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広至7~劇団ノーミーツ「門外不出モラトリアム」観劇記~

劇団ノーミーツの長編リモート演劇「門外不出モラトリアム」を見た。
今の緊急事態宣言下で可能なエンターテインメントという制限に留まらない、表現の新しい形の1つを切り拓いた見事な演劇だった。
私達は現在は、リアルという感覚をまだ全く喪失している訳ではなく、憧憬を抱いて仰ぎ見ることができる。
同時に、可能性という側面では、バーチャルな世界は領域を広げている。
リアルの演劇でも、ドラマでも、映画でも、「門外不出モラトリアム」のストーリーを再現して舞台や映像を作成して届けることは可能だろう。
しかし、Zoomという急速に一般に普及してきた手段を用いて届けることで生まれる現在の状況との親和性も含めた感覚を、他の手段で再現するのは極めて難しい。
そういう意味でも、演劇の代替を超えた時代性を捉えた見事な企画、演出の作品だと思う。

配置による演出

リモート、特に会議での利用を想定していたZoomは、基本的に利用者がカメラを正面に見つめる映像が馴染み深いと思う。
リアルタイムのフィクションとして、見せる際には、それを如何に活用するか、が軸になってくる。
恐らく、「門外不出モラトリアム」では、最後に挨拶したスタッフを含めて、出演者(人によっては複数台のカメラを設置している)は全て参加したままの状態で意図した配置を保ち、尚かつ、小道具や背景の家具等の設置、照明の変化、仮想背景の設定(敢えて不出来な仮想背景を用いるなどの演出までしている)など細かで複雑な演出をスムーズに行うという難しいオペレーションがキーになる。
そういう意味では、通常の演劇作品の舞台監督以上に、Zoomオペレーション担当の活躍は改めて称賛に値するだろう。

1回目けんじ不在状況は中教室

また、基本的に、同時に出演する役者は概ね最多で16人程度。
その中で、主人公のメグルは3段目の目立ちにくい位置にいるのが通例なのも恐らく、彼女のキャラクター設定とも関係している。
そして、主要な学生キャラクター4~5人が集まる時も、メグルとりょーいち、まい、シンタロウらの位置関係はそれぞれのバランスをよく現すもので、舞台における通常の立ち位置以上に意味性があると思って良い。

2回目状況は良姉との会話

たとえば、メグルは姉であるサキとの会話の際のみ、iPhoneでの会話と横から撮った客観性を持った映像と両方が映る。
これは、サキとメグルの関係が、映像通話を介した関係だけではない、リアルに一緒に暮らしていた姉妹であるため、画面に留まらない奥行きを映して表現ができるということを示しているのだろう。
他には、メグルとシンタロウはペアで配置する時は少ないが、シンタロウは常に斜め上にいることで(※注)、恋人ほどの深い感情的な絆ではなくとも、友人として見守るような位置を示唆しているようにも見えたり、といった具合にZoomを活かした配置による映像表現という工夫がとても凝らされている。
同様の表現を演劇でやることは視点が舞台という方向に限られることから極めて難しいし、映画やドラマは、カメラという存在そのものが第三者的な視点からの映像にならざるを得ないので、同様の感覚を視聴者に喚起することは難しい。
その点から、現在の状況下を活かした作品として、「門外不出モラトリアム」は価値を示したと断言できるのだ。
※注:他の回では配置が違ったそうなので、メグルとシンタロウの演出意図をこの見方に固定してはいけなさそう。だが、恐らくたとえばメグルとりょーいちは劇の関係性から5人の際には隣に映るように配置していたのではないだろうか、と推察。

ストーリーと役者について

一応、ネタバレを避けるためにストーリーや役者については全く触れてこなかったが、ここで少々。
ストーリーは、予告編でも示唆されている通り、タイムスリップを活用して青春の1ページを描いたSF。
そのジャンルには、今でこそ「セカイ系」といった便利な言葉もあるが、筒井康隆の「時をかける少女」、いやもっと前からでいえば一部のオペラや「浦島太郎」なども時間の壁を超える物語があるので、そこに目新しさはない。
しかし、映像に一人称的な没入感を持って、タイムスリップSFを表現できた事例は、記憶にない。
役者達は、繊細な雰囲気以上に、正面からのアップで性格を想起させる分かりやすい顔立ちと性格がそれぞれ持ち味となった。
メグルは穏やかで、余り自己主張が激しくなさそうだけど好感を持たれる雰囲気がよく出ていたし、りょーいちは柔和な二枚目だし、シンタロウは超然としている外見が必要だったし、けんじはお調子者で明るくある必要があった。
そして、まいの活発さと分かりやすい見た目の良さは、「コミュ力おばけ」と自称できる田島芽瑠にやはり相応しいものだった。

1回目4人の会話時

因みに、ここで田島芽瑠さんだけ名前を出して私が触れているのは、握手会で彼女に会ったことがあるからという理由はある(だからこのテキストの画像に採用したのも彼女だ)。
彼女は、一瞬で誰の懐にも飛び込める強さがあり、だけど内面の想像力も豊かで、歌い踊れば場の中心として彼女をつい目で追いかけてしまうタイプの魅力がある人だ。
しかし、彼女以外も主要な役を演じていた全員が、それぞれの当てられた役割に非常に相応しい姿を見せていたことを付言したい。

千秋楽開演前に

今回、千秋楽の開演直前なのだが、現在まで上演に大きなトラブルが無かったことを称賛する。
実は、私も見ていた先日実施したプレ公演では、視聴者もZoomを利用するシステムを使っていたが、ちょうどZoomの不具合とも重なり、意図したことができなかったからだ。
Zoomを活用したフルリモート演劇であって、Zoomという手段にはこだわらないという選択をして、上演効果はまるでZoomのような没入感とリアルタイムチャットの反映まで取り入れられたことは、若い世代の見事なアイデアだ。
カメラや配置の固定などの制約を武器にできる今回のようなストーリーをもっと増やしていくことで、たとえばリアルな舞台での三人称視点の演劇と裏でZoomの一人称的視点の組合せ、といった新たなパフォーマンスの選択肢が増えていくならば、それは劇中から引用すれば「文化は絶えない」という豊かな未来へ繋げていけるだろう。

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