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白隠禅師坐禅和讃

九條です。

まだ風邪の余韻が残っています。今夜も早めに寝ようと思います。^^;

以下にご紹介する詩文は、私が大学生時代に友達から教えてもらった和讃です。その子は禅宗(臨済宗)のお寺の息子さんでした。

この和讃の作者は白隠はくいんという江戸時代の臨済宗のお坊さんで、内容は坐禅を讃えたものです。

このなかにある「因果一如の門ひらけ」以下の句は、悟りの境地を説いたものだと言われています。

『白隠禅師坐禅和讃』

衆生本来仏なり
水と氷の如くにて
水を離れて氷なく
衆生のほかに仏なし

衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て
渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて
貧里に迷うに異ならず

六趣輪廻りくしゅりんねの因縁は
おのれが愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそえて
いつか生死しょうじを離るべき

摩訶衍まかえんの禅定は
賛嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜
念仏懺悔さんげ修行等
その品多き諸善行
皆このうちに帰するなり

一坐の功をなす人も
積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき
浄土即ち遠からず

かたじけなくも此ののり
ひとたび耳にふるる時
賛嘆随喜する人は
福をる事限りなし

いわんや自ら回向えこうして
じかに自性を証すれば
自性即ち無性にて
すでに戯論けろんを離れたり

因果一如の門ひらけ
無二無三の道直し
無相の相を相として
行くも帰るも余所よそならず

無念の念を念として
歌うも舞うものりの声
三昧無碍さんまいむげの空ひろく
四智円明しちえんみょうの月冴えん

此時このとき何をか求むべき
寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国
此身即ち仏なり

(『白隠禅師坐禅和讃』)


なかなか味わい深い和讃だと思います。^_^

©2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
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