大好きだった彼女とのお別れ
Saucy Dogの「煙」という曲の歌い出しの一節。
僕と彼女の最後も、きっとこれに近いものだった。
もしもこの記事を見つけたら、笑いながら読んでくれてたら良いな。
抑うつ状態と診断され、休職になった僕。
4月に倒れてから6月末の現在までの期間は23年生きてきて、1番メンタルが追いやられた2ヶ月だった。
そんな時に僕は1番大切な人に、好きな人に、恋人にそばに居てほしかった。
一方、彼女は一人の時間が必要な子だった。
InstagramもTwitterもやっていなくて、唯一LINEだけは連絡手段として持っている今では珍しいSNSに縛られない強い子だった。
LINEの頻度も多くて1日2回、少ないと数日に1回くらいで、多用する子ではなかった。
そんなそばにいて欲しいと考える僕と一人の時間が必要な彼女の間にはだんだんと溝ができてしまっていた。
「何か思うことがあったら言おう」と決めていて、お互いの価値観や認識は共有できているつもりでいた。
けれど蓋を開けてみれば週1回程度で会っていたことも向こうにとっては負担だった。
連絡頻度も彼女なりに上げてくれていたらしいが、僕には伝わっていなかった。
僕は僕なりに返信の頻度を落としてみたりして、お互いに歩み寄る姿勢を見せてはいたものの最後は噛み合わなくなってしまった。
「今はコミュニケーションを取るのが疲れた」
そんな彼女の言葉をきっかけに今後について話し合うことになり、2時間近く夜中に電話した末、僕たちは1ヶ月距離を置くことにした。
そして、1ヶ月の時が経ち、直接会って、話し合ってお互いが納得した上でお別れすることになった。
大好きだけど、辛い時にそばに居てくれない可能性が高いことは将来を考える上ですごく不安だった。
彼女も彼女で僕のことは好きだけど、自分にとって1番大切なのは自分が自由でいられる時間や余裕で、それをどんな形であれ侵害される可能性が高いことは納得のいくものではないようだった。
「あそこでああしていれば。」
なんてことは別れた後によく考えることだけれど、根本の考え方が違う僕たちはきっとどんな道を辿ったとしてもいつかこの壁にぶつかっていたように思う。
お互いがお互いの価値観を知っていたとしても、理解し、許容できるかどうかはまた別の話。
本当は寄り添いたい、けれどそれだと自分が辛い。
自分も相手もハッピーであって、たとえアンハッピーなことがあっても共に乗り越えていけて初めて恋愛関係は本当の意味で成立する。
けれど世の中きっとそんなに上手くはいかなくて、どこかで妥協して、付き合ったり結婚するのかもしれない。
そういった意味では僕達はまだエゴが強く、妥協ができない未熟者で、他人からすればそんなことで別れるなんてもったいないと思われるのかもしれない。
だけど別れることを決めて、泣いて、記事を書いて、この結末も悪くなかったんだと胸を張って言える。
彼女のことを悪くいうつもりもないし、むしろ自由でいられる環境で幸せに暮らして欲しいと願っている。
その隣に僕がいて、幸せにすることができたらどんなに嬉しかったか。
残念ながらそれは叶わなかった。
だったら幸せを願うことしか出来ない。
彼女もお別れの話をして解散した後、
「どうか穏やかに幸せに生きられる事を祈ってるよ」
とLINEをくれた。
僕たちは未熟だったのかもしれないけれど、未熟なりに手探りで答えを探した。
その答えがたまたま「お別れ」だっただけで、もしかしたら結ばれる形もあったのかもしれない。
大好きだった彼女と忘れられない半年間の思い出を胸に、今日も明日も生きていく。
彼女もきっと同じように生きていく。
道は違えど、辿り着く先にはお互いにとっての幸せがきっとある。
今までありがとう。元気でね。
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