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病歴55:酸素ボンベと旅に出る2

10月の東京に続いて、11月は大阪に旅に出た。
今度は飛行機ではなく、新幹線に乗っての旅だ。
酸素ボンベを専用キャリーに入れる。
スーツケースと酸素ボンベ。両手でコロコロしながら歩くのは、やっぱり不便だ。

まず、タクシーに乗る。
気の利く運転手さんが、スーツケースと一緒にキャリーもトランクに運ぼうとしてくれて、慌てて引き留める。
大きめの車両で、スライドドアだったりすると、足元にキャリーも乗せやすい。
普通の車両だと、キャリーごと持ち上げるのも力がいるので、乗るにも、降りるにも、もたもたしてしまう。

駅に着く。
なんと言っても階段が鬼門なのだけど、階段しか見当たらないこともある。
これぐらい大丈夫と思っても、息がきれるし、息が切れると整うまで時間がかかるし。
スーツケースの中身は最低限にしたから、酸素ボンベの方を重く感じてしまったり。
平らなところを歩く分には、キャリーの方が楽なんだけどね。
旅の途中にトイレに行きたくならないように、と思いながら、コンビニでお茶だけ買う。
その時も、荷物のやり場に困りながらあたふたした。両手がふさがるのは、不便だ。

新幹線に乗る。
今回は車両の一番端の座席を予約した。グリーン席ではないけれど、車両の先頭の窓際を選んだ。
足元がいっぱいになって狭苦しいけれど、これが人に迷惑をかけないように思ったのだ。
幸い、行きは3人掛けの真ん中が空席で、空間に余裕があった。
座り続けていると足がむくんでくる。ここのところ、手足のむくみがひどく、足首から足の甲までがぱんぱんに腫れあがったようになり、靴の着脱も痛い、足首を曲げるのも痛いような状態に苦しんでいた。
もしかして、スーツケースの上に足を置けばいいのでは?
行きは気付くのがちょっと遅かったので、帰りに試した。だいぶ、ましだった。

ホテルに着く。
なるべく駅の近くのホテルで、予算の許す範囲を探した。最近、リノベーションしたらしく、部屋の雰囲気のよさそうなところ。
徒歩5分が、私には途方もなく遠距離に感じたりするから困る。(これを書いている今も、徒歩10分ぐらいのところにある眼科に行くのを迷っている最中だったりする)
今回は複数泊だったので、ホテルに酸素濃縮器と酸素ボンベの予備を届けてもらった。
今回の宿泊先は、事前に酸素濃縮器が届いたことを連絡してくださり、設置場所なども確認してくださった。ありがたい。

今回の旅の目的は二つ。
1つは、アラブ料理を食べること。
もう1つは、これがメインなのだけど、国立民族学博物館に行き、友人に会うこと。
みんぱくは、関西育ちの私にとって、とっておきの場所。世界で一番好きな博物館である。なにしろ、楽しい。
メトロポリタンも、スミソニアンも、大英博物館や故宮博物院も行ったけど、再び行こうとしたら結構大変。
それらに比べたら、みんぱくは行こうとしたら行けるもん。九博も好きだけど、子どもの頃から行ったことがある点で、みんぱくのほうが上位の評価なのだ。

なにしろ、常設展が充実している。広いし、いろんなものがある。
子どもの頃のお気に入りは楽器の展示コーナーだった。
常設展を見て回るだけで時間がかかる。1日だっていられる場所だ。
万博公園閉園まで30分のアナウンスで、友達と慌てて走ったこともある。
中庭が面白くて、ソファにかけてじっと眺めていたら、警備員さんが展示室の電気を消してしまったこともあった。横にあったのは、アフリカのお面コーナーだっただろうか。ちょっと、だいぶ、怖かった。
万博公園に用事があるという友達について来て、私はみんぱくで時間をつぶしていたつもりが、数時間待たせてしまい、怒られたこともある。

