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僕と彼女は箱推しになれない 第十章

 私に付きまとう影は消えてなくなればいいのに。アイドルとしての活動は、あの日を境に止まっていた。ファンの人は今の私をどう見るのか考えるだけで身震いする。意識が真っ暗に侵されていく。まるで出口の見えないトンネルの中に閉じ込められたみたいだ。出口を探しに歩きだしたその時、ペンライトを顔に向けて灯し、大勢で近づいてきた。決して私を照らさない。脅かされている感覚に陥った。振り返り走る。足音がうるさい。迫ってくる。
「誰か、助けてーっ!」
悲鳴がトンネルに反響した。死に物狂いで逃げる。
「はぁ、はっ、はぁ、はっ。お願い、味方現れて」
 願った瞬間、全身を眩い光が差し、私を包み込んだ。
「出口だ!良かった……助かる」
 視界のすべてが白く染まった。一瞬、男の子の影が見えた気がした。

 「はっ!夢か……」

快とも不快とも言えないものだった。一体あの影は誰だったんだろう。ぼんやりとした頭で起き上がり、これまでのことを思い出す。私が休業したことと引き換えに、柚希が復活した。サイトで知ったんだ。誰も伝えてくれなかった。ブログやSNSを更新するのをやめていた。誹謗中傷のコメントが列挙されているのを見るだけで吐きそうだったから。
 きっとファンの人は悲しんでいるに違いない。早く復帰しないとと頭の片隅では思っている。でも、怖くてマスクをしないと外に出られない。今の私には無理だ。別人に成り果ててしまった。疑心暗鬼に陥っている。
(何で、平気な顔してステージに立ってるの……)
 訴えかけたい気持ちで、この声を誰かに届けたくて。意を決して、床に放り出していたスマホを取り、一番上に居続けている瑠梨に電話を掛けた。私が地下アイドルであることを打ち明けている唯一の親友だ。大学は春休み中で、彼女がバイトのある曜日ではないはずだ。案の定出てくれた。
「もしもし、るりっぺ。中途半端な時間にごめん。この前は講義のノート見せてくれてありがとう。おかげで助かった。相談したいことがあるの」
 平日に対バンライブが急遽決まってしまうことがある。不定期で入るから、履修登録の時に考慮して時間割を組むのは難しい。だから、大学に入学したばかりの時のガイダンスで隣の席に座る子に声を掛けようと考えた。
そこで彼女と出逢ったのだ。私は瑠梨をるりっぺと瑠梨は私をはるちと呼んでいる。
「お礼なんていいよ!相談のるよ。何でも言って」
「るりっぺは、最近のあたのこと知ってるよね?」
 直截的に言うのも憚られて、言葉を濁してしまう。
「うん、見たよ。はるちは何も悪くない!
私の写真に写る時と何も変わってないから。飾らないのがはるちの魅力だよ!その両方を知っているのに、火消し役になれなくてごめんね」
 瑠梨は写真サークルに所属している。ポートレートを撮る際、彼女は私を被写体にしてくれる。家族以外で私の表情を一番多く知っているのは週刊誌のカメラマンでもメンバーでもない。平川瑠梨だ。
「謝らないで!るりっぺは何も悪くない。あたしがしていることを肯定してくれてありがとう」
「いえいえ。オタクは懲りないよね。はるちのこと好きなはずなのに詮索してるじゃん。はるちが自然な美を追求していることを知らないから、非難してると思うとさ、はるちはよく頑張ってるよ!」
 無性に彼女に会いたくなった。
 
メンバーに対して不穏な陰を初めて察知したのは、今から約一か月半前、ライブが終わり帰っているときだった。あたしの母はアイドルとして活動し、独り立ちすることを反対する人だった。一方で父は賛成してくれている。母を父が宥めてくれたおかげで、今こうして好きなことをやれていたのに。誰が私に撮り憑こうとしているのかと思い、咄嗟に後ろを振り返った。十五メートルほど後ろにいた人物を見て、思わず拍子抜けした。
「瑠那と、えっ柚希じゃん。今日あたしに用事なかったよね?話しかければいいのに。びっくりしたぁ」
「驚かせたらどんな反応するのかなって、試したかったの。あとさ、ちょっと話したいことあるから、家上がっていい?」
「いいよ。珍しいね、るなちはのぞみんといるイメージなのに」
「寒いし、早く上がりたいなぁ……」

