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8月のふりかえり|たいていのことは〝たまたま〟なんじゃないか

2ヶ月にわたるワークショップ群が終わった。たまっている月報を書きたい。

8月◯日

大阪へ出張。同じタイミングで来阪していた友人+橋本久仁彦さんの4人で、天神橋の店で飲み食いする。

以前Twitterに「いい店を教えて」と書いたところ、ある人が薦めてくれたお店の一つで、小柄な若い女性が切り盛りしている。たまに食べに行くようになって一年。その間に「もう一つお店を出して、大変です」と聞き、今回「もう一つお店を出して大変です」と聞いて、小柄なのに…と驚いた。身長は関係ないか。

街場の小さなチェーン展開。私は「まちに〝従業員〟が増えて〝人(個人)〟が減ってゆくのはつまらない」という理由でチェーン店の増加には不満があるが、もちろん彼女の経営に不満はない。
美味しいし。少量で、味付けがやさしい。帰宅前の近所のOLさん(?)や、電話の子機を片手にした隣近所のご高齢者が来てくつろいでいる。「ととのう」というお店です。

友人2名と橋本さんは死について熱く語り合っていた。私は「死ぬ前に死を考えるのはあんまり…」と話したところ、「西村さんはもう死んでるからそんなこと言うんじゃないか(笑)」と返された。思わせぶりなことを気軽に言わないでください。

8月◯日

帰りがけ、京都精華大に寄って伊藤ガビンさんに会う。「書くワークショップβ」用の私的インタビューで、「どんなふうに書いてます?」といったあたりを根掘り葉掘りきいた。この一部始終はたいへん面白く、一ヶ月後、陸前高田に集まった数名と泣いて笑いながら輪読する素敵な夜に至るのだけど、それはまた別の話。

ガビンさんの「書き方」は7年ほど前の奈良のフォーラムでもすこし聞いていて(『わたしのはたらき』に収録)、そこでは「自分の意志を信じていない。システムにして、日課のように数多くやるのがいい」と語ってたが、今回は「でも日課ができない人もいるし」という立ち位置に移っていた。

彼の話は、聞き込んでいくとだいたい「ダメな人が、どう生きてゆく?」という地層にあたる。ここはあまり変わらない。

多くの場合〝包摂〟は社会的弱者へのまなざしとともに語られるが、彼の場合、どうしようもないただのダメな人や、ご本人が包含されている。その語りを耳にしていると、胸の中に「救済」という言葉が浮かんでくる。

自分の仕事を後生に残す意欲のあるやなしやの先で聞かせてくれた、「僕、坂本龍一さんが亡くなって、ま『めちゃくちゃ仕事してたんだな』っていう驚きをあらためて感じたのと、あとね、人といっぱい写真撮ってて。で、みんな肩組んでる。ことごとくこう肩を抱き寄せた写真がいっぱいあるんですよ。それ見て凄いなと思って(笑)。こんなに肩を抱き寄せてたのか!(笑)」という言葉が印象に残った。

「生きた痕跡として、ああいうのはいいもんだなとちょっと思いましたね。自分がつくったものっていうより」(ガビン)

8月◯日

自分の人生に意味はなくていい(ガビンさんの話の余韻)、でも「どうでもいい」わけじゃない。
思うところあって、クイーンズメドウ・カントリーハウスのオーナーにあたる今井隆さんにインタビュー。書籍化を前提にしていない、まだ個人的なもの。今井さんはあまり表側に出てこない人だ。

8月◯日

熱海のご自宅を訪ね、田瀬理夫さんのインタビューも。クイーンズメドウの成り立ちと、今後にむけた想いをきく。

8月◯日

再び関西。奈良へ行く前に大阪で一泊。淀屋橋を歩いていて大阪倶楽部の前を通りがかった。大学一年生の春休みに西日本の古い洋風建築を見て回ったのだけど、その際に寄って中を見せてもらった建物だ。人の出入りがあり、いまも生きている感じがした。

以前は1階の左手に撞球場があった。スタッフの女性が「金嶺さんのお孫さん?」と優しくしてくれた記憶がある。私の祖父は松山金嶺というハスラーで、20世紀前半に米国で活躍した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/松山金嶺

8月◯日

奈良の県立図書情報館で、友廣くんや乾さんやゲストの方々と2日間の「BOOK, TRAIL」。この3回目で私の関与は一区切り。

ブックイベントだけど本を推すわけじゃない。本を通じて自分の話を交わし合うプログラムで、今回の書籍はこちらにまとめた。

乾さんが磯野真穂さんの『急に具合が悪くなる』を取り上げながら、「私たちは〝因果関係〟で物事を理解しがちだけどその考え方はいかがなものか」「たいていのことは〝たまたま〟なんじゃないか」という話をしていて、二ヶ月経ったいまも「大事なこと聞いた」と思う。

昨年7月から計3回の「BOOK, TRAIL」を通じて「現在の私をつくった一冊」を何度も選びつづけた結果、片岡義男さんに出会い直すことができたのは大きな収穫だった。『窓の外を見てください』(2019)を読んでください。驚くと思う。

文章を読むとき、私たちは「内容」と「文体」の両方を同時に体験している。前者が歌詞で、後者が声やメロディやアレンジだとしたら、文章の形をしていてもそれは音楽だ。レコードに針を下ろすように文字を目でなぞりながら、ある曲を体験する。

8月◯日

「こないだは昔話が多くて、よかったのかな?と思って…」と連絡をもらい、今井さんと二度目のインタビュー。先へ向かいつづける年上の姿に励まされる。面白い先輩は、何歳になっても大事。

