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【騒動からネタバレ感想まで】映画『オッペンハイマー』を観た

 日本国内公開から2日が経った日曜日、新宿ピカデリーにて、クリストファー・ノーラン監督作品の映画『オッペンハイマー』を観た。

意外と注目されている・・・?というのが現地での正直な感想だ。


 本作が国内公開されるまでの背景や炎上事件に至るまで、なかなか興味深い点も多いため、まずは本作の概要に触れながら、ネタバレありで感想を記していきたい。


■背景

 クリストファー・ノーランと言えば、『ダークナイト』(2008)、『インセプション』(2010)、『インターステラー』(2014)、など、多くの人が彼の作品の圧倒的な世界観に一度は魅了されたことがあるのではないだろうか。
クリストファー・ノーランの最新作がようやく日本公開ともなれば、そこそこ映画好きな人間からすれば、公開日にでも飛んで行って観たいものだろう。
 それでも、オッペンハイマーはテーマも相まって、なかなか客足は鈍いのではないかと密かに予想していたのである。やはり、ファミリーやカップルで賑わいを見せる日曜日の平和な映画館では、本作はかなり異質な存在感を放っていた。
 しかし、予想に反してシアターは満員で、席は埋め尽くされていた。

 『オッペンハイマー』が注目を浴びている理由として考えうることは、クリストファー・ノーランの最新作であるということや、キリアン・マーフィやマット・デイモンを始めとした豪華なキャスト陣でもあるのは勿論だが、何といってもあまりにもセンシティブすぎるその内容にあるだろう。
「原爆の父」と聞くと、日本人であればどこか暗い感情に支配されるものだ。義務教育では必ず広島や長崎の惨劇を学ぶし、知らなければならない歴史であることも事実だ。
 2023年7月の全米公開当初、世界的大ヒットを記録し、「ノーラン史上最高傑作」とも称される一方で、日本国内では物議を醸していた。
作中では、広島や長崎への原爆投下シーンや、悲惨な被害状況が詳細に描かれていないことから、米国の原爆軽視が指摘されていた。
そこに拍車をかけるように巻き起こったのが、ネットミームによる「バーベンハイマー」炎上事件である。映画『バービー』と本作が同時期に公開されたこともあり、ピンク色のキノコ雲を背景にバービーが笑う画像がネット上で拡散され、多くの日本人が激怒したのだ。
 その結果、日本での上映は見送られ、一時は公開中止も噂された。
結局、世界公開からは数か月遅れでの上映となったのである。


■あらすじ

 『オッペンハイマー』は、原子爆弾の開発に成功し、「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーの人生を描いた歴史映画だ。オッペンハイマーの栄光と挫折、光と闇、苦悩と葛藤…とストーリーは展開していく。
 各国が我先にと軍兵器開発を急いでいた第二次世界大戦の真っ只中。才能溢れる理論物理学者のオッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府が極秘で立ち上げた「マンハッタン計画」においてプロジェクトリーダーに任命される。優秀な科学者たちを統率し、世界初の原子爆弾の開発に成功する。
原爆開発の成功により、オッペンハイマーは栄光を掴み取り、地位と名誉と大きな家を手に入れ、安泰な未来が約束される。
 しかし、原爆が実戦で使用された後、オッペンハイマーは苦悩と後悔にのまれる日々が続く。原爆の恐るべき破壊力を目の当たりにしたオッペンハイマーは、戦後さらなる威力を持つ水素爆弾の開発に反対するようになる。
 学問の政治利用、共産主義、冷戦、赤狩り、複雑に絡み合うそれぞれの思惑は次第に暴走していく。激動の時代を生きた、オッペンハイマーと彼を取り巻く人々を鮮烈に描いた作品だ。


■感想(※ネタバレあり)