「はっ、何だ夢か」
最近は嫌な想像をするようになり、ふて寝するようになった。口がぶるぶるしている。夢にしては妙にリアルで縮み上がった。いつの間にか寝ていたようだ。夢の先が怖くなって起きたと分かるほど嫌な汗をかいている。妙にリアルだ。
「なんで……あの日と酷似してるの」
天井に向けて叫んだ。反動で涙をほろりと流れる。正気に戻らないまま、るりっぺと電話をしていたことを思い出し、寝返りを打ってスマホを探す。
「いたっ」
何で嫌なことは続いて起こるのだろう。背鈍い痛みを感じた。スマホがあたしの下敷きになっている。寝ていた際に床に擦りつけて傷がついていたらどうしようと慌てふためき起き上がって見ると、案の定、あった。画面を確認する。目立った傷はついていなさそうだ。電源ボタンを押すと、通知がきていた。

【はるち、寝息聞こえてきたから切っちゃった。無理しなくていいよ。ゆっくり休んでね。私はいつでもはるちの味方だから!おやすみ】

目頭から熱いものが流れ出した。感情の移り変わりが激しい。温かな言葉はここにあったんだ。鼻を啜りながら返事を認めた。

はるるんがいなくなってから、一か月半が経った。この間、僕はライブに行かなくなっていた。binderで『フォルツハーツ はるるん』と検索し、出てくる情報をくまなく調べていた。今、現場に行ってもはるるんのオタクはいないと推測していた。その時、一枚の写真が目に飛び込んできた。人差し指が画面に吸い寄せられていく。何者かに操作されたように、アイコンをタップした。
「タ、タ、タ、タ、タ、タ、タ――」
指の動きが止まらない。何かにとり憑かれている。手のひら返しじゃないか。はるるんがいなくなったからやっているのか。見慣れないものが並ぶ。瞬きが少なくなっていく。
「なんだよ、なんでだよ、どうしてこうなったんだよ」
目を背けたいのに、背けられない。画像に目が侵食されていく。
「みのる、どうしたの?下に響いてるよ」
ドアの方を見ると、母が眉を下げて佇んでいた。我に返った。正気を取り戻した。
「――ごめん。むしゃくしゃしてた」
「調べものしてるのはいいけど、ほどほどにね」
母は静かにドアを閉めた。気を取り直して彼女を体調不良に追い詰めた原因を探る為に
「フォルツハーツ 6ch」と検索した。一番上に出てきたページを開く。掲示板に何か手がかりがあるはずだ。流出元の温床であるとアイドルの諸問題の本に書いてあった。何者かが過去の彼女の写真を流出した。そう考えるのが妥当だ。投稿を見てしまった以上、放置するわけにはいかない。証拠が揃わないままでライブに行っても、噂を小耳に挟んだ野次馬に葬り去られるだけで追い返される。中途半端な状態で臨んだらだめだ、アンチや野次馬が、さらに調子に乗るだろう。今、出来ることは掲示板に潜伏することだ。時々探りをいれるような質問をスレとして流すことに努めた。

三週間が経った。流出元をどうにか特定することが出来た。これまでやってきたことは本当にはるるんのためになるのか自信がなくなった。自己満足をしたいだけなのではないか、ファンならそっとしておくべきではないかと何度も葛藤した。両親には顔色悪くないと幾度も心配された。バイト中も上の空でミスが増えて、怒られたこともあった。それでも、はるるんのために自分の身を削った。僕にとってそれは、最重要課題だったんだ。こんなにも没頭できた期間を僕は忘れない。
「ピコン」
机にあるスマホの通知音だ。ロックを解除し、恐る恐るそれを開く。bⅰnderからだ。冷酷非情な文字の羅列に、条件反射で涙が湧き出し膝から力が抜けた。文字をうまく咀嚼できない。頭が真っ白になった。

「平素よりフォルツハーツを応援して下さり誠にありがとうございます。ボーカルとして活動してきた川瀬晴香ですが、二〇一九年四月三十日をもちまして、契約に関して虚偽の申告をしていたことが発覚したため、解雇することが決まりました。応援して下さっている皆様には、突然の発表となり大変申し訳御座いません。最後まで川瀬晴香の応援を宜しくお願い致します。 
フォルツハーツマネージャー 鶴瀬幸弘」

 失意の底に落ちた夜から二日。自室の机。一枚の紙の前でペン先を震わせていた。どこにいても上の空だった。授業中はまるで水中にいるときのように、耳に膜を張り、内容が入ってこなかった。家での会話はめっきりと無くなった。アイドルの話に花を咲かせていたことが今では遠い昔のことのようだ。出来ることなら、はるるんの再会を喜ぶ手紙を書きたかった。静かな自室で独り想いを書き連ねった。
 
