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「愛」がわからなくなった私が、本当の意味で「愛」を受け止められるようになるまでの話 【後編】


⚠︎こちらは【後編】となっています。【前編】はこの記事です。

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⚠︎今回の話は話の流れ上、少し生々しい部分が含まれます。
でも、そういった欲とか、切なさとか、持つことを避けてきた強すぎる感情に突き動かされまくった結果、体験したことです。
起こってしまったあれこれ、その全てが今の私に繋がっているので、そんな過去をつくってきた自分を否定しないよう、できる限り、ぼかさず、それでもライトに読んでもらえるように書いていきます。



ついに親から、「愛」を受け取れなくなった

自宅謹慎、父親から言い渡されたのは、自室の使用禁止。二十代の私が、両親と同室で眠ることを強要されることになった。

一晩は耐えた。でもそれが限界。
次の夜は嫌!って反発して、妥協してもらって同じ階の隣の部屋で寝ることをなんとか許してもらった。

でも、出来た反発は、ここまで。

自室を使って声活動はやっていたわけで、事実上、声活動の規制。端末だけは今回、辛うじて取り上げられるのは阻止をしたけど、時間になったら預けないといけないことになった。自由な時間はなくなったため、趣味の方はどうにもならなかった。

…と見せかけて、実は対策を打てるところは存在した。

ちょうど機種変をしたかったので、今の端末に変えた。この時、前の端末が返ってくるが、この端末はWi-Fi環境があれば、アプリに繋ぐことができる。我が家はWi-Fi環境があるので、サブとして、古い機種は隠し持つことができた。

今はいい時代で電話機能がなくても、外部と連絡がとれるアプリが山ほどある。同時にPocket WiFiも契約して(当時、それなりによい金額をもらう仕事をしていたので、その気があれば高額な買い物もできなくはなかった)さらに、PCの代わりになるかと思い、iPad Pro(当時の最新モデル)を思い切って買った。

両親は私より、電子機器の扱いに弱い。

電話を取り上げたら、通信環境は使えなくなると思っていたようなので、言葉は悪いが、その知識を利用させてもらった。

このあたりから、両親との知能ゲーム的なことを始めて、趣味活動をするためにあれこれ、策をこうじることになった。

部屋が使えないなら、宗教活動のときに車を使うタイミングで使うようにする。
部屋で眠れないのなら、端末を預けて、部屋掃除と言って、部屋に行き、サブ端末でその時間に友人たちとSkypeで相談をする。

趣味の友人たちは多少なりとも、趣味を目の敵にしてる両親のイメージが湧く人がいたため、快く相談に応じてくれた。

…そんな中、自宅謹慎に入ったその日、気持ちを切り替えるため、ひとり買い物に出かけたとき、出先でその時よく話をしていた、とある方に会話の流れで通話して、あれこれ吐き出しているうち、思わず電話口で泣いてしまった私がいた。

「…君は十分すぎるくらい頑張ったでしょ、もう頑張らなくていいよ」

限界まで擦り切れてた私の心を決壊させたのは、そんな言葉だった。


遅かれ早かれ潰れてしまう…そう教えてくれた年上の優しさ

この方とは、歌ってみたきっかけの繋がりの方だったが、実は、高校や大学時代に親とあった、ひと悶着のことをほとんど知らない方だった。

知らないからこそ、私は好き勝手にその人に話していた。…話しているうちに、どんどん苦しくなってきて、相手の優しい声を聴いていたら、いつの間にか、悩みを口からとめどなく吐き出してしまっていて、とうとう、堪えきれずに、何年かぶりに、声を上げて泣いてしまった。

