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僕と彼女は、箱推しになれない 第六章

 暑い中、行われてきた夏のライブが終わった。文化祭の季節がやってくる。だが、全く関心がない。休み時間は『フォルツハーツ』の情報ばかりに目を通し、余った時間にはアイドルを研究している人の本を読んで過ごす。話しかけられることも最低限しかない。自分が日直の時だけだ。稔の高校には成績が優秀な生徒にバイトをしていいという何の因果か分からない待遇がある。はるるんに気兼ねなく会うために日々真面目に取り組んでいた。その甲斐あって、成績は上位で飲食店でバイトが出来ている。将に推しのためなら何でもやる精神だ。周囲にどう思われているかは全く気にしない。関心のあることに対して一喜一憂したい性質だ。疎まれていようが、はるるんさえ存在していればそれでいい。binder(びんだー)で度々、学生らしきオタクが「もし、好きなアイドルが同じクラスだったら」と妄想しているのを見かける。僕はそうした試しがない。よほどのイケメンじゃない限り、クラスにいたとしても相手にされないのが相場だからだ。アイドルという羽衣を纏って目の前に現れた女の子という感覚をもって接してほしい。アイドルに関する本を読みつつ、考えを構築した。いつもと何ら変わらない昼休みだった。  

代わり映えのない平日を終え、土曜日となった。朝起きてリビングに顔を出すと、トーストを食べている父がいた。僕の姿を認めると、物言いたげな表情で問いかけた。
「おはよう!みのる、みのるの推しメンではないけど、メンバーに体調不良の子いるみたいじゃないか。大丈夫か?」
「あぁ、柚希か。はるるんとのツインボーカルで比較されて自信無くしちゃったんじゃない?まぁ、はるるんのパートが増えるからいいけど」
「相変わらず単推しなんだな。父さんはアイドルグループをジグソーパズルのピースだと考えてるよ。一人も欠けてはいけないって言うだろう」
「うん」
「パズルの絵柄は売りになる特徴や持ち味、ピースはメンバーの数と喩えるとな。本当は誰とも被らない天性のものがあればいいけど。ファンのイメージやプロモーションによって、犠牲になる持ち味があるよな。有名になるきっかけは、一人が注目されればいいんだろうけど。他のメンバーと格差が生じて関係が歪(いびつ)になるしな。難しいな……グループアイドルは。父さんが好きだったころはソロだったからなあ。コンセプトがある中だと、似たり寄ったりな子が集まりそうだし、最善のバランスを保つのは極めて困難なんじゃないかな。柚希とやらは立ち位置を見失ったんじゃないか?」
「そうかもね。はるるんに人気の差を見せつけられて立場がないんだろうね」
「素っ気ない口ぶりだなぁ。ボーカルに相応しいのかを悩んでいると分析してるんだな」
のんべりだらりと話し続けようとしたが、母に口を挟まれる。
「またアイドルについて話してるの?長話もいいけど、少しは食べる為に口を動かしてね、お父さん!」
久々に家族全員で朝食を食べる運びとなった。午後三時半から秋葉原で対バンがある。はるるんの出番は四時半からだ。一グループ十五分となっている。本当はもう少し見たいのにと考えていると、トーストに目玉焼きを載せたのを食べていた母が苦笑した。
「本当、みのるはお父さんに好きなものまでそっくりね、可笑しくて笑っちゃう」
「そうかな、僕はお父さんがアイドル好きでよかったけど」
「そうだよな、みのる!アイドルのことを話しながら食べるご飯は格別だよ」
「もーお父さんったら、普段から格別って素直に言ってよぉ」
 こうやって仲睦まじく話せている家族って思春期だと珍しいのかなと僕は思案しつつ、食べ終えた。

 会場である秋葉原フレールに到着した。

 (はるるん推しと言いつつもどうせ他のグループの子の所にも行ってるんだろう)

時計を見ると、四時十五分でライブハウスの外は閑散としていた。やはり他のオタクどもは、入場料が勿体ないからと最初から全部見ているのだろう。僕はそうしない。他のグループを見たら、はるるんへの一途な気持ちを裏切ることになる。はるるんのためだけにお金を出したい。並んで待っている人はいなかったので、スマホから購入したチケットのQRコードを見せ、ドリンク代を払い中に入った。この会場は地下ではないが狭い。出番を終えたらしいグループ特典会をしている。オタクが並んでいる列に「すみません」と声をかけ、横切り重いドアを引いた。『フォルツハーツ』の前のグループの最中だった。時間からしてこの曲がラストだろう。ぶつからないよう慎重(しんちょう)に、空いている右手の壁沿いに移動した。観覧スペースの中央では、サビだからか円陣を組んだオタクが環の中央めがけ雄叫びをあげている。

(環になって叫んでないで、ステージ見ろよ)

内心で毒づきつつ、他の民の文化みたいなものだから仕方ないかと目をそらした。カバンの中のペンライトを手繰り寄せ、緑色を灯した。今か今かと登場を待ちわびる。どうやら今のグループの出番は終わったようだ。最前列にいたオタクが退いていく。その刹那、普段ならあり得ない光景に目を奪われた。僕に恵んでくれるかのようだ。最前列に三人分のスペースがあるのだ。脇目もふらず、そのスペースに入り込んだ。

(よくやった。これで視界良好だ。目障りなオタクを捉えずに済む、よっしゃ!)

