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信用貯金という言葉の危うさ

こんにちは。めもりーです!

Kudo さんのポストでとある思いがあり,実はこんなポストを最近しました。

私自身は,信用貯金をまやかしだと思っています。でもなぜ,そう思っているのか,X だとどうしても文字数制限があり多くを語れないので note に自分の考えを書いていきます。

もちろん,様々な意見があったりするものだと思うので必ずしも正解だと確信して書いているわけではありませんので,その点はご留意ください。

貯金という言葉

[名](スル)
金銭をためること。また、その金。「毎月決まった額を—する」「—箱」
比喩的に野球などのリーグ戦で、勝った数が負けた数を上回っているときの、その差。「この試合勝利で—が5になった」⇔借金2
預金

Weblio (https://www.weblio.jp/content/%E8%B2%AF%E9%87%91)

このように貯金という言葉は,「貯める」ということが大前提です。
そして,注目したいのが比喩にしても定量的に表すことができるわけです。
預けたお金がいくらかわからない,なんてことはないはずです。

他方で信用貯金については比喩的に誰かに信用をしてもらった証を「信用貯金(もしくは信頼貯金)がある」という用法で使用することがあります。

この信用貯金という言葉を気軽に使うことに,私は一定の危うさを感じています。

信用貯金は目に見えないものが前提

信用貯金は,貯金の残高のように目に見えるものではありません。
そして,何よりも預け先によって貯金したい信用が変動することです。

人によって言葉の受け取り方が異なるというのは自明ですが,ある一定の人には受け入れられることでも一部の人には受け入れられない,つまり借金になるという見方ができます。

100 万円分の信用を預けたつもりが,A さんは 120 万円分,B さんは 30 万円分。C さんはそもそも預けた人が嫌いなので信用ゼロ。場合によってはマイナス,みたいなこともあり得るわけです。

しかも,それを預けた本人がそれぞれに結局いくら預けたのかわからないわけです。

そして何よりも,コミュニケーションを丁寧に行っていたつもりが,何かしらの地雷を踏んでしまい,ふとした瞬間に勝手にその貯金が減っているわけです。しかも減る速度も人によって異なります。事前告知なしね。

そんな不安定な貯金先があってたまるか,って思うわけです。

陳腐化する貯金

そして,貯金は昨今の時代は安いとはいえある程度の金利によって残高が増えることにメリットがあります。

仮に信用貯金が存在しうるなら,信用を貯めたのが 5 年前だとして,5 年後の今現在でも通用するのでしょうか。答えはまちまちだと思いますが「5 年前はこうだったけど,今はわからない」と答えることになるはずです。

信用を貯めている人とは,別の人から見てその人に,信用があるかなんて定量的に推し量ることなんてできないわけです。

古い信用がかえって,ネガティブに捉えられるかもしれません。「あの人は昔はすごかったけど,今は甲斐性なしだ」ってね。

信用貯金と評価

信用貯金によってメンバーを評価したらどうなるでしょうか。
評価はあくまで平等にかつできる限りの恣意性を排除すべきです。そうでなければ,政治的な思惑が働く可能性もゼロではありません。

身近な例で言えば,タバコ部屋問題が近いと思います。タバコ部屋で一緒にタバコを吸う人とそうではない人とでは信用の差は異なるはずです。

実際に広島大学が論文の一部として引用しているほどです。

他にも,飲み会に参加する人,参加しない人,カラオケで上司が好きな曲を入れる…,など。

「いやいや,それは平等に評価すべきでしょ」と考えますよね。とはいえ,タバコ部屋でのコミュニティやコミュニケーションはある一定程度ありますし,そこで上司に可愛がられる行動を取れば,評価されやすいというのは事実としてあるでしょう。

どんなにバイアスを排除したとしても,メタ認知能力にはある一定の限界があります。

そんな信用貯金をもとに自分の人生の一部を評価されるというのは,たまったものではありません。

信用と友好関係と会話しやすい人の 3 軸は分けて考える

「信用貯金を貯めていきましょう」というコミュニケーションを取られることがあるが,マネジメントする側からすると非常に便利な言葉である。

ふわふわした自分の思いを相手に伝えられず,なんかとりあえず信頼性に乏しいなとおもったら使える言葉です。

受け手もどうやれば増えるかわからない,でも上司が好きだと思うことをやれば,少なからず給料が上がる,みたいなね。上司の顔色伺いになるわけですが,それで会社が良くなるのかはまた別の話です。

私と一緒に仕事したことがある人はわかると思いますが,私は信用貯金という言葉を使ったことはないです。

「この人と一緒に働いていて働きやすいな」とか「この人話しやすいな」とかいう感情はあくまで「友好的に接しやすい」とか「会話しやすい人」という感情であって,それは信用貯金というには些か乱暴だなと考えます。

もし,仮に信用貯金という概念があるなら,その人の「実績」にのみ着眼すべきで「この人は口は悪いけど仕事は任せれば一流だ」かなと思います。

例えば,ゴルゴ 13 と仲良くなりたいかといったらそうではないけど,誰かの暗殺を依頼したいならゴルゴ 13 だよね(現実でやらないでね)。シティーハンターとかも,冴羽獠という存在をよく知らんけど,着実に仕事をこなすから依頼をしたい,こういうのが信用貯金なんじゃないか,みたいな話です。

クレジットカードの与信もそうですよね。信用があるから枠が増える。
信用っていうのは,過去の支払い実績であったり現在の収入の信憑性であったり。

ファイナンスを受ける会社も似たような感じでしょう。信用という貯金が貯まっているからというよりかは,今までの売上などの実績をもとに VC から投資や融資を受けるわけですから。

でもこれって信用貯金ではなく,実績から成り立ってるただの信用ですよね。実績は実績なので減るなんていう概念はないはずです。

もちろん,支払い滞納があれば,それは信用が下がるということはありえますが,それも未払いと支払い滞納というマイナスの実績(というか事実)から成り立っているものです。

ゆえに,実績ありきの信用であって,友好的であるかとか会話しやすく仕事を進めやすいみたいな感情的な部分を切り分けて考えるべきだと思っています。

そういう意味で信用貯金なんて言葉はまやかしだと私は思っています。

信用は作るべし

あくまで信用貯金という概念に懐疑的と思っているだけであって,信用を作らないべきかという議論とはまた別です。

信用は作るべき,つまり実績は積み重ねて行くべきです。実績がなければ評価もできないので。

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