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【俳句】鶴

   啼くや朝白煙立つる田鶴の息    梨鱗

「俳句詠みは嘘つきの始まり」と云うそうです。
見たこともない景物を歳時記から拾い、
見てきたかのように詠む。
かく言うわたしも、実物の鶴を見たことはありません。

テレビや動画で見る鶴は、調和のとれた美そのものです。
首もくちばしも脚も、細やかに。
おまけにその脚は複雑な弦楽器から
佳き音を拾うかのように、雪上へ慎重に置かれます。

生き物たちが今こうして在るのは
ただ今生を生き残り、子孫を残すためだけに
淘汰をくり返した結果。
それなのに、こんな華麗な造形に選ばれた鶴。

その姿は、ひょっとしたらバグの集積なのですか。
今生を生き残り、子孫を残すためだけに
翼も持たず、敏捷な脚も屈強な牙も捨てた人間。
その有りあまる時間を、奇妙な習慣や俗悪な快楽で
満たすよう命じる脳のように。

鶴ばかりが生息する地へ行ってみたくなります。
雪中で彼らだけを見て、詩も思い浮かばない仮定の未来。
そんな光景が欲しくなるのは
そうですね、例えばこんな時かもしれません。

「あのう、そこの
歩きながらスマートフォン操作をしている方々、
なんなら、車道を歩いてくれません?」

   鶴かぞふ芥の街にまなこ閉ぢ




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