再受験に成功するまで気づかなかった、メンタル面の話

再受験に成功するまで気づかなかったこと。
再受験に成功して、初めて気づいたこと。
どんなタイトルにするか、ちょっと悩みました。
まぁほぼ同じようなものなんですけど。

今回は、勉強法や受験云々といったお話ではございません。
ここ最近感じる、謎の落ち込みや鬱々とした気持ちについて書きます。
受験生だった私に伝えてあげたいことでは、一応あります。
が、受験に関する具体的な情報を得たいという方は、すみません。

完全にエッセーのようなブログのような、軽いノリです。
内容はやや重いかもしれません。
曇りの日の暇つぶしや1日中雨だった日の夜などにちょうど良いかも。
いや、そこまで重くはないか。
書いているとよく分からなくなってきます。
メンタル面のお話なので、メンタルよわよわ仲間かも〜!気になるかも〜!って方は読んでいただけたら幸いです。

ですが、今現在苦しい気持ちで受験勉強などされている方、目標が達成されたら、そしたらこの苦しさはなくなる…!この苦しさからどうにか開放されて新たな自分になりたいのだ…!!という思いだけで頑張っていらっしゃる方は、もしかしたら、閲覧注意かもしれません。

それでも読んでみたいと思っていただける方は、あくまで私の個人的な話なので、フィクションだか何だかと捉えていただけたらと思います。


結論から書きます。

ズバリ、「医学部再受験に合格したからといって自己肯定感は上がらない」ということです。

直前に書いたような頑張っていらっしゃる方は、もしショックを受けられたらごめんなさい。
ご自身には当てはまらないかもしれません。

一方で、いや当たり前だろ(笑)と思う方もいると思います。

合格くらいでそんな効果があるわけないだろ、
そもそもそんな気持ちで医学部を目指すな、
といった、まるで野党のヤジのような声も聞こえますね。

あるいは再受験に成功したことによって、
「医者になって人生大逆転できるぞッ!」
「努力が報われて気分爽快自分最高だッ!!」
「医学部合格して自己肯定感爆上がりしましたけど!?」
という方も、もちろんいらっしゃることでしょう。


受験勉強をしていた時、合格したら、もっとずっと自己肯定感が上がるだろうと私は信じていました。

これまで感じてきた挫折感や自分への絶望感、様々な経験によって失われてきた自信や自己肯定感は、医学部に合格するという目標を達成することである程度チャラになり、自分の人生やこれまでの経験が報われた、と肯定できるようになるのではないかと考えていました。
受験を乗り越え、これから始まる新生活に期待で胸を膨らませる晴々とした日々になると思っていました。

ところがどっこい、そんな簡単なものではなかったのです。

合格して進学を決めたら、その後は晴れやかな気持ちで過ごすことができるはずだったのに、実際、悩みも不安も迷いも尽きないし、新たな問題もわんさか出てくるし、なんだか普通に鬱々としたり気分が落ち込んだりしているのです。

これは意外でした。(まるで他人事)
そして、実際にこうなってみないと私には分からないことでした。

ちなみに私は、もともと心配性でメンタル激弱、根性も自己肯定感も何もなく、生理前になると酷いPMS(PMDD寄りではないかと疑っている)に悩まされ、律儀にも定期的に人生に絶望しているような人間です。

年齢を重ねるにつれて、自分への理解は深まり自己管理もできるようになってきたり、改善されてきてはいます。
メンタル安定を図るため、りゅうちぇる1人とギャル3人くらいを常に心の中に住まわせており(Twitterで以前見かけたライフハック)、
「え、私ってすごくなーーい!?」
「めっちゃ頑張ってるじゃん偉すぎ〜〜☆」
などと彼ら彼女らのおかげで言えることもありますが、震度2くらいの地震みたいな、ほんのちょっとした、自分を揺らがす何かがあるだけでも、すぐりゅうちぇるとギャルたちは脱走してしまいます。

「別によくな〜〜い!?」
「ウチなんも悪いことしてなくな〜〜〜い!?」
(※本当に何も悪いことをしていない場合)
ってマインドでぜひとも生きていきたい。
こういう()とかつけちゃうから、もう、根がもう凝り固まっている…。


さて。なぜなのか。

頑張って受験勉強をして、再受験で無事に合格をいただき、受験勉強からは解放されたものの、私のなかにある何かしらの挫折感や自分を認められない気持ちは未だ残っています。
医学部に合格したら消えると思ってたのに。

合格したのが国公立だったらもっと自分を誇ることができた?
自分に甘く過ごしてしまったことばかり思い出してしまうから?
1日10時間以上、勉強し続けられていたらよかった?
最大限の努力をしたと自信を持って言えないから?
もっと頑張れたんじゃないか、と思うから?
もっと努力すべきだった、と思うから?
最後の模試を受け損ねたの引きずりすぎ?
他の受験生と比べてしまっているから?
やりきった感がない?
私大の学費が心配だから?
これからの医学部生活が不安だから?
合格したあとダラダラ過ごしている自分が嫌いだから????