 結論から言うと、これぞ正にノーラン作品!と唸るくらい、ノーランファンの心は鷲掴みにされた。
 3時間の作品と聞くと、大抵の人が身構えることだろう。しかし、180分があっという間に感じるほどの抜群の没入感で、最後まで飽きることなく存分に楽しむことができた。これこそがやはりノーラン監督の凄いところなのだろうか。本来、会話劇を中心に展開していくお堅い歴史映画を3時間もまともに流したところで、よっぽどテーマに興味関心がある稀有な人を除けば、ほとんどの場合が最後まで観れたものではないだろう。
 作中では、ノーラン監督の工夫が数多く散りばめられていると感じた。本作の工夫として思いつく点を詳細に記していくこととする。

① 単なる時系列の羅列ではない

 まずは、オッペンハイマーが、ソ連へのスパイ活動を疑われたことでアメリカへの反逆罪に問われ、聴聞会にて過去の自身の行動や発言を回顧するシーンから始まる。
事前知識を入れていなければこの時点で置いて行かれた人もいるのではないだろうか。ただまあ映画のセオリー通りに考えれば、このまま過去の回顧を一連でなぞっていくのだろうな~。と緩く構えているのも束の間。
そこから更に容赦なくシーンは切り替わり、未来へと飛び(何故かモノクロだぞ??)、ようやく過去にタイムスリップしたかと思えば、その後も何度も3時代を行き来する構成になっているのだ。
 軽快にジャンプするように、3つの時間軸を操りながらも、後半でしっかりとすべての伏線を回収していく技術は、まさに神業である。
最初は、切り抜いた記事を一つ一つバラバラに見せられているようで、今がどの時代なのか?を理解しストーリーについていくのでやっとであった。それも後半に進むに連れて、まるで種明かしをしてくれるかのように、すべてのシーンを解説してくれるので、サスペンス要素もあり楽しめた。

② 2人の視点が交差する

 前項でも少し記載したように、作品内ではカラーのシーンとモノクロのシーンが描き分けられている。
モノクロシーンが登場した瞬間、やはり映画のセオリーに当てはめて考えてしまうものだが、下記いずれかの可能性をまずは予想しながら観ていた。
・過去の回想の可能性
・ストーリーの語り手である可能性
 ――作中での謎の解明が進むとともに、これらの仕掛けも明らかになって行った。
◎カラーシーン:オッペンハイマーの視点
◎モノクロシーン:ストローズの視点

 ストローズとは、AEC(米国原子力委員会)の長官であり、戦後の1947年にオッペンハイマーの功績を評価して、彼をAECの顧問に任命した人物だ。
 オッペンハイマーとストローズの初対面のシーンでは、ストローズは好意的に描かれており、一見すると苦悩するオッペンハイマーの良き理解者と言った風だ。しかし、何度か差し込まれるモノクロのシーンでは、どうやら彼ら二人は上手くいっていないようにも見える。水爆開発を進めるべきか否かでは真っ向から対立しているし、ストローズがオッペンハイマーに論破されて赤っ恥をかいたシーンも登場する。
 「この二人の関係は一体何なんだ・・・?」
 そして、ストーリーが終盤になってようやく、オッペンハイマーの社会的地位を脅かそうとするストローズの策略が判明し、モノクロシーンに込められた意味に気が付くのである。

③ アインシュタインが語ったこと

 最も肝となる場面が、アインシュタイン初登場のシーンではないだろうか。作中では、何度かアインシュタインは出てきており、その都度セリフや存在感に魅せられてしまうのだが、中でも初登場のシーンは、ストローズがオッペンハイマーに対して疑いの心を抱くきっかけとなった瞬間なので、ストーリー展開においても重要な点である。
 モノクロのストローズ視点で初めて登場したアインシュタインは、オッペンハイマーと何か語った後に振り替えると、険しい形相であった。「二人は何を語っていたんだ・・・?」そんな我々のモヤモヤに応えてくれるかのように、何故かストローズは、執拗にアインシュタインは何を語ったのかを気にしていた。お陰で、「これは何かあるに違いないし、きっと物語のクライマックスは、アインシュタインとの会話で終わるんだ。」と身構えることができた。


