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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―54―

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 第 四 章
  少女よ 神話になれ!

 先に避難していた従業員の子供たちが、「桃子おねえちゃん」と黄色い声をあげて群がりよってきます。大人たちは雇用主の孫娘が一緒に居ることに心底安心しています。なぜなら、眼球とコンタクトレンズの間に入れても痛くないとお爺さんが可愛がっている桃子が避難するということは、この邸宅の敷地内で一番安全であることが担保されるからです。
「みんな、安心してね。ここにいるのは数時間だけだから、楽しく過ごす方法を考えましょう」と、わざとにこやかに呼びかけました。
 しかし、この明るい呼びかけとは裏腹に、ほんの一時間前に最高警備主任に昇格したばかりのヒロコーを物陰に呼び寄せ、小声で指示しました。
 
蛸薬師小路たこやくしこうじ家専用になってる会議室Bにベッドを十くらい移して。それと医療経験のある人を探して。……会議室Bを臨時野戦病院にするの。あと、元気なお兄さんたちを使って通路屈折部の防護扉の後ろにバリケードを築いて。防爆大扉を突破侵入されても、ここまで来るのを数秒でも遅らすようにする。わかった……もう一つ……みんながリラックスできるようにヒロコーがなんか面白い芸をしなさい」という的確な指示でしたが、急な昇格後のヒロコーにとっては重荷で、特に最後の面白い芸などは思い浮かびません。とにかく彼は、いまや部下になった年長の”迷惑もハローワークもあるかい”が口癖の元気なお兄さんたちに、恐る恐る指示します。
 
 桃子は、従業員とくに子供たちに愛嬌を振りまくのが一段落すると、入口のラックに鎖で固定してあるシェルター使用説明書を開きました。すべてのページがラミネート加工され、硬い大きなインデックスがつき、後ろのほうには安全性確保のためのチェックリストが何枚も閉じられていました。厚さ二十センチ、重さ四キログラムはあろうかという、とんでもない代物しろものです。
 
「お嬢、読むまでもない。ここに全部はいってる。ついさっき全部確かめて異常なしじゃった」と、横から現れた老人が自分の額をつつきました。
「あっ、源さん。どうしてここに居るの」
「ここはワシの地所だから別にかまわんじゃろ。お嬢。それに家よりここの方が安全だからな」

 源さんとは、この屋敷に自由に出入りして、芝生や庭園、樹木の剪定、ほったらかしで誰も顧みない小堀遠州風茶室や鎮守の社の修繕などを行っている老人ですが、庭師や庭丁には似つかわしくない格好をしています。
 遠くの自宅から毎日通っているのですが、厳しい警備にも拘わらず勝手気ままに出入りでき、お爺さんの居室まで勝手に入り込んでも誰も咎めようとしない謎の人物です。
 屋敷内のことなら、鼠の巣穴ひとつまでも知り尽くしているということでした。年齢は本人の言うところでは百二十歳ということで、ここ数年ずっとそのままのようです。また本人は、大東亜戦争に従軍したと、細かな体験を語るのでした。

 いつからここに出入りしているのか、お爺さんとお婆さん以外は知りません。そもそも源さんとか源じいと呼ばれていますが、誰も姓名を知りません。本人は源三位頼政の直系の子孫で、ワシが源氏の唯一の嫡流で、頼朝、足利、徳川なんぞは紛い物、本来ならばワシが征夷大将軍と日頃から公言しています。決して決して、パチンコ台の『大工の源さん』由来の安直なネーミングではありません。

 年齢や従軍などの真偽はともかく、彼がこの邸宅内で自由気ままに振る舞えるのは、お爺さんの親族、ことによっては従兄弟ではないかと噂されていますが、誰一人確かめようとしない不思議な人物でした。

「えっ、どういうこと」桃子は、この緊急事態の只中でも、興味を引きつけられる話なので、ページをめくる手を止めてしまいました。
「ここのほとんどは、ワシの地所で蛸薬師小路の糞ガキに貸してるんじゃ。建物も三棟ばかりな。契約相手は外国の聞いたことない国の、訳の分からんペーパー会社。蛸薬師の糞ガキの節税対策じゃ。あいつが持っている土地は、ここでは十坪くらいしか持っとらん」と、意外なことを口走りました。

「この核シェルターもワシがこしらえさしたさかい、なんでも知ってるわ。何でも聴け」と源じいは言うものの、桃子は半信半疑でした。
「外の様子を知ったり、連絡するにはどうしたら? 水と食料は十分にあるの?」桃子は、源じいの予想外の説明に気を呑まれて、変な口調になってしまいました。
「外部監視用モニターがある。外にカメラは十カ所、全方位わかる。気圧、外気温も湿度も風向も、肝心の放射線量もここから分かる。各バンドで外部通信受信もできる」こう言って彼は、南壁の隠し扉を開きました。

 そこは大きめのウォークイン・クローゼットという狭さで、壁の二面を占めるちょっと古いモニター群と、様々なボタンとツマミを狭い前面に押し込んだ使い方の分からぬ機器が押し込められています。源じいが、ゲーミングパソコンのような黒い筐体の電源を二つばかりいれますが、機器はどれ一つ反応しようとせず、ブーンという低音がするだけです。
「起動までは時間が少しかかる。モニターや通信機の調整は、ワシがあとでやっておくから心配するな」

「こっちには」と源じいが外部監視室を出て、会議室の反対側の壁を指さしました。
「水と食料は三十人✕五十日分。会議室Bの奥にある。ワシが一月ごとにチェックして入れ替えてる。発電、浄水、換気はその奥。重油と灯油のタンクはその下。ただ風呂はない、シャワーだけ。他に聴いておくことはないか?」
 彼女は、源じいの解説を信じました。部分的に知っていたタンクの位置などと符合するからです。
 
 彼が長々と説明する防空壕の細目はさておき、要点は次の内容でした。
 ……緊急用脱出口二カ所が地上からは識別不能な場所に隠されている。熱交換システムの補助として、地上に換気口が数カ所隠されている。もちろんこれには放射性降下物、生物兵器や化学兵器対応可能なフィルターで外部環境からシェルター内は防護されている。
 さらに、外部大気の放射線量、有毒ガスをチェックするセンサーが外部にあり、また監視カメラ、通信アンテナが昇降式で設置されている。

「ありがとう」
 桃子はこう返事をしたものの、お婆さんやエリカたちの安否が心配でした。この地下深い防空壕では外部の銃声や爆発音などは一切届きませんから、外部監視用カメラで確かめるほかに術はありません。彼女はモニター室へ戻り、源じいに使い方を教わるつもりですが、機器はまだ起動していません。
 
 さて、このころ地上はどうなっていたのでしょうか? 薄い夕日が残った蛸薬師小路家の敷地内が血に染まり、お婆さんやとっても危険なメキシコ人のお兄さんたちのバラバラになった死骸が散乱していたのでしょうか?
 
(つづくよん)

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