今回はパレスチナやイスラエルのものが展示してある西アジアのコーナーを中心に見せてもらった。
ガザの華やかな女性の衣装の刺繍を見せてもらいながら、今の虐殺で、こういった文化も危機にあることに思いをはせた。
人の命と文化とどちらが重たいと言いたいわけではない。人が死ぬということは、その人たちの生活の営み、受け継いできた営みごと、失われるということだ。
ヴェトナムやカンボジアを旅した時には、戦争や内乱による教育の分断による文化の分断を感じたことを思い出す。
土地を耕し、実りを得て、飢えることや乾くことなく生活し、手仕事をしたり、物語や音楽を楽しみ、当たり前に生きることが、なんで奪われなければならないのか。
テロはいけないことだけど、虐殺は、民族浄化は、もっともっと忌まわしい。

もうひとつ、興味深く面白かったのが、コーヒーについての展示だ。
日本で最も古いコーヒーショップの看板に書かれた「煎豆湯」の表記。
たしかに、珈琲なるものが何かと知らない人にとっては、豆を煎った湯と言われたほうが、まだ、イメージが湧きそう。言い得ていて面白い。
でも、そのイメージってどんなものだったんだろう。煎豆というと、私は大豆が真っ先に思い浮かぶから、煎った大豆のお茶のようなものを想像したんだろうか。それとも、きな粉をココアのようにお湯に溶いたものとか?
それだけではなく、サウジアラビアのコーヒーの飲み方も教えてもらって面白かった。焙煎が浅い豆を用いて、スパイスと共に淹れる淡い色の液体。カフェインたっぷりのドリンク剤のような、生薬としてのコーヒーの飲み方。

アラブ料理の店で、最後に、カルダモンの香りのコーヒーをいただいた。
すっきりとさわやかなカルダモンの香りが鮮烈で、ここまで香りが前面に来るものは初めてだったように思う。
もう20年近く前になるけれど、私がイスラム系の料理が好きになったきっかけのお店があった。スーダン出身の御夫婦が営んでいるお店だった。
他にお客さんがいない時、だんなさんが、コーヒーをサービスしてくれた。御自分用に淹れる時は、普通のコーヒーではなく、カルダモンコーヒーを楽しんでいらした。そのカルダモンコーヒーをサービスしてもらった。
今はもうないお店のコーヒーの香りを思い出せないけれど、あの時、カルダモンやクローブが大好きになったのだ。

お店を閉じる時、スーダンのクローブをわけてくれた。
クローブをオイルに漬けて香油にして、香水のように使うのだと教えてもらった。
みんぱくの花嫁衣裳の展示で、花嫁の首にはクローブをぎっしりと束にしたものが飾られていた。
もしかしたら、女性として魅力のある香りのような位置づけなのかしら。
わからないけれど、そこに、文化として地続きの部分があるように感じて、連絡が取れなくなった知人を思い出させてもらえたことに、なんだか切ないような気持ちになった。
スーダンも、大変な状況が続いているエリアだから、あの御夫婦がなにごともなく、悲しいことが少なく、過ごしていてくださったらいいな。

憧れの知人を友人と呼べたことが嬉しく、会えたことはとても嬉しく、行けてよかったと思う。
プロに解説してもらえる贅沢は、かけがえのない体験だった。
でも、普通の話も、もっともっとしたかったようにも思った。
大河ドラマの話も、マンガの話も、もっともっと。
いつかまた押しかけようと思う。そのうち、また。

久しぶりに、太陽の塔を下から見上げた。
伊丹空港を使う時は、空の上から探すのも好きなんだけど、こうして見上げると記憶より大きい気がした。
いや、こんなにまじまじと見たことがなかったのかな。
どう見ても、インコ。そう思うと、とても可愛くなった。

あまりにも疲れやすくて、なかなか身動きができないし。
抑うつや意欲減退がひどくて、余計に身動きができないし。
むくんだ足が痛くて、身動きがますます億劫なのだけど。
酸素ボンベを持ち歩くのがうっとうしくて、治らないことが悔しくて、癇癪を起しそうな日もあるけれど。
自分の心の窓を世界に開いたままにしておきたい。


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