■見どころ

① 音響と映像

 ノーラン監督作品では言うまでもないが、本作も例にも漏れず、その迫力に圧倒されてしまう。
 音響は、劇中歌は勿論のこと、効果音ひとつひとつをとっても深いこだわりが感じられ、緊迫感や没入感といった演出を高めている。登場するキャラクターの思考や感情に合わせて巧みに変化していく波のような音響は、深く印象に残っている。
 作中の映像全てが壮大で純粋に映像作品として楽しめたが、中でも爆発の描写が凄まじかった。原爆に対する表現であってはならないとは思うのだが、思わず見とれてしまうほどの美しさを秘めていた。
 特に、原爆投下前の予行演習である「トリニティ実験」のシーンの描写は、宣伝時から注目されていた通り、とにかくリアルで壮大で、震え上げるほどの恐怖が大迫力で描かれていた。

② オッペンハイマーの人間味

 世界中を恐怖のどん底に陥れた原爆を開発した原爆の父と聞くと、冷徹で強靭な人間を連想するものだが、本作で描かれるオッペンハイマーは全くもってそんなことはない。
 むしろ、とてつもなく泥臭く人間味に溢れた”ダメ人間”だ。
女癖の悪さであったり、精神の弱さであったり、人付き合いの下手さであったり、、あえて意識してそういう人物像に仕上げているのか?と考えるほどに、本能と感情に従順な人間である。
 オッペンハイマーの人間味があってこそ、彼の苦悩や葛藤という部分がより活きてくるのであろう。”ごく普通のちょっとダメな人間が、世界を滅ぼしちゃう程のとんでもない装置を生み出しちゃいました”的な、この辺りは、エンタメ要素としての見所を提供してくれる。テーマがテーマだけに、エンタメとして昇華させるべきか、という議論は当然生まれてくることだろうが。

③ 原爆に対する価値観

 米国目線での原爆に対する価値観を知ることができた。日本人として生きていると考えられないことではあるが、「原爆が終戦を早めた→原爆は正しい」という理論が一部の米国人には存在するのだということは、ショッキングでありながらも非常に考えさせられることであった。ノーラン監督が本作で描きたかったことは、決して原爆軽視などでは無いとは思うのだが、オッペンハイマーが原爆投下に加担したことに対する後悔が作中で薄く感じることも事実だ。ただ一方で、作った者にすべての責任があるわけではなく、使った者にこそ責任があるというトルーマン大統領の言葉にも頷ける。
それにしても、オッペンハイマーの行動はどうも終始行き当たりばったりで目前のことしか考慮せず気ままに行動して、行動してしまってから毎回後悔だけしている身勝手さも感じずにはいられない…。
 といった具合に、なかなか考察はまとまらないのだが、ラストカットの地球を埋め尽くす核爆発の炎を見せながら、ノーラン監督は我々に問いかけている。原爆の責任は誰が取るんだ?誰が連鎖爆発を止めるんだ?
だから、是非とも多くの人と議論したいポイントである。


■まとめ

 正直、本作を観ることを悩んでいる人は多いだろう。実際、原爆投下後に祝福をしている表現はかなり苦しさがあり、シアターにも冷ややかな空気を感じた。作中で「日本」「広島」「長崎」というワードが出てくるたびに、ヒヤッとした気持ちが表れた。本作に賛否両論あることも大変理解できる。
 それでも、今なお各地で戦争が起こり、平和には程遠いこの時代に、この作品を観ることができて良かったと率直に感じる。
 本作に思う存分怒っても良いと思う。
「日本人が激怒したオッペンハイマー」そんなキャッチフレーズを背負った本作は、この時代ならではの強烈な反戦映画であると感じてならない。


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