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ついにその眼は海を見る

夜の散歩がたのしい秋です。
虫の声を聴きに、すこし足をのばしましょう。
この町はさいわい、田んぼや畑、それに疎水があって
虫の声には事欠きません。
 
そうは言っても、幅広の河に架かった橋には
ひっきりなしに車が走っています。
 
橋の上から見下ろせば、河をはさんで左岸と右岸
それぞれの岸辺から、それはそれは
命を削るような烈しい虫の音が聴こえます。
まるで対岸の虫と競うかのように。
 
けれど果たして、左岸の虫は右岸の存在を
右岸の虫は左岸というもう一つの世界を
知っているのでしょうか。
 
人なら5分もかけずに渡れる橋を
虫が、車と人をよけて渡ることは出来るのでしょうか。
川幅も、虫が飛んでいけるのかどうかという広さ。
眼の前を流れるはげしい水のさきに
もう一つの広大な世界があるということを知らぬまま
虫は死んでいくのかもしれません。
 
ここにはいられないという考えに
虫も取り憑かれるのでしょうか。
河の向こうに渡れなくても、岸辺の草を伝って
下流へ下流へと向かう命だってあるかもしれません。
 
鈴虫、松虫、こおろぎ、草雲雀
それらの命は、生まれたその年かぎりで尽きるそうです。
けれど。
幾世代もかけて、ついに海を見る虫だとて現れるのでしょう。
列島が大陸とつながっていた時代の
先祖の旅を記憶した遺伝子が、虫を動かします。
河を超えられない虫は、けれど海には辿り着けるのです。
 
そんな空想にふけっていたら
ぼくの暮らしなんてつまらないものだ、と思えるのです。
どこにも行かず、めったに新しいことも始めず
なにも足さない代わりに、何も減らない。
満足でも、不満足でもない。
さらさらした夜風みたいに軽い暮らしなのです。
 
 

   灯は波のすがたに流れ虫時雨    梨鱗



 
 
 
 

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