そもそも、自己肯定感ダダ下がりになったきっかけが、私の場合は現役浪人を経て医学部を諦めたことだったからかもしれません。
全力で努力して医学部に不合格になったのであれば吹っ切れるけど私は十分に努力すらできなかった、という思いが残っています。
その頃から、努力すらできないダメ人間だ、と私は本格的に自分を嫌いになり、自己肯定感をどんどん持てなくなっていきました。
再受験では、この気持ちも晴らしたかった。
自分は頑張れるんだ、努力できる人間なんだということを自分に証明してあげたかったのです。
大人になっても相変わらず自分に甘くてすぐに困難から逃げたくなってしまう、そんな自分のまま合格してしまったけど、これってどうなの?これでいいの??って違和感が残ってしまっているんだと思います。
もちろん、受験勉強は頑張りました。
時間をかけても全然できるようにならなくても、諦めないで向き合いました。
もっと頑張らなきゃと常に葛藤しながら、どうしたら自分はもっとできるようになるか、もっと効率的に進められるか、優先すべきは何か、試行錯誤していました。
お風呂の中でも勉強したし、ご飯を食べながら勉強したこともありました。
それでも、振り返ってみると、まだやれたのではと思ってしまう。

でも、おそらく大事なのは、結果から自分を認めることではなくて、自分が残した結果や自分が出した結論を正解だよと受け入れて認めていくことなんだろうな、と思います。
自分は、「自分が理想とするような、憧れるような努力」ができる人間ではない、ということを潔く認め、それならば今後の人生、どのようにして自分を高め、自分ができる努力を重ねていくか。
そう考えないと、いつまでたっても自分に満足できなくて、自分を認められなくて、自己肯定感も上がらないんだろうな。
大人になると、十分頑張ったね偉いよなどと認めて褒めてくれる人は自分以外にいるわけでもないですし、自分自身でどうにかするしかないですもんね。
当たり前か。
こんなこと仰々しく書くもんでもないか。

いやぁ、もっと早く知りたかった。
受験勉強を始める前に知りたかったかも。
知る、というか、気づくというべきか。
どこかで気づいていても認めたくなかったのかもしれないとも思う。

知ったからといって再受験を決意しなかったかどうかは分かりませんが、なんというか、想像していた合格後の自分と現状の乖離がなんとも受け入れ難いのです。
そしてそのせいか、なんだか落ち込んでしまうのでしょうね。
もしかすると、この落ち込みは受験云々は本当は全く関係なくて、季節の変わり目のせいかもしれないし、花粉症のせいなのかもしれないし、ホルモンバランスのせいかもしれないし、分からないけど。
あまりにも明るい未来を期待しすぎていたのかもしれません。
これからもきっと、いざ医学生になってみたら、研修医になってみたら、きっと想像していたこととのギャップに驚かされたり苦しめられたりすることはあるのだろうと思います。何事にも言えることです。

結局のところ、人間の根本的なところというか、長年の考え方やマインドの保ち方といったようなものは、そんなに急激には変わらないのでしょう。
これから、自分の人生や生活が変わっていくうえで、自分でも気がつかないくらい少しずつ徐々に、こういったものは変わっていき、自分自身の自分に対する評価や価値もそれに伴って変わっていくのではないかと思います。
どんなふうに変わっていくのか、楽しみです。

まぁなんとも大したことのない結論です。

今現在、受験が終わってから思うこと、精神的な苦しさのようなものをなんとなく書いてみました。

精神的な苦しさ、と書くと非常に大袈裟な感じがしてしまいます。
いつもこのような苦しさを感じる時に思うのが、"struggle"が一番近い表現かも、ということ。
苦しんでいる、奮闘している、悩ましい、でもなんとかしようと努力して奮闘している、という。
struggleがしっくりきます。
I've been struggling with my life and mental conditions for years.
そんな感じです。

自宅で独り再受験に専念していた1年間、自分と向き合う時間も多く、メンタルもだいぶ鍛えられました。
あとは、接客業を通して色々な人とお会いしたことによっても、学生時代よりもだいぶ強くなったと感じます。
年々、自分のことが分かってきて、対処できるようにもなってきています。
それでもなお、自分に対する不満というか、自分に対する嫌悪感というか、自分を丸ごと認めることができない感じや、自分の甘さや根性のなさを醜いと感じてしまう心というのは残るものですね。
そして、メンタルが完全に安定したな、自分という人間をすっかり理解できて自分が確立されたな、ということは、これから先もいつまで経ってもないのだろうと思います。

5年後、10年後はどのように自分と向き合っているのだろうかと想像してみると、ちょっと気が楽になるような。
そんなこともないような。

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