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僕と彼女は箱推しになれない 第十一章

 部屋に注ぐ日光で目を覚ました。沸々と胸に後悔がこみあがってくる。せっかくの晴れだ。最後くらい日の目を浴びることをしてやりたい。アドレナリン全快で終わらせたい。リモコンを取りテレビを点けた。なんて都合が悪いんだろう。今日は平成最後の日。どのチャンネルも新元号「令和」の話題で持ちきりだった。どんなに頑張っても話題にならない。卒業ライブの会場は定期公演でお世話になった渋谷ジートニアとなった。ライブの三時間前に集合しなくてはならない。晴香のやりたいようにできないのか。心配して連絡をくれたメンバーもいたが、どうでもいい。露ほども考えていない。頭をさらに鮮明にするために洗面所に行った。鏡を見た。一年半しか経っていないけど、案外変わっているものだ。最低限の身支度をし、家を出た。

渋谷ジートニアに着いた。今日が終われば、金輪際ライブハウスに行くことはないだろうと思いながら、中に入る。冷めきったファンの視線と裏切ったメンバーを見返す覚悟を決め、すたすたと歩く。諦めずに地上アイドルのオーディションを受け続けていたら、より良い今が見られたと思い、歯を食いしばる。煙草で染みた壁を通り過ぎ、楽屋の扉の前に着いた。扉を開いた、そのときだった。
「誰よ!どいてよ」 
視界が遮られる。強引に踏み入れようとするが、押し返えされる。司会を手で遮られて前が見えない。
「わっ!」
急に身体を引かれた。反動で身体が前に傾き、一瞬で真っ暗になった。顔をあげた先にいたのは瑠那だった。不敵な笑みを浮かべながら、仁王立ちしている。
「うわっ、恥ずかし、そんなんで倒れてるの?太った?家でだらけたんでしょ」
負けじとすぐに立ち上がった。土井万里香と白木希海は左前方で衣装に着替えている。後ろ姿が小さく見えた。口ごもっているのを都合が良いと見たのか、追い打ちをかけてくる。
「あんたがいなくて、せいせいしたよ。おかげでのぞみん独り占めだったもん。なんで戻ってきたわけ?せっかく、良い雰囲気だったのに。何しに来たの?」
「脱退ライブだけど?悪い」
「そんな姿で?貧乳だったのに、少し大きくなったんじゃない?顔をいじったのに意味ないじゃん」
どっと笑いが起こった。気遣う素振りでは微塵もない。すかさず、晴香は汚点と言うべきことを指摘する。
「そっちこそ加工した写真あげまくって何がしたいの?偽ってんのはそっちじゃん」
「はっ、ばっかじゃないの。加工とかアイドル誰でもやってるし!使わないなんて時代遅れだわ」
「素を見せないでどうするの?意味ないじゃん。露出がないに等しいのに……ライブに来てくれるのはほんの一握りなんだよ。写真で素を見せれば、他のグループと差をつけられるじゃん!」
瑠那は唇を震わせ、一歩近寄ってきた。胸元を掴まれる。
「うわっ、飽きれるわ。バカじゃないの!加工しないで人気になれるとでも思ったわけ?というか、あんたがいなくなってからの写真の方がグッド増えてんだけど。現実見えてないんじゃない。グラビア出たからって調子乗ってんじゃねえよ。ねーえ、ゆずっきー?」
瑠那が後ろを振り返る。柚希がゆっくりと顔を出した。瞳の奥の感情が見えない。冷たい視線を送ってきている。
「……………」
「何か言ってよ!」
もはや、柚希も敵だ。晴香は嫌味を言い放つ。
「何も言えないんだね。同じボーカルなのに。あたしが怖いんだ」
瑠那に視線を戻した。
「ていうかさ、ボーカルやったことない人に言われたくないんだけど」
取っ組み合いをやめない私達に希海が口を挟む。
「そんな言い方ひどいよ。私が知ってるはるるんはどこにいっちゃったの……」
落胆の色を浮かべる希海を突き放すように言う。
「ほっといてよ!」
「ひどい、折角止めようとしたのに」
瑠那は希海を不甲斐ないリーダーなのだと目を覚まさせるために言葉をぶつける。
「八方美人で注意できないリーダーは黙っててくんない、事なかれ主義で嫌われる覚悟ももてないクセに」
瑠那にまで言われると思わなかったのか、希海は今にも泣きだしそうだ。潤んだ瞳を震わせて唇をきつく結び、無言で楽屋を出ていった。万里香は口をポカンと開け、まぬけな顔になっている。瑠那はここぞとばかりに弱点を指摘する。
「契約違反をひた隠してまで人気を得て、貧乳なのに水着で表紙飾ってさ。何がしたいわけ?いっつも私や希海、万里香、ゆずっきーは脇役で、嘘ついてまで主役。うちはあんたのバックダンサー、晴香と愉快な仲間たちの仲間なんて引き受けたつもりない!それに、希海と最初に仲良くなったのうちだから邪魔ばかりされた。自分が中心だと思って行動してるのあんただけだよ。許せない!」
「どうなっても知らない!知らない!知らない、全部さらけ出してやる」
晴香は咄嗟に掴んでいた手を押して逃れた。衣装を着てここから抜け出したい。幸か不幸か、マネージャーは一人もいない。向かって右の隅に衣装掛けがある。取ろう手を伸ばしかけたところで背後から手を掴まれた。バランスを崩され、しりもちをついた。
「しつこい!離してよ」
手首にざらざらとした感触がある。
「何すんのよ。まさか……」
一人ではないのか。後ろを振り返る。あのときの二人がいた。手首が痛い。手を圧迫されたことで血が締め出されそうだ。隙を見せたくなかった。阿吽の呼吸だ。衣装を奪い取り、頭上でひらひらとさせている。手が届きそうで届かない。歯を食いしばり、必死に抵抗する。解けない。
「あっ……」
何も言わずに晴香から離れ一人が外に飛び出した。瑠那が舌を出して挑発して唆す。
「ほら、取り返してみなよ。衣装どうなっても知らないよ!」
ようやく手を離された。後先考えずに駆け出した。ドアを出ようとした瞬間、万里香の声が聞こえた。温度のない声が。
「あたしたち。ただ集められただけだったんだよ」
腕を左右にねじる。楽屋を出よとようとしたと途端、突然ドアが開いた。入って来たのは鶴瀬だ。衣装を持って逃げた柚希を見ているはずだ。脱退を言い渡された日を思い出した。黙認しているだけで一言も庇ってくれなかった。晴香の味方などいないんだ。ガンを飛ばして吐き出す。
「最後なのに特別な衣装ないんですか?」
「晴香、なんだその目は!大口を叩く権利はないぞ。新たなグループの衣装に力を入れてるからな。あるだけ感謝しろ」
歯を食いしばる。返事をせずに横をすり抜けた。衣装を取り戻すためにむせび泣きながら走った。