心の中でガッツポーズをした。程なくして、登場のSEが流れた。ライトが明滅する中で、はるるん達は登場した。一瞬、一人足りないことが頭によぎったが、体調不良だと思い出した。それに伴ってかフォーメーションも変わっている。はるるんと万里香が前方に、希海と瑠那が後方だ。確認すると、丁度一曲目が始まった。「破滅のセレナーデ」だ。グループの曲の中でも低音のパートが多く、万里香がそれを担っていた。その後、自己紹介を挟み、はるるんがメロディを歌いパートが多い「マスキングトラップ」とダンスに凄みを感じる「メカニカルハート」の二曲をやった。その間は遮(さえぎ)るものがないからか、何度も二人だけで視線を共有している気がした。それだけでなく僕だけにマイクを向け、レスポンスを求めてくれた。最前列でしか味わえない世界観。極限まで邪魔なものが排され、没頭というものを体感した。心地良い気分になるのは想像がついたが、ここまでとは。最前列を確保するべく早めに待機するのも一理あると思った。それと同時に、我が物顔で最前列をいつもオタクに占領されていると思うと悔しくなった。解読不能なコールで騒ぎジャンプする連中ばかりに良い思いをさせないと心に誓った。

出番を終えたのを見て、特典会のためにオタクが移動し始めた。前島などに絡まれたくないので、先にドリンクを貰うことにした。オレンジジュースを選び、喉を潤した。思い返すと、最前列でライブを見たのは今回が初めてだった。折角の機会だ。“最前列記念日”と勝手に銘打って三枚撮ろうかと思い至った。カバンからチェキポーズ集の本を出し、何で撮るか、何を伝えようかをじっくり考える。十分ほどして、はるるん達が来た。
「フォルツハーツ特典会始めます。宜しくお願いします」
胸の高鳴りを感じているうちに出来れば最初になりたいと思った。鶴瀬を注視して購入列にすぐ並んだ。頑張ったが、二番目だった。前の人がはるるん推しではないことを祈りつつ、三枚分購入した。二枚をコメント付きに、一枚をコメントなしにした。その場から離れずにメンバーをの様子を見ると、希海は瑠那と、はるるんは万里香と話している。そこへインスタントカメラを持った黒木が来た。通常なら鶴瀬がるところなのだが、今日廃レギュラーなのだろう。撮るのは鶴瀬が良いと感じ、肩をすくめた。
「今から順番に撮っていきます。メンバーのプラカードを回すので撮りたいメンバーが来たら受け取ってください。本日も柚希が体調不良で欠席のため、四人となります」
黒木が前の人にカードを渡した。カードがきた瞬間、喜びに震えた。はるるんのカードがあったから。そうこうするうちに声がかかった。コメント付きの券を渡した。
「次の方どうぞ」
「みのっち、最前で見てくれてたね!」
「うん、これで撮りたい」
見せたページに載っているポーズはお互いが小指をたてて線を結ぶ「赤い糸」と呼ばれるものだ。仕上がりをはるるんの落書きに委(ゆだ)ねる。 
「撮るよ!はい、フォルツハーツ!」
黒木がチェキをはるるんに手渡し、コメントを書きながら話す。
「みのっちー!最前で見てくれて嬉しかったよぅ、みのっちがいると安心する」
「ありがとう。最前で見れたことに運命を感じたよ。レス送れて存分に楽しめたよ、はるるんがより一層輝いているように見えた」
「あたしも楽しかった!みのっちの言葉が私の原動力だよ、頑張るね!チェキこんな感じでどうかな?みのっちと撮ると盛れるなぁ、また撮りにくる?」
「うん。撮るよ!」
「ありがとうっ」
黒木に時間終了を告げられ、退いた。ポケットからチェキ用のカバーを出し、慎重に入れた。チェキ本にはオレンジ色の付箋を貼った。一番に対面できたことの優越感に浸らずにはいられない。胸が弾みっぱなしで多幸感に満ちている。特典会の時間は一時間設けられている。この後のグループは終演後物販だ。ライブのフロアで行われるはずなので、ここでやるのはフォルツハーツが最後だ。急いで撮る必要はないと思った。息が淀んできていると感じたので、カバンからミンティアを取り出し、二粒口に放り込む。身だしなみが良くても口が臭いと台無しだと思う。配慮する心づもりがオタクには欠落している。今日も大方がそんな感じだ。蔑みをのみこんで、僕は再び列に並んだ。残りの二枚のチェキを二人で一つの形を作るポーズにするか、無難で失敗が少ない同じポーズにするか。ぶれることを覚悟で躍動(やくどう)感のあるポーズにするか、必死になって迷う。待っている時間が長くても、自分の番がきたらあっと言う間だ。仕上がりに想像を巡らせていると、前にいたオタクが後ずさった。

「おー!みのっち、また来てくれてありがとう、どのポーズにする?」
「これにしよっかなって」
「みのっちにしてはシンプルだけど、いいね」
 はるるんをちらっと見て、微笑んで撮った一枚。これからもずっとはるるん一筋でいるという思いを「ゆびきりげんまん」で表現した。二枚目もコメント付きの券を出して書いてもらった。「今日のこの曲のこのパートを歌っているときが特に好き」など彼女のモチベーションが上がる具体的なことを伝えた。はるるんは終始笑顔で温かい。対応が本当に好きだ。本には黄色い付箋を貼った。最後の一枚は『フォルツハーツ』公式のポーズで撮った。迷った末に、滅多に貼らない赤い付箋を貼った。僕にとっては忘れられない日になると確信した。

「フォルツハーツ特典会終わります!ありがとうございました」
はるるん達が見えなくなるまで手を振り、僕は会場を出た。このエリアは暗くなるにつれ、変なお姉さんが立ち始める。地下アイドルは薄汚れた街と隣り合わせでライブをしている。整備された綺麗な空間でライブをやるには有名にならねばならない。それを実現可能なものにしてあげたいと強く思った。

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