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病歴54:酸素ボンベと旅に出る

漂泊の思いがやまない季節がある。
春と秋。
渡り鳥の移動が始まる頃には、私も一緒に落ち着かなくなるのだ。
退院後、ステロイドや強めの抗うつ薬の効果が加わって、じっとしていられなくなっていたところに、かねてからの友人からの招待が届いた。
場所はとあるねずみの国である。

肺炎はまだ治っていない。
ステロイドを服用していることで、感染症には弱い状態である。
負荷は少なくするようにも言われている。
コロナは相変わらず流行っていて、インフルエンザも流行っていて、よくわからない風邪も流行っていて。
それでも、飛行機に乗る、という魅力に抗いがたかった。

宿は、羽田からも、ねずみの国からも、バス一本で移動できる場所にした。
有明というと、臨床心理士試験を思い出して、懐かしい。非常に懐かしい。当時よりもホテルが増えているし、ブランドが変わっているところもあるし。
朝食はなくていい。とりあえず、寝る場所は確保。

次は飛行機。
格安チケットの検索サイトで、行きはA社で朝早い便を、帰りはB社で昼前の便を押さえた。
それぞれの航空会社のサイトのなかで、在宅酸素療法を受けている場合について検索した。
必要な書類(医師の診断書や酸素ボンベの申請書など)を一通り、ダウンロードした。
最近、細かい文字の並んだ説明を前にすると、目が文字を拒否して内容が頭に入らない。
とりあえず、書類を埋めればいいんだよね?

酸素ボンベの申請書は自分で書けるかと思ったが、どこの数字を見ればいいのかわからず、すぐに頓挫。
どちらの航空会社の申請書にも、ボンベの直径や高さのみならず、識別番号のようなものも書かなければならないのだけども、ボンベには様々なステッカーが貼ってあり、様々な数字や記号が付されているのだ。
これは、ボンベの配達をお願いしている業者に尋ねるしかない。

それで業者にお電話して、調べてもらうことに。
だって、管理している業者と、製造している業者と、いろいろあるやん。わからんやん。
同調器についても、一般的名称と販売名があるんだもん。
なにを書いていいのかわからなくなって、もうちょっとわかりやすくできんのかーと、心の中で八つ当たりをしながら、書類とにらめっこをした。
後で、航空会社にこの申請書は業者に書いてもらうものだと、自分で書いていることに驚かれた。

なにが大変って、行きにしても帰りにしても、機内に持ち込む酸素ボンベの固有の識別番号のようなものを書かなければならないこと。
そのために、旅行前の一週間の酸素ボンベのどれを残して、どれを使って、いや2本も持っていくんだったら、使うのがこれしかなくてと、やりくりが大変だった。
一時的に、たくさんのボンベを貸してくださってありがたかった。
家で使うもののほか、旅行に自力で持っていくのが2本。宿に届けてもらうのも2本。
一泊なので、宿に酸素濃縮器を用意せず、酸素ボンベだけで乗り切ることにした。

医師の診断書は、診察時に医師にお願い。その場で書いてもらえてよかった。
それをすぐに航空会社にFAXしたり、メールで送ったりする。航空会社の方で、その情報をもとに、載せても大丈夫かどうかを判断し、折り返しの連絡が来るという流れだ。
診断書は旅行前2週間以内という縛りもあることに気づいていなかったが、偶然、2週間以内だったので事なきを得た。

当日早朝。まだ空港のテナントも開いていない時間帯。
大手航空会社のカウンターでチェックイン。酸素ボンベがあると、自動手続きではなく、必ずカウンターに行くことを求められる。
書類のチェックと共に、もしも、ボンベが椅子の下に入らないようであれば、隣席を有料で手配しなければならないと説明を受け、承諾する。

