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代表作3作のペーパーバックを終え

神様。
俺は問いたい。
俺は、願って良かったのだろうか。



統合失調症シリーズ最後(?)の
「統合失調症が落ち着きそうなので、今度は、神様にお願いしてみた」の
ペーパーバック登録が先日終了した。

もちろん、表紙、裏表紙は、
作家としてもデザイナーとしても最上級のスキルを持つ、
ひなた猫々さんの作品だ。

私の文章をより高めてくれる、
そして、美しく装飾してくれる「作品」である。

その「作品」に見合うよう私もライティングを上げていかなければ。と、
猫々さんの「作品」に触れる度に思う。

さて、前の記事でもちょっと触れたが、
Kindle本を作成し、
このシリーズを作成したきっかけは、
娘の大学受験がきっかけだ。

だけどそれは、ただのきっかけに過ぎなかった。


動き始めた時計

無味乾燥。
と、言うより、腐りきった人生の浪費。

統合失調症が緩やかに寛解に向かってきた自分は、
人生と言う、本来向かうべき命題から逃げていた。

仕事のストレスなどを言い訳に、
週末は、パチンコ。
瞬間の快楽が気持ちを解放させた。

好き放題遊んだ末に、家に帰ってからも、
私を救ってくれたはずの妻に仕事の愚痴を言う。

子供達の「パパ、遊んで」さえも、
酒の向こう側に聞いていた。

男としても、親としても俺はダメだった。

「俺、なにやっているんだ…」

自戒する気持ちは、あった。
だけど、どうすることもできない自分がいた。

情けない。

子供達は、成長していくが、
私は成長していない。

子供達は、学んでいくが、
私は学んでいない。

統合失調症の妄想や幻聴に悩まされることは無くなったが、
私自身の行動や思考に悩まされるようになった。

「俺は、一体なんなんだ…」

そんな中、出会ったのがKindle出版。

本当に生き方を全て変えてくれた。

私が本当はしたかったこと。

伝えたかったこと。
言いたかったこと。

叩きつけるように文章を書き連ねた。

この辺りは、前回のnote記事に書いているのでよかったら、
読んでみてくださいね。

この頃から人生の時計が、動き出した。


動き出すと、面白いもので、
それは、思いもよらないほどに加速していく。

起きる時間が圧倒的に早くなる。

身体を動かし、必要以上に健康に気を遣う。


隙間時間で読書をし、言葉の蓄積を図る。

「書くこと」、「表現すること」に神経をとがらせる。


気付けば、パチンコに行くことはなくなっていた。
そんな時間の使い方をしたくない。
今は、書く時間が欲しい。

たくさん本を読み、学び、
時間の限り、できるだけ書く。

そう。
書くことに夢中になっていた。

人生って、わからんって。

また、変わったのは、私の生活だけでなく、
家族全員が変わっていた。

家族との笑顔が溢れる夕食。

当たり前で、普通な、
今まで私が欲しがったものがそこにあった。

私が変わったからか?

いや。
本当は、最初から、そこにあったのに、
私が気付いていなかっただけかもしれない。


ハート リリース

表現すること、
書くことで私が私らしくなってきた。

妻がある時に言っていた。
「笑うようになったよね」

15年間、しっかりと笑ったことは、無かったかもしれない。

娘も言っていた。
「なんか、最近、楽しそうだよね」

何かに集中したことって、何十年ぶりだろう。

統合失調症が寛解し、自分が自分になった。

そして突き付けられた人生。
書くことではじめて、向き合うことができた。

私の人生だけでなく、
妻の、子供達の人生とも。

本当の意味で、卒業をしなければ ならないのかもしれない。
統合失調症と。

新しい自分として、進んでいかなければならない。

そんな中、書いた作品が
「「統合失調症」が落ち着きそうなので、今度は、神様にお願いしてみた」
である。

私は、「彼らの声」と離れたくなかった のかもしれない。
私は、まだ自分の人生を「誰かのせい」にしていたかった のかもしれない。
私は、子供でいたかった のかもしれない。
私は、私になりたくなかった のかもしれない。

そんな想いを、
過去の自分に、
さよならのメッセージを込めて。

もう一人のわたし

惚けてしまっていたのは、
数日間。

書きたい気持ちは、日に日に大きくなり、
私は、書く手を止めることは出来なかった。

統合失調症を手放した私は、
ヤマネコではなく、
異なったペンネームでKindle本を書き始めていた。

乖離する気持ちと感情。
ヤマネコと言うKindle作家とも
離れてしまっていいのだろうか?

一方で、加速する書きたいと言う気持ち。
そして、広がる可能性。

もう一人の私は、生き生きと、
そして、次々にKindle本をリリースしている。

統合失調症にかかっていない 私 がそこには いた。

今の私は、統合失調症を克服してはいるが、
その時のツライ記憶は、無くならない。
私が体験した あの当時のことも、無くならない。

キラキラとした日常を送るもう一人の私。

どちらも事実であることには、変わらない。

二人の私は、両方とも私なのだ。
分裂や乖離ではない。

私自身の表の部分と裏の部分。
両方そろって、私なのだ。

今後もnote上でヤマネコとして記事を書いたり、
Kindle本を執筆していこうと思っている。

統合失調症を克服した
ある青年として。


おわりに

今回、「統合失調症シリーズ」のペーパーバックが完了し、
今、ここまでの私が感じていること、
そして、これからどうしたいか。などを
前回の記事との2部作で作成してみました。

Kindle本界隈では、最近、作家自らの
ツライ過去なども全てさらけ出すことが、
ちょっとしたブームになっています。

ごめん。
まだ、私にはそこまでの勇気がない。

ある意味、まだ統合失調症に囚われていると言ってもおかしくない。

だけど、ごめん。

まだ、できない。
いつか、本当の意味での自己統合ができた時には、
きちんと話すから。

おっと。
暗くなってしまった。

私の作品を飾っていただいた、
素晴らしい作家であり、デザイナーの
#ひなた猫々さんには、感謝しかありません。
本当にありがとうございます。

そして、いつも迷惑をかけている妻、
ついてきてくれる子供達、
あなた達がいてくれることで、
私は、救われています。
本当にありがとう。

最後に、
統合失調症に苦しんでおられる方、
そして、そのご家族の方、
私の体験や経験が何かの役に立てば、幸いです。


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