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それでも、これが私らしさなのかもしれない

こちらの続きを。

どっちつかずな大学生活。

私は背伸びに背伸びを重ねいくつもの学生団体に所属して、たくさんの時間をそこで過ごしました。自分たちの「これやってみたら、面白そう」を仲間と形にする過程で辛さも楽しさもたくさん経験しました。普通に大学の中に留まって過ごしていたら出会えないような仲間、大人と出会うことができました。

“他の人とは違う特別な大学生活を送りたい“という入学当初の思い。何だかんだ他の人よりはほんの少しだけ、特別な経験や特別な出会いを得ることができたのかなと思っています。

一方で、
2年生からはキャンパスに通えるようになり、ゼミの仲間と「大学生らしさ」をたくさん経験しました。毎週ゼミがある日は朝まで遊んで、次の日講義に出られないのはいつものお決まり。ゼミ生と連携して講義に出てないのに出席カードだけを認証したり課題は共有が当たり前になってきたり、、

大学の駐車場に群がって皆で大笑いしたあの夜も、真夜中に急な思いつきで行った山から見た夜景も、朝日が昇ってきた頃のすき家も入学当初の私が考える大学生活には登場するはずのないものでした。

どっちが本当の自分か分からない。
どっちでいる自分が好きなのかも分からない。
私は優秀さでも大学生らしさでも全く1番にはなれないし、どこを切り取っても中途半端でした。

でも、これが私なのかもしれない。

私の大学生活は“どっちつかず”だったけど、“いいとこ取り”だったなとも思います。

たしかに自分の“やりたい”や“なりたい”を明確に持っていて、それに向かって一直線に努力できたらまた違う大学生活になっていたと思います。でも、私は目指す先が明確ではありませんでした。

どっちつかずだったけど、どちらの経験も私にとっては未知の連続でした。その中で少しずつだけれど、自分の“やりたい”を探している途中です。

正当化しすぎではないかとも思うけれど、私のこんな大学生活も、コンプレックスと戦い続けた大学生活も振り返ってみたら何だか愛おしく思えます。

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