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【神話と私の想い出】東(あづま)の国の物語

九條です。

私が中学2年生のとき、同級生に「我妻わがつま」さんという女の子がいました。

当時、私は「変わった名字だな」と思っていましたが、とくに関東から東北にかけては、

「我妻(わがつま)」
「我妻(あがつま)」
「我妻(あづま/あずま)」
「吾妻(わがつま)」
「吾妻(あがつま)」
「吾妻(あづま/あずま)」

さんなどがおられて、それほど珍しい名字ではないようですね。


あづまはや!

さて、『古事記』を読んでいますと、以下のような話があります(この話は『古事記』のクライマックスのひとつでもあります)。

倭建命ヤマトタケルノミコト(『日本書紀』では日本武尊と表記)は、東征の折に(後の)駿河国と相模国との国境にあたる足柄峠あしがらのとうげにて荒れ狂う神の白鹿をヒル(ニンニク?)で成敗して、やっとの思いで長い旅路であった東征を終えます。その時に、かつて荒れ狂う走水はしりみずの海(現在の浦賀水道か?)を鎮めるために自らの身を海に投じて倭建命の命を守った妻の弟橘比売おとたちばなひめのことを想い出し、倭建命は東に向かって、

「あづまはや!」(ああ、我が妻よ!)

と叫びました。

この倭建命の「あづまはや!」の絶叫が、東国を「あづまの国」と呼ぶようになった由来だということです。

「あづまの国」とは、すなわち「私の妻の国」という意味ですね。

同級生だった我妻わがつまさんの名字も、もしかしたらこの『古事記』のヤマトタケルの伝承に由来しているのかも知れないなと思ったのは、私が大学生になって『古事記』を読んでからでした。

『古事記』の原文と読み下し

【原文】
自其入幸。悉言向荒夫琉蝦夷等。亦平二和山河荒神等。而還上幸時。到足柄之坂本。於食御粮處。其坂神化二白鹿而來立。
爾即以其咋遺之蒜片端。待打者。中其目。乃打殺也。
故登立其坂。三歎。詔云。阿豆麻波夜。故號其國。謂阿豆麻也。

【読み下しの一例】
それよりいでまして、ことごとに荒ぶる蝦夷えみしども言向ことたむけ、また山河さんがに荒ぶる神等かみどもして、かえのぼいでます時、足柄あしがら坂本さかもといたりて、御粮みかれいところの坂の神、白き鹿りてちき。

ここすなわちそののこしたまいしひる片端かたはちてち打ちたまえば、の目にあたりてすなわち打ち殺したまいき。

ゆえ、その坂に登り立ちて、たびなげかして「阿豆麻波夜あづまはや」とたまいき。ゆえくになづけて阿豆麻あづまう。

古代(といっても『古事記』が編纂されたのはヤマトタケルの時代ではなくて奈良時代ですが)の日本語の読み方は、風格があってリズミカルでステキだなと思います。


大和は国のまほろば
さてその後、倭建命はさらに伊吹山の神との戦いに挑んで身も心もボロボロになりながらも、生まれ育った懐かしい故郷の大和の国を目指して帰途につきます。そうして能煩野のぼの(現在の三重県亀山市か?)までたどり着いたところで「私はもうダメだ。大和の国に帰り着くまで命が持たない」と思い、望郷のうたを歌います。

『古事記』に記されている、倭建命が亡くなるときにうたったその有名な望郷の歌を最後にご紹介致します。

【原文】
夜麻登波  久爾能麻本呂婆  多多那豆久  阿袁加岐  夜麻碁母禮流  夜麻登志宇流波斯

【読み下し】
やまとは、国のまほろば。たたなづく、青垣、山こもれる。やまとし、うるはし。

【現代語訳】
やまとの国は、とても美しいところだ。青く重なり合った垣根のような山々。その懐に抱かれている国。ああ、やまとの国は、なんと美しい国なのだろうか。


その後、倭建命の魂は白鳥となって大空へ飛び立ちます。


©2022 九條正博(Masahiro Kujoh)