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日々の積み重ね


最近の色々な悲しいニュースにとても心が揺らぐ。
みんな、生きている間どんなに感情を揺さぶられても、結局はみな死ぬ運命だし、
感情に揺さぶられて生きないようにしたいな、と思った。
疲れてしまうから。。本当に。


あまりふかく悲しんだりとかせずに、そういう意味では無感情みたいな感じで、ただ淡々と生きる、生活する、というのが、なんか今の理想かも、と思った帰り道。



生きる意味があるから生きるとか、自分に価値や魅力があるから生きるとかじゃなくて、
生まれたから生きる、っていう、
いわば野生の動物的な生き方というか…
ああいう生き方がしたいなと思う。

それが最終目標ではないけど、まずそれができるようになってから考えたい。というか、それが結構大事な気がする。
(どこから見た大事なのか、何と比べて大事なのか、ということはよくわからないが…)




最近、悲しいニュースに関して赤の他人(知らない人)のツイートや意見?などを見てて、みんなやっぱり悲しんでいて。
それで例えばその人のアカウントのページに飛ぶと、その前後は普通の生活のことをツイートしていて。
そういうふうに、日々生活を重ねて、今も生き続けている人というのは、その生き方を見ているこちらがなんかホッとするというか、それ故にその生き方に憧れるというか。
生きる、が前提となっている人生が、というか。

いつものように、生活、日々を重ねていくこと。
それって普通のようで結構すごいことというか、
なんだか人間味があるなぁと思うんだよね。


✴︎この間、断片的なものの社会学という本を読んで、その時はほ〜という感じだったんだけど、
今、こういうことを考えているとじわじわくるというか、あの本の筆者の方の社会の見方が少し自分にうつっているなぁと感じるというか。
全く知らない人のTwitterとかブログを覗く楽しさ、というのは筆者の方が言っていたのだけど、すごいわかるかも。

社会学って面白い、と思った本。それをああいう感じの文でつたえられるのはすごいとおもった。




日々、自分の生活を積み重ねていく。
それになんの意味があるのかと聞かれると難しいのだけど、それを重ねることは無意味ではないのだろうということはなんとなく思う。
その日々のおかげで得られる、感じられる幸せがやっぱりあるし、もしないにしても、無意味であるとは言い切れないのではないかなと思う。


かと言ってそういう風に思える環境にあるかというのもあるし、本当に無理な時は無理だろうし、
自分で調整できる範囲で調整しつつ、
日々、変わらないように見える日常を重ねてみる、というのが、今のわたしの目標、と考えたよる。



🥬とても主観的なことを考えながら書いているから、
曖昧で意味わからないこともあるかもしれません

労働はつかれる!!!

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