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棚上げを知っているかいないかで

物事を始めたら,やめずに完遂することが大切。
成果が出ないので,もうやめようと思ってやめたら,大抵の場合,「あの時続けていたら・・・💦💦」というようなことになりがちだ。

トンネルを掘るのをやめた時,実はまだあと30cm掘れば掘り抜けたのにという地点まで掘ってきていた,というような例で説明されることもある。

それほど,一度始めたことを「止める」というのは勿体無いことなんだ。

だから、僕は始めたことは大体やめないようにしている。



と言いながら,時間がなかったり,気が進まなかったりしてどうしても続けられないこともある。

ここでやめてら勿体無いと思うのにできないのだ。

「棚上げ」はそんな時に使う。


今は事情があってやることができない。
やれない。

しかし,それは今だけであって,後々必ずしも再開するのだ。
今は「棚上げ」しているだけであって,決してやめたわけではない。


それが棚上げだ。
棚上げとは,始めたことを完遂させるための重要な仕組みなんだ。

ところが、多くの人は,始めたことを続けられない時、ほんの数日,もしくは数週間,さらには数ヶ月できない時に、「やめた」と勘違いしてしまう。

そして,継続とか習慣化とかそんなことができない自分を責めてしまいがちだ。


その時「棚上げ」という考えを知っているかいないかで、人生変わったりする。

「今はただ,棚上げにしているだけだ。そのうち再開するのさ」

こうやって涼しい顔をしている人は,一旦やめていてもいつの間にかまた再開することを繰り返しながら,最後は完遂してしまう。

止めることと棚上げすることにはそれだけの違いがある。


僕は今のブログを2008年の12月から書き続けている。
だから「10年ブロガー」を名乗っている。

今12月だから、ちょうど14年過ぎたところだ。


ところがこの間、1ヶ月は書かなかったというようなこともよくあった。

やはり書けない時は書けないんだよ。

でも、書けない時は「棚上げ」と思って過ごしていたから,必ず再開することができた。
結果,14年続けている。


最初の本を書き上げた時,構想から7年かかっていた。

執筆を開始してからは3年経っていた。

この間,「人生最多忙期」も数年入っている。

7年もやめなかったのは,人生最多忙期でも、本を書くということを「棚上げ」していたからだ。

そして,棚上げしていふことを忘れないために、毎週行っている週次レビューに「棚上げリスト」という一セクションを作って,「棚上げしていること。本の執筆」と書き続けていたんだ。

今は書けないけど,いつから必ず書き上げる。
これが毎週意識されていたわけだ。


もし棚上げリストを作っていなかったら,本を書くという目標は忙しさに紛れてしまい、今もまだ夢のままだっただろう。


ぼくは毎日のように「また何か始めた」と言っては新しいことを始める。

その多くは続けているが、棚上げにしていふこともたくさんある。

やめたんじゃなくて,棚上げにしているだけだ。


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