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諦観 〜覚悟の生き方〜

九條です。

覚悟かくご」という言葉がありますね。「さとる」という意味の文字が2つ重なっています。

【覚る】
気付くこと。感じること。
「感覚的」な意味のさとり。表面的なさとり。

【悟る】
真理を見出すこと。迷いがなくなること。
「根本的」な意味のさとり。内面的なさとり。

どちらも仏教的な言葉です。「覚り悟る」で「覚悟」ですね。

江戸時代の禅宗(曹洞宗そうとうしゅう)の名僧である良寛禅師(1758〜1831年)は、親友の山田杜皐やまだとこう(良寛禅師よりも16歳年下)への見舞の書簡で、

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ、災難をのがるる妙法[※1]にて候。

(谷川敏朗 編『良寛の書簡集』恒文社 1988年 より)


と記しておられます。

自然に逆らうことはできない。運命に逆らうことはできない。自分の行いの結果とその報い(因果応報・自業自得)に逆らうことはできない。

いくら誤魔化しても、逃げ隠れしても、精一杯の抵抗をしてみても、嘘をついても、騙したりしてみても、何をしても全くの無駄である。七転八倒じたばたしても仕方がない。現実のありのままを、その全てを真正面から受け入れるしか救われる道はないのである。

私はそういう意味だと理解しています。まさしく諦観たいかん[※2]の生き方ですね。

生きていれば色々なことがありますが、私はこの良寛禅師のお手紙の言葉を想い出すと、随分と心が楽になります。

夜もだいぶ更けて参りました。日付が変わりました。今日も1日、皆さまにとって佳き日となりますように。^_^

【註】
1)妙法:(仏教用語)最も良い教え。最良の方法。
2)諦観:仏教では「たいかん」と読みます。悟りの境地からのものの見方という意味。

©2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
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