バカをバカと呼ぶこと

三日前はじめて投稿したnoteの記事で、Twitterにはバカがたくさんいることを書いた。

そこで「バカを的確にバカと呼ぶのは麩菓子のように素朴で罪のない行為である」と書いた。けれども、バカをバカと呼ぶことの喩えには、麩菓子よりも後味が爽やかなものを挙げるべきだったかな、と反省した。

反省するに至ったのは、蓮實重彦が『ちくま』に寄せている時評のバックナンバーを今日の行き帰りにまとめて読んだからだ。ちょうど一年前くらいの記事に(2022年3月号)、バカをバカと呼ぶことについて書かれている。

この時世の多分にもれず、蓮實の自宅にも特殊詐欺の電話がかかってきたらしい。とんだ詐欺グループもいたものだ。蓮實は冷静に電話に対処したが、最後の最後に「バーカ!」と相手を罵って電話を切ったという。

…では、警察の方と一緒にお待ちしていますから早めにどうぞというと、いきなり相手は無言となる。しかも、この期に及んでなおも電話を切らずにいるので、「バーカ!」といってこちらから電話を切ってやった。…(中略)…見えない相手を久方ぶりに「バーカ!」と罵倒したときの爽快感はいまも忘れられない。すでに悪事が露見しているのに、銀行員だと執拗に名乗り続けるなど、文字通り馬鹿としかいいようがなかった。

蓮實重彦「「バーカ!」といっておけばすむ事態が、あまりに多すぎはしまいか」『ちくま』2022年3月号

こういう自身の経験を踏まえて、「世の中の頓珍漢なことがらの多くは、罵倒というほどの執着もこめず、多少の愛情をこめて「バーカ!」と口にしておけばすむ」と蓮實は書いている。いや、あなた執着ありげに罵倒してるじゃないですか、とも思ったが、そこに至るまでのいらつきを想像すれば致し方あるまい。大事なのは、バカを正しくバカと呼ぶことで得られる爽快感だ。

というわけで、バカをバカと呼ぶことの喩えには、後味の爽やかさが大事だと思うに至った。なのでわたしは麩菓子からココアシガレットに鞍替えしようと思う。

蓮實が勧めるような愛情を込めたバカ呼ばわりは、わたしの頭の中だと森川信の声で再生される。残念ながら、そんな愛情に値するバカはTwitterにいない。バカを正しくバカと呼んで、後味すっきりと生きていきたい。

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