような感じ。
それから、何をしていいかわからなくなったり、混乱している時は酸素が足りていないことが多いように思う。
ものを取り落としたり、判断力がぐっと下がる。
その上、酸素が足りていない時の記憶はすっぽ抜けやすい。

むくみや疲れやすさも続いている。
体重が少し減ってきたので、足の甲がはち切れそうで靴を履くのが痛いような思いはしなくなったが、それでもむくみはある。
2日続けて出勤すると疲れて起きられなくなり、3連勤でもしたら微熱が出る。
仕事は続けているが、週の半分は寝たきりで過ごしている。
そのため、なにもできない。
本当なら、抗がん剤を使っていない今が体力が回復するはずなのに。
これではちっとも元通りの生活が送れない。

悔しい気持ちやもどかしい気持ちに、飲み込まれそうになる日もある。
焦っても仕方がないと頭ではわかっていても、それでもたまらない。
のんびりゆったり、猫をお手本にして過ごすことを心がけたいものだけど。
自分にできないことが増えたことを、まだ、私は受け止めそびれている。
そう。気持ちを維持することが、一番しんどい気がする。

それでも、Life still goes onと自分に言い聞かせて、今日も生きることをがんばろうと思う。

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