 
『最愛の推しメン 川瀬晴香さんへ

 最初で最後の手紙を出します。よく読んでくれたら嬉しいな。始めに、アイドルという職業を選んでくれて本当にありがとう。はるるんに出逢うまで、何にも夢中になれなくて、そんな自分が好きになれませんでした。そんな時に出逢えたのが、はるるんで良かった。僕が初めて特典会に行った時から、最後までずっと笑顔で対応してくれてありがとう。応援している人のことをオタクと言わずにファンと称えてくれるのは、はるるんだけです。意識してやっていたか分からないけど、チェキを撮った後で話すとき、他のファンに表情が見えないように背を向けていたよね。対応が違うって言われないために、誰が来てもそうしていたね。些細な気遣いだけど、はるるんにしかない優しくてさりげない気遣い。唯一無二だよ。ありがとう。

チェキポーズ集の本に載ってるポーズを
コンプリートするって目標は、流石に無謀だったよね(笑)毎回付き合ってくれて柔軟に対応してくれてありがとう。どのポーズがお気に入りだったかな?どこかで、再会した時に教えてくれたら嬉しいです。一大決心をして、夢を叶えるために自分を変えたこと。本当に尊敬しています。相当な 覚悟をしたんだと思います。僕がはるるんと同じ立場だったら、変わることを恐れて諦めてるんじゃないかな。諦めず一途に夢を追い続けてくれてありがとう。
 
最後に、僕の冴えない日々に幸せを与えてくれて本当にありがとう。はるるんが。川瀬晴香さんが、僕の偶像で本当に良かった。   佐伯稔(みのっち)より』     

疲れ切った手を開く。汗が噴き出したのか、涙が垂れたのか分からないほど滲んでいた。部屋中に散らばった書き損じの手紙。以前、現代文で習った坂口安吾の作業机のようだ。床が見えない。部屋を散らかしてまで誰かのために手紙を書くのは今日で最後だろうと思いながら、一枚一枚を丁寧に拾っていった。
ポストに投函しようとしたが、日を跨ごうとする時間になっている。直接渡そう。肌身離さず持ち歩こう。僕とはるるん以外の第三者に触れさせたくない。二人だけが共有できる秘密の宝物にすればいい。熱が冷めないように温めておきたいと思い直した。

 四月某日、私は事務所に来ていた。扉を開けるか否か逡巡した。
(開けたくない、でも約束の時間迫ってるから、開けよう)
 何を通達されるのか考えるだけで寒気がする。何が私を待ち構えているのか、これ以上先の未来を見たくない。渋々扉を開いた。
「失礼します、フォルツハーツ所属の川瀬晴香です」
マネージャーの鶴瀬さん、黒木さん、事務所のお偉いさんが三人いた。扉を音をたてないように閉めたが、その場から動けない。皆一様に沈痛な面持ちをしている。見たことがない顔だった。お偉いさんが「席に座ってください」と私を催促してきた。声に感情がない。震えあがりながらも前に進んで着席した。強面で如何にも厳格そうな一人が口が開いた。
「端的に述べます。貴方が所属しているフォルツハーツにつきまして、親しみやすい美人を理念に活動してこられた。間違いないですね?」
「はい、仰る通りです」
「知っているにも関わらず、貴方は一つだけ虚偽の申告をしておりました。間違いないですね?」
「いえ、身に覚えがありません。誰かの悪戯に違いないです!何で!誰がそんなことを」
 私は敵愾心むき出しの目で声で主張した。
「落ち着いてください。貴方がとやかく言おうと、事務所のガイドラインで定められているんです。決定を覆しようはないんですよ。足掻いても無駄です。ではお伝えします」
 抵抗空しく、告げられた言葉は……
「雇用契約書、第十二条の契約違反。よって今月末を以て、貴方を解雇致します。納得がいかないようであれば、証拠もお出しします。それでも異議を唱えますか?」
 遂にアレがバレてしまったのか、それならば仕方がない。潔く諦めよう。
「いいえ。異議は御座いません。承知致しました」
「最後に、ライブでのお別れの挨拶は、この紙に書いてあることを一言一句濁さず読むように。以上です。速やかに退出してください」
私は誰の顔も見ず、退出した。そして敬愛している父に電話をかけた。繋がらない。仕方なく、留守番にこう残した。

「お父さん、私アイドルじゃなくなるからごめん。じゃあね」
 

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