ライブハウス内を奔走したが、未だに見つからない。確信めいた気持ちで最後の可能性に当たる場所に来た。扉を開く。建付けが悪いのか、キィと甲高い音がした。
「……っ」
見てしまった。衣装が水に侵されていく様を。無残な姿に一瞬たりともこちらを見ない。何も発する気配がない。言葉を発しようとした。
「ひっ」
一瞬にして前が見えなくなった。気づいたら、全身が濡れていた。腕にホースを持っている。口角が上がっている。濡れてても衣装を着たい。一歩進んだが、再び水の餌食となった。扉を思いっきり押し、頬を流れるものが涙なのか、掛けられた水なのか分からぬままステージへと駆け出した。
 
誰かがステージに立った。ライブまでに二十分あったはずだ。何事かと思っていると、暗いフロアに一筋の光が差した。目の前に現れた光景に目を瞠った。
「なんで、こんな姿に……」
動揺を隠せない。顏が引き攣っていくのを感じる。そこには変わり果てたはるるんの姿が……スマホを右手に持ち、顔を照らしている。水たまりが出来そうなほど、ぽたぽたと滴が垂れ続けている。
「どうして濡れているんだ。な、何をしようとしているんだ」
声が震えている。声の主だろうか。オタクを横をスタッフらしき男通り過ぎ、最前列にある手すりをくぐり、ステージに飛び乗った。怪訝な顔をしている。正直に言うわけにはいかない。晴香は咄嗟に嘘をつく。
「土砂降りの雨で、誰もタオルを貸してくれなかったんです。あたしも持ってなくて、今日で脱退するんです。渋谷ジートニアさん今までお世話になりました。最初で最後のお願いです。今からライブを始めさせてください」
声を潜めているため、何を言っているのかは分からないが、男が頷くのが見えた。男が舞台袖に捌けていくのが足音で分かった。

