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極めなくてもいいのではないか

最近,幸せの形というのを考えてる。

占星術とは究極的にギリシャ哲学で完成してると私は思うので、哲学の基本「人生をより良く生きるとは何か」が中心軸な気がしてて、

常にそれを鑑定してる時に心に置いています。

大事なのが  “ノンジャッジメンタル”

そもそも、良い悪いには主観があります。それを良いと感じるのは気持ちだからです。

幸せには型がない。

幸せは中途半端な時にでも感じたりすると思います。極めなくても別に大丈夫で、頑張ったからと言って手に入るものでもない。

究極、心が感じるものだから。

私の鑑定は、

こうしたいという気持ち(ワクワク)
安心してるときに感じるリラックス
体の欲求をそこそこ満たしているか

とか、
そのあたりを見て、その方の幸せな気持ちはどうやって形成してるのかなーってところを見てます。

歪なバランスでも、それなりに幸せを感じたりするもの。

極めようとするのもいいですが、ほどほどに自分がやりたい程度でやり散らかすのもありかと思います。

気がついたら極めちゃってる人もいますがそれはそういうカタチ。



トップ画は、クリスマスに作ったケーキ。買ったスポンジにクリーム乗せていちごとキウイ飾っただけだけど、割とおいしくて満足度高かった。

ホールケーキは年に2度しか食べないけど、そのうちの一回が、クリスマス。もう一回がうちの若者の誕生日。

若者の誕生日はちゃんとしたやつにしてるので、クリスマスは形だけのケーキのことが多い。若者の誕生日がクリスマスの後1カ月もおかずにくるので。

必死こいてイベントをやらなくて良くなったのはほんと僥倖。

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