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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―55―


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   第 四 章
  運命さえまだ知らない いたいけな瞳の少女

「わかんないじゃない。もう! 腹立つー」
 桃子が地下防空壕の外部監視室で、不安と焦燥にかられて地上の様子を探っています。ですが初めて使うコントローラーの操作や、カメラの位置関係を正確に理解していないので、もどかしさがつのるばかりでした。
 
 爆発の閃光と交叉する曳光弾の明るさに幻惑されて、カメラの画像は一瞬真っ白にかわります。隣のモニターの地上設置カメラを向けようとしても、死角になっていたりして思うようにできませんでした。モニターに椅子を投げつけそうになりましが、この地下防空壕から地上の様子を見るのは、この方法しかないので彼女には珍しく堪えます。
 
 ようやく、蛸薬師小路たこやくしこうじ邸の襲撃する敵の様子をカメラが捉えました。邸宅のある丘陵をくだった西側のもう一つの丘陵凸部裏側から、さかんに曳光弾の光跡が伸びています。
 ですが薄暮の微かに残る夕日の名残を受けて、カメラは西空の明かりに自動的に露出を合わせてしまっていて、曳光弾の発射地点は真っ暗にしか映っていません。手動で露出を変えたら簡単に解決することなのですが、カメラというものを未だまともに使ったことのない桃子に求めるのはこくというものでしょう。
 
 彼女は、カメラを赤外線暗視機能に切り替えます。曳光弾の光跡が赤やピンク色に眼をくらますことに変わりませんが、他の熱源が多数浮かび上がってきました。曳光弾を発射しない銃手と発砲の熱源が、疎らに散っています。その背後の低い丘陵の向こう側から、赤い球体がいくどとなく発射されています。

 赤外線画像では、温度が高いほど赤く表示されるので、その熱源は砲のようなものから発射されていると容易に想像できました。しかし、その砲は丘陵の向こう側なので、見通せません。カメラを左に、つまり南西方向に振ると、ワゴン車とコンテナ・トラックの車列が……、そう、まだボンネットの余熱を赤外線カメラが拾いました。コンテナトラックの三台はエンジンがまだかかったままなのか、赤色にちかいオレンジ色を放っていました。車外後部にも小さく真っ赤な熱源が複数カ所、地上に散らばっています。まちがいなくポータブル発電機なのでしょう。
 
 この三台の車列のまわりに、人体と判る熱源が小さくうずくまっていました。その数は五つ、トラックの向こう側はここからのカメラでは捉えられませんので、裏側にも五人前後の襲撃者が控えているかもしれません。彼女はここが襲撃グループの指揮所だと判断しました。
 
 そうすると、この襲撃グループの人数はあの廃工場の襲撃グループよりかなり大規模になってしまいます。それに砲らしきものを数門備えていて……。あの大型コンテナ・トラックの数からすると、いま見える人数と砲だけではすまないと、も想像できます。外界の音を拾えればもっと状況が判るかもしれませんが、本来の核シェルターという性格上マイクは不要な機能なのです。ただ入口の通話用マイクがあるだけでした。
 
 彼女の怖れがつのります。
 カメラを再び通常光モードに戻し、邸宅の全周を観察しました。
 それはそれは平和なものでした。
 ありふれた盛夏の夕暮れ。はるかな生駒山頂の航空灯の点滅。遠くの団地から洩れる小さな家族の団らんの照明。国道二四号線に連なる自動車のヘッドライト。道沿いに並ぶスーパーマーケットや居酒屋の大きく高く明るいネオン。遠く北の夜空を染める都市の明かり。のどかな日常の夜景でした。
 
 待ち望んでいるパトカーなど緊急車両の赤色警告灯などは一つもみあたりません。蛸薬師小路邸の周囲をのぞいて、平穏そのものなのです。
 こんな騒ぎが起きているのに奇っ怪なことでした。
 
「クソッタレ! この国のや自治体は何をしてる! 無能ども! 優良な納税者を見殺しにするのかよ!」と悪態をついていました。なお補足すれば、お爺さんはマネロンや度を過ぎた節税によって税金はほとんど払っていない事実は、ここでは横においておきましょう。
 
 別のカメラでお婆さんたちが立て籠もる司令棟の様子を見上げました。三階から時々発砲がありますが、その回数は少なく、それも数分間隔です。司令棟のまわりの掩蔽壕えんぺいごうからも発砲があるますか、これも疎らです。ロドリゴたちが必殺の秘密兵器のように言っていた九二歩兵砲の隠蔽場所あたりにカメラをパンしますが、いくら待っても発砲がありません。赤外線モードに切り替えても、発砲したような温度の高い熱源はありません。
 
「源さーん。来てー!」と桃子が振り返って室外へ叫び、助けをもとめました。

 桃子の背後でモニターを覗き込む源さんに、彼女は画面を指差しながら外部の状況を説明します。
「攻撃が思ったより大がかりで、大人数で装備も揃っていそう。こんな大事件になってるのに、警察や消防の影が一ミクロンもないわ。わたしたちを見殺しにするつもりなのよ。きっと。どうにかしなきゃ……」桃子は泣き出しそうになっています。
 
