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涼しくなろうよぉ、の巻

中世の歌人・藤原定家の和歌に、夏の都の真のあり様を詠んだものがあります。


              行きなやむ牛の歩みにたつ塵の風さへあつき夏の小車


牛車の車輪から煙がもうもうと立ち上がり、遅々として進みません。
そんな大路を歩くのも厭ですが、牛車に乗ってもサウナ状態でしょう。
この歌、時代に早過ぎて酷評でした。(※注記)

というのも日本の伝統的な美意識では
夏は涼しさを愛ずるもの、という公式見解があったからです。
暑さを正面から歌に詠むなんて
無意識レベルで拒まれるタブーだったはずです。
その様式を打ち破った定家の詩才、いえ詩魂。
素晴らしいと思いませんか。

しかし。
現代でもこの歌は、好悪が分かれるようです。
たしかに美という点での調和は欠いています。
それは先駆的な作品の宿命です。

でも、僕は妙に気に入りました。
詩は、美しさばかり詠まなくてもいいんじゃない?と思います。
定家さんもそう思ったのかもしれませんよ。
(と、見て来たような嘘を言う)

定家さんは、そんなに出世できる家柄ではありませんでした。
性格も、ヘンでした。
人から好かれないタイプです。
蒸し蒸しジトジトした牛車の中で、
汗でグチョグチョになって、いろんな不満がぐるぐる回って、
顔に塗った白粉なんてドロドロで、キレイゴトばかりの穢い世の中に
「バカじゃない?(烏滸なり~!)」(お扇子バキッ)
と思ったからこんな歌が出て来たのかもしれません。
(でもそうだとしたら、定家さんもキレイじゃないと思うなあ)

という流れなのに、申し訳ありません。
今回は「涼しむ心」で拙句をご用意しました。
(えー?)

だって暑いの、苦手なんだもん。

僅かばかりですが、ご笑覧下さい。

    うすもののすぎしあたりを水匂ふ    梨鱗


    まなうらに森は深まる夏雲雀       同




※注記
定家のこの和歌が詠まれたのは、1196 (建久七) 年。
勅撰集「玉葉集」に採られたのは、100年以上後の1312 (正和元) 年ですが、その時代ですら「歌苑連署事書」という書で、この歌がヘンだと主張されました。

なお記事の中では、実景に即して詠んだかのように書きましたが、じつは「韻歌百二十八首」という題詠歌のうちの一首で、内大臣・藤原良経の屋敷で詠まれました。
(安藤次男『藤原定家』講談社文庫より)
      


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