魔神ぷー(´・ε・`)

Madjinn Poo is latent and sometimes manifes…

魔神ぷー(´・ε・`)

Madjinn Poo is latent and sometimes manifest.

最近の記事

第一人称指示詞

まだ無防備だった頃の僕 すべてを敵に回す俺 哲学する私

    • 母との対話

      ある日の昼下がり、僕は母と対話をしていた。 「あなたがなぜ哲学をしているのか、私にはわからない」 母はそう言った。僕は母のことが好きで、母との対話が好きだ。ある問題に対して母が提出した答えがどれほどの妥当性を持っているのか、考えうる反論を提示し、再反論を検討し、それを吟味することが特に好きだ。時にはお節介に感じることもあるが、母にとっては興味のない哲学的議論を一方的に展開していることを思うと、まあお互い様だろう。 あとでわかったことだが、僕のそのような態度は、母には痛々

      • ボストークの氷核

        南極大陸の下に鎮座する、巨大な氷底湖ボストーク。存在が推定されたのが半世紀前。掘削による到達が数年前。神秘に充ちたその空間に、妖しげな光を放つ氷核を発見したのは、他でもない私と友人Kであった。 † 天然物とは思えない造形をしている。それがこんなにたくさんあるだなんて驚きだ。そんなことをKに云った。 「仮に人工物だとして、いつ、誰が造ったんだ。ここは文字通り前人未到だったんだぞ?」 Kが応える。だから驚いたんだがな、と云おうとして、ふとKを見ると、何かを思い出そうとしている

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        • 『非対称性の議論に関するメモ』の検討

          便宜上、この記事では「非対称性の議論」の四要素の表記を統一して(1)~(4)と記述する。 顔アカウント氏の議論を踏まえると、(1)~(4)はそれぞれ以下のように改訂*される。 なお、以下に登場する諸種の「𝕏-的存在」については、すぐあとで説明が為される。 *この記事そのものも、折を見て改訂される。 改訂された(1) 現にある主体(現-的存在A)に「苦痛が生じる」ことで、この世界における苦痛の総量が多くなるので、悪い。 改訂された(2) 現にある主体(現-的存在A

          サンタさん

          小学四年生の時分、私は母親に論争をしかけた。 「お母さん。サンタさんはほんとうにいるの?」 「いるわよ。いい子にしていればちゃんとプレゼントを持ってきてくれるわ」 「いい子にしていればプレゼントを持ってくるかどうかと、それがサンタさんであるかどうかは関係ないよ。白状するとね、プレゼントを枕元に置いているのはお父さんで、調達しているのは叔母さんなんじゃあないかと疑っているんだ」 「あらなんてことを云うの。まぁでもたしかに、サンタさんには不思議な力があって、私も見たことが

          「経験の可能性の条件」の論証(要約)

          第一段階第一命題(第一小前提) 統覚は概念的把捉の条件である。 第二命題(第一大前提) 判断は統覚の形式である。 第三命題(第一結論・第二小前提) 判断は概念的把捉の条件である。 第四命題(第二大前提) カテゴリーは判断の形式である。 第五命題(第二結論・第一段階結論) カテゴリーは概念的把捉の条件である。 第二段階第一命題(第一大前提) 空間と時間は経験の可能性の条件である。 第二命題(第一小前提) 概念的把捉は空間と時間の条件である。 第三命題

          「経験の可能性の条件」の論証(要約)

          名簿

          とある立食パーティーの名簿に私の名前がなかった。名前が見当たらないのだが、と受付嬢に云った。彼女に名前を尋ねられた私はそれに応えた。 ここにありますよ、と云うので覗き込むと「魔神ぷー」とあった。私は怒り狂った。 慌てふためく彼女は今一度名前を尋ね、私は震える声で再応答した。首を傾げる彼女に痺れを切らした私は、 机案に置いてあったボールペンに手を伸ばし、殴るように名前を書き足した。 ――「魔神ぷー(´・ε・`)」

          法律・宗教・そして道徳

          犯罪(crime)と罪(sin)犯罪(crime)は外的(法的)に発覚す(裁かれ)る。罪(sin)は内的(宗教的)に確証(告白)される。内的思考(信条)がどうであれ、外的振舞が法に触れていれば犯罪(crime)であり、外的振舞がどうであれ、内的思考(信条)が教義に反していれば罪(sin)である。 したがって偽犯や偽信は不可能である。超越論的なんちゃってビリティ(transcendental nanchattebility)がこの領域には存在しえない、と云ってもよい。偽犯の不

          法律・宗教・そして道徳

          『チェンソーマン』を読解する[第1話]

          犬とチェンソー多額の借金を残して死んだ父親の代わりに、債権者の下で肉体労働に従事する少年がいた。名をデンジという。傍らにはいつも、犬とチェンソーを足して2で割ったような愛らしい生き物――ポチタがいた。腎臓、右目、片方の金玉を売ってもなお、残された借金は3804万円もある。困窮を極める彼らの主食は食パンである。「普通食パンにゃジャム塗って食うらしいぜ」「まーオレたちゃ普通なんて夢の話だけどな」「夢ェ叶うなら女抱いてから死にてえな⋯⋯」――デンジはポチタにそう語りかける。 デン

          『チェンソーマン』を読解する[第1話]

          「解釈学・系譜学・考古学」を読解する――永井均の「幸福論」

          『青い鳥』の啓示①自分の生を最初から肯定できるということが「真の幸福」の根拠であり、われわれはそういう物語をいつも追い求めている。 ②「もともと鳥は青かった」というのは歴史の偽造ではないか――このことへの理解が「真の幸福」を明確に定義する。 解釈学の誤記憶不可能性・解釈学的探求とは、自分の人生を成り立たせているといま信じられているものの探求である。 ・(現在の)自分の人生を成り立たせている記憶が虚構であるはずはなく――もしそうなら自分自身が虚構となってしまう――自己解釈の変

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          「解釈学・系譜学・考古学」を読解する――永井均の「幸福…

          哲学的思索メモ1

          〈私の今〉と〈今の私〉 同時点の他者とのコミュニケーションによって〈今〉が客観化されることで〈私の今〉は死ぬ。 他時点の私とのコミュニケーションによって〈私〉が客観化されることで〈今の私〉は死ぬ。