「ここは大丈夫じゃ。外かららは絶対入り込めぬわ。安心せい……」
 源さんはそう断言するものの語尾がつまり、声調に勢いが失せていました。
 
「これを見て。司令棟から反撃できていない。もう時間の問題。お婆さんは、政府がいずれ介入してくるから時間が味方と言ったけど、そうじゃなーい! まったく動いてない。時間は敵。長くは持ちこたえられない。わたしたちは祖国から見捨てられたのよ。……お婆さん、エリカやロドリゴが死んでしまう。なんとかして。どうにかならないの」と、彼女は司令棟のある丘を見上げるように位置調整したカメラのモニターを指さしました。
 
「……」
 源さんは、答えません。
「降伏するのよ。命だけは助かる。国から見捨てられたのだから、敵は目的を達したのよ。もう蛸薬師小路家の影響力はない。全財産も投げ出して、みんなの命だけを助けるのよ」
 それは哀願のようでも、最後の幻の希望に取りすがっているようでもありました。
「お婆さんに、全面降伏するように説得して。すぐに」

 この地下防空壕から司令棟へ、いや外部へ連絡する手段がありません。有線ケーブルも、送信できる無線機も最初から備えていないのです。ただ、外部の様子を窺うためにカメラとテレビ、ラジオと無線の受信器が備わっているだけでした。
 
「あそこまで行ってもいいが、あの婆さんは降伏なんぞ、ぜったいしないぞ。彼女は蛸のじいさんなんかより、よっぽど気が強いし、頭も切れる。何か密かに用意してるのは間違いない。それに爺さんから連絡がなかったのも、なにか大きなことを企んでいるにちがいない。九回裏ツーアウトからの逆転満塁ホームランかハット・トリックのようなことを仕掛けているに違いない」と、細々とした声で語りました。
「もう時間がなーい。なんとかして源さん」

 こんな切迫する会話をする二人の後ろで、ヒロコーが子供たちを相手に下手なラップを歌っています。さきほど桃子が、避難者の気を紛らわすために彼に命じたものですが、彼女は横にあった金属製の丸椅子を取り上げて、黙ってヒロコーに投げつけました。彼の顎に見事に命中し、あわれにも卒倒してしまいました。
「うるせーぞ、ヒロコー! チンコ切って外へおっぽりだすぞ」
 会議室Aは冷凍室のように静まりかえりました。

「たしかに時間がない。なんとかしないとな。ワシが婆さんのところへ行って話し合ってみる」
「大丈夫? あそこまでたどり着ける?」
「なーに九十年以上前に、ガ島やインパール、レイテでも生き延びたからな。もっと砲爆撃があっても生き延びるわ。それにここの掩蔽壕と交通壕は、昔のより深くて頑丈じゃから、なんとかなる。とにかく行ってくる。心配するな」

「気をつけてね。それとわたしに武器をとってきて。お願い」
「武器の方は、蛸の婆さんが死んでも渡さんじゃろうが、言ってはみる」こう言い残して、桃子の側を離れました。
 桃子は、源さんの後ろ姿を見送りながら、ヒロコーに叫びました。
「ヒロコー! いつまで寝てんの? 源さんのために防爆大扉をあけるのよ! 寝ている暇はなーい。こらー起きろ」
 
 桃子は源さんの戦歴が平生の説明よりもう一つ、レイテ島と増えていたことに気づきませんでした。また、あり得ないこの従軍話が万が一本当だとしても、最若年でも齢百歳を超えることになることも。
 
 彼女は再びモニター群に向き直り、敵の主攻方面を注視しました。四台のミニ・バンかワゴン車が正門の方へゆっくりと進んできていました。その先頭車は、正門へのゆるやかな坂に差し掛かると、突然四散しました。続いて、最後尾のワゴン車のボンネットに小さな爆発が起こり、停まり、しばらくして発火し爆発しました。
 
 彼女が司令棟方向に向けたカメラのモニター画面を注視すると、三階の窓から、大口径銃器の発砲炎らしきものの名残と、盛大な埃が吹き出していました。三分以上おいて今度は四階の端から同じような発砲がありました。場所を変えながら対物ライフルを発射しているのでしょう。そして先頭車は遠隔操作の地雷を発火させた被害にちがいありません。
 
「そこの三人。テレビ放送とラジオ、それに警察無線を傍受して外部の動きを探って。特に警察。要約メモを渡して」
 会議室Aの隅で固まっている”迷惑もハローワークもあるかい”が口癖の『元気なお兄さん』たちに指示しました。日頃は威勢のいい『元気なお兄さん』たちも恐怖のために萎縮していて、要約メモの作成方法や警察無線の傍受解読方法などはまったく知らない、と不平を言うこともなくのっそりと立ち上がりました。きっと従業員の中のエンジニアやアナリストが助けてくれるでしょう。
 でも、彼らが明るい照明のしたで注意深く桃子の表情を観察したら、ただならぬことに気づいたでしょう。
 彼女は、下唇を強く噛みしめうっすらと出血し、両眼は血走り指先は小刻みに震えていました。桃子のこれまでの生涯ではなかったことです。
 
(つづきます)

冒頭の図は、「護良親王出陣図」部分

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