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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

冬木カウンセラーによる「映画で学ぶ心理学」シリーズ。
有名作品から、知る人ぞ知る作品まで、様々な映画作品をテーマに心理学を探索します。

あらすじ

9・11アメリカ同時多発テロで最愛の父を亡くした少年オスカーが、クローゼットで1本の鍵を見つけ、父親が残したメッセージを探すためニューヨークの街を奔走する物語。2005年に発表され、「9・11文学の金字塔」と評されたジョナサン・サフラン・フォアによるベストセラー小説を、スティーブン・ダルドリー監督が映画化したものです。

多くの人が亡くなった9.11。大切な人を失った者が、悲しみの底から明日をどう生きていくのか。一人の少年の視点に寄り添いながら丁寧に描いています。


対象喪失と喪の作業

主人公の9歳の少年オスカーにとって、9.11で父親の存在を失った事実は受け入れ難く、正常な「喪(も)の作業」すらままならないほど、他者から見れば痛々しく、深い喪失です。

「喪の作業」とは心理学者のフロイト(Frued,S.)が提唱した概念で、人間が喪失した対象から離れていくためにとる心理的過程をいいます。対象を失った悲しみから逃げるのではなく、悲しみと向き合い、受け入れるために必要不可欠な作業です。
精神科医のボウルビィ(John Bowlby)はこれを受けて、さらに4段階に分けて考えました。それが以下になります。

① 無感覚・情緒の危機

対象を失ったことが事実なのか嘘なのかわからなくなり、感覚が麻痺したような状態になります。まるで悲しんでいない態度をとったり、テキパキと行動する様子が見られる一方で、唖然としたりします。通常約1週間程度とされています。

② 否認・抗議の段階

深い悲しみや悲嘆、罪悪感や自責などネガティブな感情が現れます。また、対象を失った事実を認めずに空虚感や怒りを示すこともあります。その一方で、対象がまだ生きているように振る舞うこともあります。

③ 断念・絶望の段階

対象を失った事実を受け入れ始め、悲しみます。何をしても対象を取り戻せない無力感を感じることが多くあります。他者との交流を避けて孤立する場合もあります。

④ 離脱・再建の段階

徐々に気分が穏やかになり、社会的に活動できるようになっていきます。対象を失った事実に直面することを受け入れ、復帰に向かいます。

主人公オスカーは、父の死を受け入れられず、苦しみの中、父が遺した鍵とメモに縋り、目を輝かせます。「①無感覚・情緒の危機」を彷徨っている状態と言えるでしょう。そして危険がいっぱいのニューヨークのジャングルを駆け巡りながら、オスカーは懸命に父との最期を先延ばすのです。

オスカーにとって、これは必要な時間。この物語では、母や周囲の大人たちもそれを理解し、9歳のオスカーを見守ります。しかし、オスカーは冒険をしている間は自身が見守られていることには気づきません。
中盤にかけて難航するメッセージ探しに、孤独感や喪失感で胸をいっぱいにしながら冒険を続け、終盤になってやっと、悲しく切なく苦しい時間を、これまでも母と共有していたことに気づくのです。


特性への理解と接し方

この映画にはさらにもう一つの側面として、広場恐怖や聴覚過敏やこだわりの強さをもつオスカー自身の生きることへの不器用さが描かれています。
オスカーが探し物を求めて、さまざまな怖いものへと立ち向かい、大人と関わるシーンでは、特性への理解や関わり方など非常に勉強になる部分も多かったように思います。

例えば、父親はとても良い父親で、他者と関わることが苦手なオスカーに対し、彼の知的好奇心に寄り添いながら、冒険の過程で人と関わる機会を与えようとしました。

また、母親はオスカーの特性をよく理解しており、彼がパニックになった時には、繰り返し小さな声で淡々と語りかける様子などが描かれています。

オスカーは自分自身の心を落ち着かせる手段としてタンバリンを手に鳴らしながら、恐怖と立ち向かいます。音という刺激によって心が支配されやすい特性だからこそ、音で感情をコントロールしようと試みているのです。


ものすごくうるさくて、ありえないほど近いもの

この物語はとても重いテーマで長編です。オスカーの心の叫びを129分間体験することになります。それでも、とても大切な作品と感じたのは、誰かを失う体験は誰もが体験するものであるからです。

父と矛盾語合戦をするのが好きだったオスカー。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近いもの。それはオスカーにとって恐怖以上に自分に意味を与え、冒険の中で自身の力で探し当てたものでしょう。

父の死の事実という受け入れ難い悲しみを受け入れ、同時に、孤独ではないこと、母の愛情に気づいたことを表しているのではないでしょうか。



冬木 更紗(ふゆき さらさ)
心理学学位および臨床心理学専攻修士取得。療育センターにて就学前の子どもを対象に応用行動分析に基づくグループ指導経験あり。臨床心理士および公認心理師取得後,精神科・心療内科にてカウンセリングを行なっている。また、WAIS-IV知能検査やエゴグラムなどの心理検査も実施経験が豊富。

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執筆:冬木 更紗
編集:メザニン広報室

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