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オーディション番組を生まれて初めて見た人の感想 / Girls Planet 999(ガルプラ)

8月から放送が始まったオーディション番組Girls Planet 999にめちゃくちゃハマっています。

今までなんとなくタイミングを逃してオーディション番組は見てこなかったのですが、人生初のオーディション番組をしかもリアタイで追えて、めちゃくちゃハマりました。

毎週金曜日は番組を見て、土曜から木曜はそれまでのステージ映像を見直す日々なので、毎日必ず何かしら見ています。
ステージ映像はもはや見なくても脳内で再生できるようになりました。

まあ言わばどハマりしているのですが、オーディション番組、ひいてはリアリティショー的なものを人生で初めて見た(恋愛リアリティショーとかも見たことなかった)ので、色々考えさせられるところがあり、一度こうして考えを整理してみることにしました。


1. これはMnetが私たちに見せてくる夢であり現実ではない

・ 編集が全てだ

リアリティショー初見の感想は、「編集が全てなんだなぁ」。

テレビ番組に限らずどんな媒体であっても、コンテンツに編集は必要不可欠で重要な仕事だ。もし編集なしでただ定点カメラで録画しただけのものをそのまま流したとしたら、何を見ているのかよくわからない番組になる。

膨大な撮影データから使えそうな部分を抜粋し、視聴者が理解しやすいように1人の出演者を時系列で追ったり、起承転結が見えやすいように要素を抜き出したり、番組として成立させるために編集がある。

カメラがどこを映すか、録画した映像のうちどこを使うか、どの部分を残し、どの部分を消すか、全ては編集者の意図によって操作される

オーディション番組では投票操作の有無がよく議論になるが、そもそも番組内で深く取り上げられた出演者はその分注目が集まるので得票数が増えやすく、番組に取り上げられない出演者は注目されないまま得票数が伸びない。

編集で全てが決まるのだ。


・ 出演者の「人格」も編集によって作られる

編集の存在に注目すると、私たちが見ているのはリアルな参加者99人の姿ではなく、番組が抜き出し、つなげ、キャラ付けした99人とでも言えるだろう。キャラ付けの程度に差はあれど、編集意図は常に存在する。

つまり、私たちはノンフィクションに近いフィクション(リアリティショーはリアルではない!)を見ているわけなのだが、その中で「性格が良い」「性格が良くない」みたいな感想を私たち視聴者が抱くのは大丈夫なのだろうか。

そもそも芸能人の性格に言及すること自体がオーディション番組に限らず微妙という考えもある。

私たちは普段接する友人や学校・会社の人とだって、「最初は苦手だと思っていたけど仲良くなった」的なことがよくあるわけで、人の性格は多面的なものだし、一概に「良い人」「悪い人」なんていない(もしそう感じるとしたらそれは良い悪いではなく、自分と合う合わないの話だと思う)ことはみんな分かっているだろう。

特にリアリティショーは、リアリティとの混同が起こりやすく危険だ。

ドラマや映画ならば、視聴者は悪役に嫌な感情を抱いてもその役を演じた俳優に対しては嫌な感情を抱かない。役と演者を切り離して考えられる。
しかし、リアリティショーは編集によって印象付けられたキャラであるという認識が薄いため、番組内での描かれ方が即座に出演者本人への印象となってしまう。


・ 番組は出演者をバッシングから守るべきである

ガルプラでは、「性格が悪い」という印象を視聴者から持たれ、アンチがついた参加者が既に複数いる。

Twitterでアンチツイートを見かけることも多々あるし、先日番組公式アカウントで行われたインスタライブでも、名指しで"◯◯, I hate you."というコメントが表示されて大変辛い気持ちになった。

全ては編集によって作られたフィクションである中で、視聴者が出演者の性格について否定的な印象を抱き、こうしてバッシングをしてしまうのは、出演者の人格のせいなんかではなく、編集・見せ方に責任を負う制作側のせいではないだろうか。

番組制作側は、出演者を良く見せることも悪く見せることも自由自在だ。

番組の取り上げ方次第で、編集次第で、人気を出させることも、バッシングを受けさせることもできてしまう。

私はこの点に関してはかなり強い意見を持っていて、人格面に対するネガティブな編集は一切なくすべきだと思う。

番組的に面白いから、悪役がいたほうがストーリーにメリハリがつくから、といってネガティブな編集をすることは、視聴者にバッシングを許容する行為だし、そうして視聴者からバッシングを受けた出演者は精神的にもキャリア的にも明確な悪影響を受けるはずだ。

番組には、むしろ出演者をバッシングから守る責任があるのではないだろうか?

