ニンジャスレイヤー シーズン2感想文

■家族は大事
ニンジャスレイヤーシーズン2、先日読み終わりました、とても面白かったです。エピローグまで全部読んで、自分なりに感想を言語化できればと思いキーボードに向かい、タイピングしました。


■シンウィンターの根拠のない強さ
なんだかよくわからないけどすごく強くて、偉い。そして己がオトウサンであるとする。

あのスーサイドをカラテで分からせ屈服させたシンウィンター。なんとも恐ろしいニンジャでした。
シンウィンターの怖さは、「強さの根拠を明確にしない」ところにあるのかなと思いました。

ここで「強さの根拠が明確でないのに偉くて強い」存在について考えてみると
「オトウサン」がそういうものなのかなと。

オトウサンが家族で一番偉いとするならば、たとえばそのオトウサンが家の外で誰かに頭を下げていたとして、
すると必然的にそのオトウサンの家族は、オトウサンが頭を下げていた「家の外の誰か」よりも下の存在になってしまうのか?
逆にオトウサンが社長とか、先生とかなんかそういう偉い人だったならば、そのオトウサンに従う人々は、オトウサンの家族よりも下の存在なのか?

そういった、なんでしょう、肩書?にのっとった人同士のパワーバランスのふにゃふにゃした感じ。
このふにゃふにゃを、カラテでもってシンプルにしようとしたのがシンウィンターなのかもしれません。

つまり、オトウサンは強ければ強いほどよい。オトウサンが強くなればなるほど、その家族にも箔がつき、強くなる。
そして家族たちは、オトウサンのために奉仕する。その奉仕を受けてオトウサンはさらに強くなってゆく…。

思えばシンウィンターのジツは、オーロラのパワーによってシトカ全土を包囲する、あるいは1on1を実現するものでしたが、これは外の世界を考慮しない、家庭内におけるオトウサンのパワーを体現したジツなのかなと思ったり。

そもそもなんでオーロラにそんなパワーがあるのか… アラスカの、ユミル=ニンジャのニンジャパワーの詳細についても明確な根拠なんてあったもんじゃありません(し、あったとしても全然よくわかりません)

オトウサン=偉くて強い そこに明確な理由やら根拠やらは必要ない。
シンウィンターはそんなニンジャだったのではないかと思いました。


■ゾーイとカタオキ
愛じゃよ!愛!(窯じい風)

まずですね、カタオキはゾーイに対して明確に「保護者」および「メンター」の立場をとっていますね。
さらに、ゾーイの「反抗期」を容認している描写もあります。

ゾーイが健やかに成長することを願い、ゾーイが自分の足で世界を歩けるようになることを願っているのです。
たとえ心臓を貫かれようとも… すなわち愛なわけです。

本当にこの二人にはハラハラさせられました。
もうこの二人は親子といっても過言ではないでしょう、大好きです。


■シンウィンターとザルニーツァ
ニンジャは子をなすことができない… 0コンマ3秒さきの命もさだかではない忍殺の世界において、
子供を産み育てるというコンテンツは非常に間延びした、現実性のないものに感じられるがゆえに、
不思議とそこまで重大なペナルティでない気がしてくるこの設定ですが、シンウィンターにとってはそうでもなかったようでした。

それはシンウィンターが家族という概念に縛られていたがゆえなのか…私からはなんとも言えませんが
ともかくザルニーツァはシンウィンターより名前を与えられ、ニンジャとなり過冬随一のニンジャ戦士となり…

いやなんでニンジャ戦士になったのさ!

思えばザルニーツァは、本名を上書きしたものなのか、あるいはニンジャネームなのかはっきりしません。
シンウィンターが孤児院を訪れたときすでに彼女はニンジャとなっていたのか、あるいはその後特定の出来事ののちニンジャとなったのか
このへんはもしかして本編外でなにかしら語られていたりするのかな?

ともかく、ザルニーツァはモータルではありませんでした。そしてシンウィンターが言った「ただ与えたい」という感情について… これはよくよく考えてみると家族愛とか、父性というよりは

自身のカラテを継承すべくドージョー開く、いうなればニンジャ側の本能にのっとったものだったのかなーと思ったり。

ザルニーツァのもつ鮮烈なカラテ(まじでめちゃくちゃかっこいい!)が、シンウィンターのインストラクションによるものならば
シンウィンターの言うザルニーツァへの献身というものは、たしかにあったのだと思います。

ザルニーツァさん、シーズン2以降も登場するのかな… いまから楽しみなことです。


■マスラダとフジキド
フジキドはマスラダのセンセイではない…
マスラダにはマスラダの戦い方があり、また戦う理由がある
しかしフジキドにはマスラダに伝えるべきことがある
マスラダはフジキドを煩わしい、おせっかいだと思っている…

なんていうかすっっっっっっっっっっごくもどかしい、そして味わい深い距離感なことですね!!?

年上だから、カラテが優れているから、先代ニンジャスレイヤーだから…
そうした形式的な要素をいったん置いといてっ! 苦心しながらマスラダと向き合おうとするフジキドの奥ゆかしさが素晴らしい。

フジキドはマスラダのセンセイではない… センセイではないならいったい何なのでしょうか!!?

もしもトチノキが生きていたなら、だいたいマスラダ君ぐらいの年になっているのでは? というのは有名な話ですが
フジキドのマスラダ君への接し方が、そうした無意識のうちのイマジナリーがもたらしたもののような気がしてならないのであります。


そして話はそれますが、フジキドがナラクなき後も元気にカラテをふるっている姿を見るのはこう、不思議と胸が熱くなりますね。
彼にはまだまだなすべき使命があり、ふるうべきカラテがあり、強くなる理由も伸びしろもある! それは素晴らしいことです。


■ダグ、ジェシ、そしてリロイ
「ベイン・オブ・カトー」のエピソードで登場するジェシとリロイ、
うまく説明できないのですが、この二人の「チクショウ!」これが痛々しくも清々しい「チクショウ!」なんですね。

大人たちによって支配され、徹底的に押さえつけられてしまっていては、
理不尽な出来事に対して「チクショウ!」と悔しがることもできない… これはとても恐ろしいことです。

最終的にジェシとリロイの二人は、「チクショウ!」と言うことができた、
そしてダグのことを諦め、折り合いをつけ、納得する。そうしたことをしなくて済んだ。

自分にうそをつき、組織に、社会のシステムに順応していくことを俗に「大人になれ」なんて言いますけれども、
それは「ずっと子供のままでいろ」というメッセージとイコールなんじゃないかなと思いました。

「こういう局面では、お前のような几帳面な奴より、俺みたいなブッ飛んじまった奴の方が強いのかもな」
リロイがジェシに言ったこの言葉が特に大好きです、ありがとう、ありがとう…


■未来へ…
シーズン2がすごくおもしろかったので、シーズン3も読みます。
ツイッター連載は追えてないので詳しくはわからないのですが、
なんでも4本腕の明智光秀が出てきてインターネットを禁止しているとか…

とっても楽しみです!

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