この瞬間まで泣く印象は持たれてなかったと思うので、
おそらく、ビックリされて、事態を重く受け止められすぎたのかもしれない。

でも、その方は、「このままじゃ君は潰れてしまう」と言って、
家を出ることを考えてみてはどうか、と提案をしてきた。

…お金はそんなにないし、身体にトラブルを抱えた私を、
両親は家から出してくれるとは到底、思えなかった。

私は、この自宅謹慎で身体の自由以上に、心を縛られてしまっていた。

…籠の中の鳥は、自由を許してくれる、そんな環境に憧れ始めた。

なんとかして、その自由を手に入れて、心を取りもどさなきゃ…
そんな気持ちに駆られた。

物事を穏便にすませたいけど、両親と一緒に生活するのは、心が持たない。
…耐えきるなんて道を、選ぶことはできなかった。

だから私は、逃げ出すことを選んだ。

自分のために、私を大切にしてくれる人たちのために。

…私は親に対して持っていた特別な感情を、この一件であらかた捨てた。

もうへし折られすぎて、動けなくなる危機を感じて、
自分の幸せを優先する頭が出来上がっていた。

特に父に関しては、尊敬さえもできなくなっていた。

自分たちの保身ばかり考えて、私は意思を蔑ろにされたのだ。

私に意見を述べる権利はない、
義務が果たせていない私に、向けられた言葉は、
とてつもなく冷たいものだった。

…きっと「恨まない」私もこの事は何時まででも根に持ってしまう気がする。
…なんとか、嫌い、までで、留めておきたいのだが…難しいかもしれない。

孤独に耐えられなかった私は、孤独な私に壊される前に、両親ではなく、傷ついた私を受け止めようとしてくれた人たちから、差し伸べられた手を選んだ。

そのころには、私の中に、貪欲さも育っていき、
…心は両親から、完全に離れ、
私は私の責任でこの心を守らないといけないと、
ようやく、行動を起こすことができたのだった。


逃げ出してみたけど、上手くはいかない…現実は甘くない

逃げ出してみて、睡眠の質がぐっと上がった。
今までは途中覚醒が酷かったのだが、
引っ越したその日にはきちんと朝まで眠ることができた。

自分の心を育てなおす、ひとり暮らしが始まった。
両親に住んでるエリアだけは伝えていて、電話を入れて、会いに行くぐらいの距離感になんとか、持っていくことができた。

でも、一人の空間にはどうにも寂しさが伴って、
私は頻繁にネットの友人と繋がって、声を求めるようになった。

仕事はもう、休ませてもらった。
…家を出る前に、職場にも少し相談した。
やっぱり、家庭内のトラブルについて話したら、顔色変えられて、
普段、話さないでいることで、私の話は人に与える衝撃が大きすぎるのだな、
と実感した。

自分のことを話すことは、やっぱり、
しないでやれる方法を見つけていきたいな、と思うようになった。

でも、寂しさにはこの頃、勝てなかった。

家を出る助言をしてくれた人と、夏に一緒に過ごしたとき、私はその人の前で、全身の力が抜けて、だらんと身を預けることになった。完全に無意識で私は無抵抗になった。相手も少しびっくりしていた。

その場でぽつりと私が「ひとりぼっちは嫌…」と口にしたとき、
自分のことなのに、すごくハッとした。

ここで、私の中の私が酷く寂しがってたことを知った

ポロっとこぼれた、この言葉に、私の気持ちは全部現れていると思った。

ただ静かに抱きしめられて、心が無理をしないですむ場所…
腕の中にすっぽりと入る…その心地よさを知ってしまった以上…
もう、ひとり、にはなれそうになかった。

普通の「愛」って、期待に添えない、
足らない私さえも、受け止めてくれるものだったんだ…

それをこの時に身を持って知った。

ああ、最後に親に、抱きしめられたのっていつだったんだろ…
あ、国家試験の合格発表のときかな?親にとって、好ましい結果が生まれた時、
抱きしめられた…つまりは、私の望んだ「愛」はそんなタイミングにしか、生まれなかったのかな、と思うと、やはり悲しくなった。

ひとり暮らしをはじめて、心は確実に満たされたけど、
身体は、どうしても、ひとりでは、満たされないことが増えてしまった。

…知ってしまったら、こんな切なさを時に思い出して泣くようになるなんて、
こうなるまで、知らなかったんだ。

でも、やっぱり、距離とかには叶わなかったり、相手の状況次第では、
私はなにも出来なくて…

でも、欲のほうが膨らんでいく、その悲しさが、募っていくのも早かった…


私のリアルにはそういう相手はいなかった。
それに、リアルの友人には、負担をかけさせたくはなかった。
皆がそれぞれに大変なのを、私は知っていた。
…自分のことで一生懸命な人たちに、
私のような個人的なことをぶつける事はとても苦しくて…
自然なタイミングで会えてないなら、その時にはなにも伝えないようにした。