当初は自力で歩いて移動するつもりでいたが、空港というのは広い。
広いと思っていたが、広い。
ということは、いっぱい歩く。
カウンターに着くまでちょっと疲れて、息があがってしまっていた。
それを見て、スタッフさん、なにかを察したらしい。
カウンターから飛行機まで、車椅子を利用するよう強く勧められ、羽田についてからも車椅子で迎えるよう手配してくれた。

乗りなれていないので、車椅子を押してもらうことは、申し訳ないような、気恥ずかしいような、いたたまれない感じが伴う。
自分以外の人が車椅子を利用されていることには何も感じないのに、いざ、自分が載せてもらう側になるとためらいが生じる。
そして、頭のなかでは、ドナドナが流れ出す。
自分のコントロールを一つ失う、ゆだねる、ということに、抵抗を感じるのかもしれない。
でも、楽々でありがたかった。

ひさびさの飛行機ですよ。ついに飛行機ですよ。
遠くに行ける。この感覚。
空港の雰囲気も、飛行機の雰囲気も、大好き。
窓側の席だったので、どちらの方向に上昇して、どのあたりの上空で、と考えながら景色を存分に楽しんだ。
中でも、やはり、富士山を眺めるのは楽しい。
張り切って写真を撮りまくる。

羽田空港に到着し小腹を満たした後に、ホテルに移動。
荷物を整理して預けてから、友人と合流。
初めて会うのに、話が弾んで弾んで、時間があっという間に過ぎていった。
ねずみの国に行くのは20年以上ぶり。前回は臨床心理士試験の前日に行ったのがラストかなぁ。
今回は間近で花火が見られて嬉しかった。夏の間、病院に入院していたので、今年も花火が見られるとは思わなかった。
友人と別れるのはとても名残惜しかった。感謝感謝。
歩数計を見ると1万歩を超えていてびっくりした。

ホテルに戻ってからも興奮さめやらず、落ち着かない気分で夜を過ごした。
なにしろ、寝過ごしてはいけない。
帰りの便は昼前だったが、手続きのために早めに行かねばならないのだ。
そして、羽田空港は、とてもとても広いのだ。

お土産買いたーい。
舟和の芋ようかん、買いたーい。
バスを降りて、端っこのカウンターを目指して、とぼとぼと歩く。
華やかな店先にひかれつつも、寄り道する気力がわかない。
前日に頑張りすぎたので足が痛いし、じわじわと疲れが自分の元気を奪う。
それでも、お土産の一つも家族に買っておかねばと立ち寄ったお店で、ついでに舟和の芋ようかんの売り場を尋ねる。
一つ手前の通り過ぎた店にあると聞いて、絶望感に打ちのめされそう。
若いおにーさんは「ほんの15秒」と言うけれど、その15秒を歩くのが、もう無理なんだよー。

案の定、羽田空港のカウンターでも車椅子を勧められ、おとなしく乗せてもらうことにした。
ドナドナ再び。

通りやすい通路、通れない段差。
視界や行く手を遮る人の壁。
ぶつかる荷物。ぶつけられる荷物。
自分が車椅子に乗せてもらうと、車椅子で移動せざるを得ない人たちの大変さが少しわかる気がした。
人の手を借りる。そのことの練習を、今、させてもらっているのだと思う。

帰りは富士山の冠雪したての火口を見下ろすようなルートで、またも、窓辺に張り付いて過ごした。
くたびれ果てて、その後、数週間、疲れの名残を引きずったような気もするけれど、旅に出たいという焦燥感はだいぶと落ち着いた。
上空を飛行機が通るたび、あのジェットの音を聞くたびに、急き立てられるような気がしていたが、つきものが落ちたように落ち着いたのだ。
気が済んだ、というやつだ。在宅酸素療法をしながら遠出ができることも、十分によくわかった。
むしろ、しばらく、飛行機は乗らなくていいかな。行きたい場所はいっぱいあるけれど、乗るための準備が大変すぎる。
当面は、地上を移動するだけにとどめておきたい。


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