全ては編集された虚構だと視聴者が自覚し、出演者へのバッシングを控えることも重要だが、番組制作側もバッシングが起こらないよう努めるべきではなかろうか。


2. 視聴者が投票権を持つことの意味

・ 確実に売れるグループを作るための合理的な手段

オーディション番組の特徴として、視聴者投票によってデビューメンバーが決まったり順位が決まったりする点がある。

アイドルファンの感情はいつだって主観なのに、ファンがアイドルに順位をつけて評価するなんて、ファンに自分は他人を客観的(笑)に評価する権利があると錯覚させる激ヤバジャッジメント助長制度ではと思ったのですが、まあこれはテストマーケティングというか、クラウドファンディングのアイドル版だと思えば手法としては割と納得が行きました。

デビューしたけど売れなかった、を避けるのも大事なので。


・ 政治における投票と何が違うか

ファンに投票権を与えるなんてまずいんじゃないか、と思ったのはなぜかというと、ジャッジカルチャーを助長すると思うから。

私たちは自分の主観を客観と履き違えて、他人の容姿や性格、言動に対して息をするようにジャッジを下し(賞賛も批判もどちらもジャッジである)、それを口にすることも躊躇わない。
アイドルにだって友達にだってそうだ。

出演者を視聴者が評価して投票するという番組の制度は、このジャッジカルチャーを助長するおそれがあると思う。

投票だって選挙と一緒じゃん!公平でいいじゃん!むしろ選挙だったら投票した方がいいんでしょ?って思うかもしれないけど、

政治における投票は、間接民主制の下自分たちを代表する人を選ぶ投票なので、自分自身も利害関係者。だから投票する権利も意見を言う権利も批判する権利ももちろんある。

じゃあアイドルは?ファンは消費者である以上の利害関係を一切持たない。
誰がデビューするか、選ぶ権利は私たちにあるのだろうか?
アイドルを評価する権利は私たちにあるのだろうか?


・ 生身の人間をコンテンツとして消費することへの自覚

いやいや消費者として商品に対してフィードバックを送り、ポジティブな意見もネガティブな意見も言い、フィードバックをもとに生産者は商品を改善し、よりウィンウィンな関係を目指す、と言うのは当たり前のことじゃないかという考えもあるかもしれない。

でも、アイドルが決定的に他のビジネスと違うのは、「商品」に当たるのが生身の人間であることだ。

身体的特徴など後天的には変えられない部分や、人格を否定するような意見は、いくら消費者といえども口にすべきでない。

オーディション番組に限らずアイドル好きとして、生身の人間をコンテンツとして消費している事実には常に自覚的でありたいと思う。


3. 国境を越え、「KPOPでつながる」という思想

・ 国際交流としての意義

Girls Planet 999の番組コンセプトとして、「KPOPでつながる」というイデオロギーが核にあることを感じる。

日本・中国・韓国から33名ずつが出演し、番組中でも日中韓1名ずつの3人組単位で行動する。

番組テーマソングであるO.O.Oにも「同じ瞬間 違う空間 同じ夢を見るあなたと私」という歌詞があり、異なる国、異なる環境で育ってきた参加者たちがKPOPデビューという同じ夢を見ることで繋がり、出会い、新たなものを生み出していくという番組コンセプトが表れている。

この点に関しては、賛同する部分が多い。

言葉の壁もバックグラウンドも異なる出演者たちが、なんとかコミュニケーションを取りながらお互いを理解し、チームワークを深めていくという経験は、出演者たちにとっても、視聴者にとっても、自分と異なる他者を理解し、受け入れ、協力することを教えてくれる

特に歴史認識や政治情勢をめぐっていまだに対立の絶えないこの3カ国だからこそ、こうした一つ一つの企画の持つ力は重要だと思う。
番組側も、国旗をモチーフに使わないこととか、色々気をつけているらしい。


・ 韓国語が話せないメンバーを天然キャラ化しすぎ問題

国際交流・異文化理解としてのこの番組の意義を強調した一方で、一つだけ気になることがある。

それは、韓国語が話せない出演者、特に番組内で目立つのは中国人メンバーだが、彼らの天然キャラ率が高すぎることだ。

中国語オンリーで話して他の出演者に通訳をしてもらっているメンバーもいるが、慣れない韓国語でなんとかコミュニケーションを取ろうとするメンバーが多い。

カタコトの外国語を話すと天然キャラっぽく見えるのはどの言語でもあるあるだと思うが、その結果天然キャラ、もっと言うと空気読めないキャラみたいに編集で扱われている中国人メンバーが多すぎる。

天然キャラ・空気読めないキャラみたいに扱うことはその出演者にマイナスな影響を与えるだけでなく、異文化理解という点でもかなり後ろ向きなことをしてしまっているように思える。

外国語の習得を頑張っているこの世の全ての人間に幸あれ!!!!!!
片言の外国語を話す人を無意識的に下に見るのやめて!!!!!!

(よくわかってなくてかわいい、とか、よくわかってない女の子かわいい、とか、おばかキャラかわいい、みたいなのももうそろそろ本当にやめた方がいいと思うっていうのはまた別の話になってくるけどそれもそう、、、)


今週もめちゃくちゃ良かった、、、


第7話、見てきました。

最高か、、、、、



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