メンバーが来ないうちに始めよう。晴香は見物客に呼びかける。
「聞いて……っ」
「何、一人で勝手に始めてんのよ!」
いきなり肩を掴んで押してきた。ちらっと見物客を見る。猛獣が獲物を見つけたようにぎろりと目を輝かせている。瑠那は精神的なダメージを与えようと舞台袖に向けて声を張る。
「ゆずっきー、例のもの持って出てきて」
柚希が無表情で現れた。掲げて見せびらかしている。苛立ちを通り越して呆れた。休業前の柔らかなパステルカラーの衣装。濡らされたのは分かっていたが、胸元が無残にちぎられていた。瑠那はげらげらと笑いながら、とどめの言葉をぶつける。
「ほら衣装だよ!これ着てやれば。すっごく注目浴びれるよ。いいね量産、間違いなしじゃん」
マネージャー陣はライブハウスのスタッフと口裏を合わせたのか、誰も注意しない。遅れて、万里香と希海が鳴りを潜めて出てきた。希海はステージにいるメンバーだけに聞こえるようにぼそぼそと喋る。
「始めよう。もうすぐで時間だし」
悲惨なことが起きていても口出しせずに上書きだけする。誰もが使い物にならない。晴香は甲高い声で宣言する。
「もういい。衣装なんていらない!私服のままやる」
 

ライブは終盤に差し掛かっていた。前向きな卒業ではないからだろう。私を揶揄する内容のフリップを出してくる人、どういうことかハッキリしろという非難の声もあった。でも、あの人がいるのを確認できたから大丈夫と晴香は言い聞かせた。いよいよ最後の挨拶だ。希海のMCで話を振られてから言うらしい。ちらっと見ると、言い出しそうにない。進行を無視して話し出すことにした。
「まず、こんなお見苦しい姿で登場してごめんなさい。ライブが始まる前に水をかけられました。誰にやられたかは察してください……改めて川瀬晴香は、今日をもって『フォルツハーツ』を脱退します。まず、私を推してくださったファンの皆さん、黙っていてすみませんでした。失望された方、話を聞きたくない方は耳を塞いでて下さい」
半分以上の見物客が耳を塞いだ。この程度の熱量だったのかと気落ちしつつも先を続ける。素直に全て打ち明けようと思った。もう誤魔化さない。

「美容整形をしてグループに入ったことは紛れもない事実です。不快に思った方が多いと思います。改めてごめんなさい。あたしが整形をしたのには理由があるんです、信じてくれなくていい。アイドルになりたかったからです。そんなあたしが顔のアンバランスさを意識し始めたのは、高校生の時の友人、Mの些細な一言からでした。『目は可愛いのに鼻と口が近くてバランスが悪いね」と言われて以来、他人にどう見られてるのか気になって鏡に依存するようになりました。始めは出来心でアイプチをつけて目元を二重に協調しただけでした。ある日、顔に執着するあたしを心配した父が「晴香、顔が気になるなら、父さんが晴香のなりたい顔にしてあげる」と言ってきました。父は美容整形外科のパイオニアでした。丁度その頃、あたしはアイドルのオーディションに書類審査の段階で落ち続けてました。自暴自棄になって嫌気がさしていた。そんな時に提案されました。母は反対しませんでした。現状を打破して、未来に一縷の希望を持たせないと感じて、整形をすることに決めました。鼻を高くするヒアルロン酸を注入した、唇にあった黒子を除去した、口角を上げるボトックス注射をしてきました。いくらダンスや歌が秀でていても顏が可愛くないとアイドルにはなれない。『可愛い顔になれば、アイドルになれる』当時はそのことばかり考えたんです。アイドルとして活動できると決まった時、父とあたしの苦労が報われたと感じました。自分史上最高の顔を更新した方がファンの人も喜んでくれるはずと思ってました。これが事の経緯です、お騒がせして申し訳ありませんでした」
言い切ったはずだった。しかし、オタクは興味を示さなかったらしい。
「それじゃ、流出させた張本人は誰なんだよ、締まりが悪いわ、説明しろよ」
「そうだそうだ!被害者面してないで話せよ。性質悪いぞ。嘘つき女!」
言うのを忘れていた。核心に触れていなかった。三か月前の嫌悪でしかない蛮行を思い出し、身を竦めた。

