「今何もできそうにない…」エネルギー枯渇時、私はこう戦う

突然ですが、

みなさんは、

疲れ果てて何もできないときから、

ギリギリなにかをできる状態で、

やれることって把握出来てますか?


今日は、再起不能寸前まで消耗してしまったときに検証して見つけた、

個人的に有益だった、

すごく気持ちを楽にする過ごし方のお話です。


まず、私は、

布団から起き上がることさえ出来なくなるほど、消耗してしまいがちです。

この記事を書いている今この瞬間も、

私は布団の中です…

腕に力を入れて体を持ち上げることができません…


前はこんな事なかったんですけど、

2年前ぐらいから、

(あれ?体が後ろに持ってかれるような…)

(あ、どうしよう…目が開けられない…)

(え、声が出せない!!?)

こんな、日常生活になりました…

"あたりまえ"だったことが、
"あたりまえじゃなくなった"


当時はかなり動揺しましたし、

その脆さを受け入れ難く、

負けてなるものかー!!

なんて気合で乗り切ろうとか思い

奮闘してましたが、

頑張った後の落差があまりにも酷く、より苦しくなることに気づきました。

「これは、働き方、考え方を変えるしかない!」

と、検証を始め、今のスタイルに至りました。

そこで、最も消耗してしまい、体のどこも動かせない状態から、最初に動かせるようになる部分、感覚はどこかを探しました。

答えはすごく簡単で、普段から苦労せずに能力を発揮できるところ…

私の場合は、聴覚、でした。

昔から、耳は特に敏感で、人が聴こえない音も聴こえてしまう耳を持っています。

音に対する感受性がやや高すぎるのか、耳鳴りや地獄耳など、あまりよろしくないところもありますが、イントロクイズのようなタイプのゲームはかなり得意という、自他ともに認める長所があったりします。

ただし、先に述べたように、敏感すぎるため、すぐに圧倒されてしまいます

人の張り上げる声とか、扉のバタン!という音だとか、生活してたら、そこまで気にしてられないものにも、いちいち反応してしまいがち…なので、そういったものから離れるような過ごし方をしないと、消耗のもと、にもなります。

私にはいくつか、心が落ち着く音や声が存在します。

これを見つけられたことで、

私の生き方は大きく変わりました。

「聴覚メインの情報を取り入れて生きる」

これにより、

私は無気力で身動きがとれないときに、

最低限出来ることが、好きな音や声を聴いて動かせる場所が増えるまでやり過ごす必要がある、

ということを理解し、それを今後の生き方で大切にすることにしました。

…残念ながら、家族とは全然違う価値観です。

私は今、両親と同居中で、

両親は、部屋から出てこない私に対し

時々叱責してくるわけですが、

(私は、弱っているときは大きな声、音が苦手)

(私は、今、無理して起き上がれば、両親の叱責の声にダメージを受けて怯んでしまうから、動かないで、今自分が、無理なくできることをしよう…)

なかば開き直りのような気もします。

しかし、自分が体を起こして動き出せるまで、部屋に閉じこもります。

こんな感じで、

出来ることは消耗の度合いで変わってくるので、それに合わせて動くようにします。

動けないのは、

エネルギーが足りていない。

心の奥底では「動きたくない」の気持ちが存在している。


この気づきから、

そんなふうに考えるようになりました。

ならば、このエネルギー枯渇時、

なにから取り掛かることができるのか

どんな順番で元気を取り戻せるのかを分析して、

できる限り、

自分の意思に逆らわないように過ごそう!

そういった考えに至りました。

とはいえ、

これは、私が両親から支援を受けているからこそ許されるやり方…

なかなか人が出来る方法ではないかもしれないですが、
これならば動けなくてもやれる!というものを

見つけることは、

生き方を変える重要なヒントになり得るのではないか、なんて思ったりします。

まだ目に見える実績はない状態なのですが、

いずれ、この生き方であっても、

環境次第では生きていくことは出来るんだ!という実績を得れるようにしたいです。

そして、私が得た気づきを、世の中の「自分は弱くて、苦しい」と言う人へ届けることができれば、それってきっとすごく幸せなことなんだろうな、と思っています。


みなさんも、必要以上に動くより、自分の心が体が耐えられる方法で、生活をより豊かにしていってみませんか?

…もしかしたら、

他人に必要以上に左右されないでのびのびと生活できる未来が待ってるかもしれませんよ!


では、今回のまとめです。

動けないのには理由がある、ようです。
私の場合は、心の奥底が拒むことと、エネルギー不足から来ているような、そんな気がします…

動けるときには、動けます!ならば、動けないなりに、できることをやるといいのではないか、と思ってます。

ただ横になっているだけじゃなくて、そのときにやれることをやるようにしてます。目は覚めているので、そのときの自分が、刺激に耐えられる範囲で物事を進めるようにしてます。

そうして、小さなステップを積み重ねて、
少しずつ動けるタイミングを増やしていく。
私にとってはこれが現時点では合っているようです。

できないことだらけだけど、余裕ができたらやれるようになれるものもあるだろうと思うので、その時までは、出来ることを精一杯頑張ります。

私は数ヶ月前、全く動けなかったけど、
布団の中で、できることから少しずつしてたら、
布団からはい出せるようになりました。
(詳しくは、迷惑をかけずに死ねるなら〜を読んでみてください。)

そうして、できることをしてたら、できることは増えていくようです。
少しずつしか前に進めないけど、確実に前に進むために頑張ります。



このnoteでは、私の経験を通して、なんとなく掴んできた、自分の心をラクにする『好きを大切にする』生き方を、話しています。

ゆるゆると発信を続けていくので、読んでみようかな、と言う方は、よければ、フォローしてもらえたら嬉しいです。

そんなわけで、本日はここまでです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。


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