8月◯日

昨年12月に旅先で逝ったサウンドバムの仲間・岡田晴夫さんが、世界各地で録ってきた音を一緒に聴き、彼のことを語り合う、40名ほどの小さな場をひらいた。半年ほど準備した2時間。

この日のことは別途 Diary に書きたい。 >書いた(2024年1月18日)

生きている間は安心していて、そんなに会う時間をつくろうともしないのに、亡くなると急に寂しがるなんて自分勝手だなと思う。

8月◯日

神奈川県立近代美術館「吉村 弘|風景の音 音の風景」展へ。関連イベントの一つ、トヨダヒトシさんのスライドショーを観に行く。トヨダさんは安定の非迎合感で投影後の館長対談がよかった。『こういうこと言って欲しいんですよね?』という、空気を読んだ言葉を慎重に口にしない。

彼のことは以前すこし Diary にも書いた。とても好き。

会場で、古い年下の友人夫妻とバッタリ会い、終了後、駅前までお喋りして帰る。で「ご飯でも食べようか」という話になった。事前に連絡を取って待ち合わせて…でなく、偶然会って、互いに「時間ある?」という流れでお茶したりご飯を食べたりするのは最高だなと思う。あらかじめ身構えるものがないのはいいなあ。

そういうことが起こりやすい街の規模感ってあるよな…と思いながら「Cy」へ。先月も別の友人が案内してくれた小さなお店で、生玉葱がどっさり出てくるから個人的に緊張するが料理はどれも美味しい。

この友人夫妻と初めて会ったのは、ICCのレクチャーで話したあとだったと思う。25年前か。まだ結婚していなかったはずだけど、同じように二人並んで、満面の笑顔で話しかけてくれた。
その後も付き合いはあったけど直に会うのは十年ぶり? この間の人生の、大変だったことや、面白さ、納得感を、弾んだ口調できけて嬉しかった。「いろいろあるけど頑張ってます!」という感じ。私たちも同じだもの。

二人は、東京と鎌倉に家がある。男性の方は私が最初の本『自分の仕事をつくる』を書いたとき「この人にむけて書いてみよう」と思い浮かべた想定読者の一人で、そのことを伝える機会はこれからもないだろうな…と思いながら街角で別れた。温かい夜だった。

8月◯日

三軒茶屋の生活工房で、「羽根木プレイパーク」の歴史を切り拓いてきた天野秀昭さんの話をきく貴重なひととき。たとえば「自由と自治は不可分で、でもその自由が『勝手にやる』ことのように勘違いされやすい社会」といった言葉に頷く。

プレイパークが育んできたものの一つに、子どもが「その場にあるものでなんとかする」力があるとしたら、これは大変な社会資本なんじゃないか。

「なんて素晴らしいんだ」と思いつつ、近所にあったら行ったかな?と思う。たぶん行ったけど、よその家の犬と塀越しに仲良くする時間の方が自分は好きだったかも。人間以外のものと一緒にいる時間が、子どもには必要だと思う。

近隣住民の苦情や批判が生じやすいプレイパーク運営の中で、彼らはマメな声がけを心がけてきたという。けど最近は共働きの夫婦が増えて、昼に家を訪ねても話が交わせなくて…という具体的な難しさも聞かせてくれた。
「こうした子どもの遊び場が求められていなくて、(地域に)自治もないとしたら、なくなってもしょうがない」と天野さんは言う。ドライで現実的。でも、ただ夢を見ていたわけじゃないからあれだけのことを形に出来たんだなと思う。

8月◯日

書き方をめぐる私的インタビューを、植本一子さんとも交わす。

最近機会があると他人の「書き方」を訊いているが、どの人もみごとにちがう。
普段からメモを取る人、取らない人。朝に書く人、いつでも書く人。縦書きの人、横書きの人。音読する人、しない人。

共通しているのは「文体は大事だと思っているが、それについてきちんと語れる人はいない」こと。文体とはなにか? も、本人のそれについても。

8月◯日

吉祥寺で「Concert for George」をみてエリック・クラプトンの株が上がる。言葉でなく音楽でジョージ・ハリスンを偲ぶ態度に、2週間ほど前のサウンドバムと岡田さんの集いを重ねた。

ゲストとして登場したポール・マッカートニーが、ジョージの素敵な逸話と曲を披露しながら、ステージ上の他のミュージシャンやコンサート全体を少し引いて見ている感じがした。
「君たちとは違う」という感覚があったんじゃないか。舞台袖でリンゴと言葉を交わした瞬間の彼のまったくガードの外れた表情を見ながら、勝手ながら少し気持ちがわかる気がした。数年前の渡辺保史さんを偲ぶ会を思い出していた。


こうしてふりかえると、今月は死や、亡くなった人をめぐる話が多い。

前に、みんなの質問をたずさえて「森のイスキア」に佐藤初女さんを訪ねたとき、「亡くなられた後の運営をどう考えていますか?」という問いについて彼女は、

「いまを生きる」ことでいますので、考えていません。なにも考えてない。(中略)必要ならつづいていくし、必要でなければそれで終わってもいいんですよと答えています。
 「息子にあとを」と考えるのが普通かもしれないけど、わたしはそれも考えなかった。そうしたら亡くなったでしょ。もしわたしが「息子を息子を」と考えてたら、亡くなって、また「どうなるの?」となる。それはわからないことだから、本当になにも考えていない。

わたしのはたらき』(2011)

と答えてくれた。
なにも計画できない。どうなっても構わないけど、どうでもいいわけじゃない。生きている実感は十分にあるといいなあ。