「あたしの整形前の写真を「この不揃いなパーツの女誰だよ」というコメントと共に晒したのは、瑠那で、それに加担したのが柚希です。三か月前、私が家に入ろうとした時、背後で足音がしたんです。振り返ったら挙げた二人がいたんです。メンバーだから大丈夫と思って、家にあげました。扉を閉めた瞬間柚希がカギをかけました。その後、瑠那が『トイレ借りるね』と言って、あたしと柚希はくつろいでいたんです。その時あたしは父からの連絡に返信するためにスマホの画面を開いてたと思います。そしたら急に、瑠那が『晴香、トイレっとペーパー見当たらないんだけど』と呼ばれて、スマホを置いて見に行きました。戸を開けて入った瞬間、ドアノブから遠い方の壁にあたしは押さえつけられて、鍵をかけられた。必死に抵抗しました。そして『いつものぞみんとやってるようなことあたしにもしてみろよ、加工より生のパーツが好きなんだろ、レズなんだろ』と言い追い討ちをかけるように、あたしの唇を塞いで舌を絡ませてきました。その後は察してください。その間に、柚希があたしのスマホの写真フォルダやスケジュールを見て“写真“と”美容整形外科受診と書き留めた日程“を自分のスマホで撮って、柚希がbinderの裏垢で晒した。これで誰が悪いか分かってくれましたよね?瑠那と柚希は、共犯者なんです!仲間の情報を売ったんです!」

オタクの逆鱗に触れたのか、鬨叫び声やの声をあげながら前方に集まっている。
「契約違反女が言うことなんて、誰が信じるか!」
「そーだそーだ、こっちは金払って支援してるんだぞ、ふざけるな!」
「オタクを金蔓だと思ってずっと騙してきたんだろ、おいなんか言えよ、卑怯者」
「整形した偽の姿なんて、求めてねえんだよ」
「か、え、れ!か、え、れ!か、え、れ!か、え、れ!か、え、れ!か、え、れ!」
「うるさい!うるさい!うるさーい!何で私ばっかり責められなきゃならないの。公式のメンバーアカウントを使わずに、私が見れないところで、こそこそと嵌める計画を練っていた柚希や瑠那の方が意地汚い!」
無関心を決め込んでいるメンバーと運営は過激に反発するオタクより酷い。所詮、その程度の関係だったんだ。ぶつかり合うことさえしないんだと呆れた、晴香がどれだけ真剣にこの活動に向き合ってきたのかを最後に告げることにした。震える呼気を整えながら、胸を押さえながら、アイドルとしての最後の言葉を絞り出す。

「加工して自分を偽っている方が、整形なんかよりも醜いと思わないんですか?あたしはアイドルになってから一度も加工した写真を挙げたことはないですよ。嘘だと思うなら、私のbinderを見てください。メンバーの素を見せる為に、あたが率先して写真を撮ってきたんです。加工アプリをインストールしたことすらない。『親しみやすい美人』をコンセプトに活動しているのに!加工は誰でも幾らでも覚悟なしにできる。それって顔面詐称じゃん!実物と違ったっていうオタクが、増えてるのは加工のせいじゃないですか!それと比べて、整形は覚悟が必要です!失敗する可能性だってあるんです。お金だっているんです!一回で済むものじゃない。だから、加工アプリで自分を偽っている人と一緒にされたくない!アイドルなのに、自分を磨かないで加工の技術に任せる。手っ取り早く綺麗に見せられるならいいと思っている証拠です!加工人間だと思わないんですか!そんなアイドルより自然体で素の姿をカミングアウトするアイドルの方が、応援する気になるはずです。あたしは、覚悟すれば過去を変えられることを証明したかった。諦めなければ、新しい自分になれることを誰かに示したかった。その場凌ぎで自分を偽って見せるアイドルに一石を投じたかった。整形が悪いものだというイメージを少しでも変えたかった。良いイメージにしたかった」
一方的に勇気を与えてくれた。恩人と言うべき人に視線を向けた。

悲痛な叫びだった。勇気を出して素直に思いをぶつけてきたことを称えたい。前島が罵声を浴びせる。
「契約違反女が言うことなんて、誰が信じるか!」
それに乗じて他のオタクどもも
「そーだそーだ、こっちは金払って支援してるんだぞ、ふざけるな!」
「オタクを金蔓だと思ってずっと騙してきたんだろ、おいなんか言えよ、卑怯者」
「整形した偽の姿なんて、求めてねえんだよ」
「より良い男と裏でつながる為に、金を俺らから巻き上げてたんだろ」
はるるんがSOSのサインを出した。身体が震えている。
「ちょっと待った!静かにして僕の話を聞いてくれ!」
はるるんが叫んだ声以上の大きさで言い放った。

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