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生活をしているという実感がない

昨日の夜シャワーを浴び終わった後、カーテンレールのプラスチック製フックを一つ壊してしまった。いつものようにするする開いてくれなかったので、足拭きマットを直しながら片手でグッと強めに引っ張ってしまったから。カーテンが開くかわりに一番端のフックが割れて落ちてきた。

結局ホストマザーに謝って、スペアのフックか接着剤あるか聞いて、ないから明日新しいフック買ってくるねって言われて終わったんだけど。
ホストマザーに謝るまでの5分間くらい。一旦なんかすごいどうでもいいことのような気がしちゃったフェーズがあった。確か昨日お風呂ではずっと将来の進路のこと考えてたし、直近に提出しなきゃいけない課題も試験もたくさんあってなんか焦ってたし、このフックに対処するのめんどくさいなって思った。気づかなかったことにしようかな。でもホストマザーが気づいたら絶対誰か心当たりあるか聞くだろうからそうなったら私だっていうし、それなら聞かれるまで言わないのってすごく変だよな。

私は忙しくなると細かいことにすごーくルーズになる。部屋は散らかるしLINE未読無視するし遅刻連絡とか怠るし。やってみたいこと全部手出して私こんなにキャパあります!こんなに毎日充実してます!みたいな顔して、実際外面だけよくてほんとは色々ちゃんと回ってないことが多い。大学入ってからは特にそう。しかも大学入ってから外界刺激の多い生活に慣れちゃったせいで、何度か自覚するタイミングはあってもあれこれ手を出して刺激を求めるのがやめられない。

友達との待ち合わせに5分早く着ける人になりたい。お風呂のカーテンを優しく閉められる人になりたい。どれだけたくさんのことを成し遂げて効率よく過ごせるかばっかり考えてちゃだめだという自分への戒めである。

ちなみに私は一人暮らしをしてる女の子の友達の家に行くのが好きだ。なんなら一人暮らしをしてる女の子のことが全般的に好きだ。憧れがある。生活をしているという感じがある。自分は生活をしていないと思う。帰国したら家族に甘えすぎないようにしたい。私も生活がしたい。

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