私は、「秘密」を持ちすぎる人間なのだと思う。
「秘密」を『悪いこと』と思う人が世の中には多すぎるけど、
あえて「秘密」にしていることがあることも、認めてほしかったりする。
だから、ぶっちゃけはするけど、詮索はしないでほしい
世の中的には、『ない』事実なのだから、本当は話すべきでないことを、
私はこの発信活動で山ほど書くことになる。
それは、「いつかの自分」に対してであって、
暴露をしたい、人の裏を見せたい、という意図では、けしてない。

だって、今何を思ったところで、これは全て「過去」のことであるから。
…その時の感情などは、『その時限り』のものだ。
だから、これを全て鵜呑みにされては、少々困ってしまう。
そうなってしまう原因がどこかにはあった、確かなことはそれだけなので、
どうか、そんな風に感じてしまう私もいた、ぐらいに捉えてもらえると嬉しい。


⚠︎ここからは、あまりに個人的な独白が続くのでご注意いただきたい。
   ((特定の人にあてて、書いてしまっている為))

読んでいただければ、私の厄介さは間違いなく伝わると思うので、
…勇気ある方はどうぞ。
























まっすぐすぎる想いが、揺らがない優しさと「愛」の強さを教えてくれた

実は、私の抱え込んだ心の寂しさを、知った上で、
満たされない、私の寂しさに、寄り添おうとしてくれた人がいた。

訳あって、その人とのことは、ごく一部以外には伏せてきた。
大切にしたい「秘密」である。どうか、
相手もそう思っててもらえたら嬉しいな、と思う。
接点は、好きなことがきっかけだが、
私たちはあまりに違いすぎるから、…あまり公言はしたくない。
でも忘れたくない、とても素敵な思い出がたくさんあるから、
伝えたいこともあるから…書かせて欲しい。

私は何度も、この人に満たされない心を救われてきた。

今まで、誰にも受け止めてもらえなかった私の厄介さや、面倒くささも、
意見の違い、置かれた境遇の違いにぶつかりながら、それでも時間をかけて、
ゆっくりと私の気持ちを受け止めようとしてくれた。

私が脆弱すぎて伝えられない想いを、精一杯紡いだ、言葉から、その声色から、
溢れだした感情から、感じとって、尊重してくれた。

どうもできない…辛いな、と思いながらも、
私がある程度、落ち着くまで、
最後まで逃げずに向き合い続けてくれた。

私が落ち着いてきたら、きちんと後で辛かったことも、話してくれたっけ…

自分の弱さを自覚している誠実な人なんだな、って、
このあたりでもう、ただのネットの友達とは、思えなくなった。

これほどまでに、私と真摯に向き合ってくれたのは、
親とはまた違う「愛」を抱いてくれていたからだと、後々知った。

そのきっかけになったのは、あまりにも強すぎる感情に暴走してしまった、
私のヤワなところを、意図せず知られてしまったからだと思っているけど…
(それで少なからず相手を傷つけてしまっている…)
そんなタイミングじゃないと、私はただの女の子、にはなれそうもなかった。

そして、
そんな、ただの女の子になれる場所が、私には必要だった。

そんな私を受け止めたい、そうも言ってくれた。ただただ嬉しかった。

私はその与えられ続けた「愛」に、私なりに誠実に向き合いたいな、
と思うようになった。

時間がかかった。途方もない時間…その時間はまだ、続いてるのだろうか…
カウントが有効なのだとしたら、本当に待たせすぎている…

こんなに成果に結び付かなくても、本当の「愛」ならば待てるものなのか…?

と不思議に、思ったりする。

その時間を、私自身、不誠実にしか見えないやり方でしか、消化していくことしかできなかった。

何度も悔やんだ。だけど、私が未来で誠実でいれるようにするには、
私にはこんなやり方しか、思いつかなかった。

…ただ、死ぬことだけは全力で避けてきたはずだ…
それは私の経験から貫きたかったポリシーだった。

それだけは、どうか理解するのは、
生きてきた環境が違いすぎて難しいだろうけど、
できれば、認めてほしいなって思う…

大切だからこそ、糠喜びさせたくなくて、かといって失望もさせたくなくて、
…あんな手段しかとれなかった。
本当に勇気を何度も砕き、その度、深く傷つけてきたんだろうと思う。
脆弱すぎて、本当に申し訳ない…

このnoteの発信だって、
ある意味、未来でもう一度、誠実に向き合う…
そのための手段のひとつだったのだ。

…私のことは、今までまったくって言っていいほど、語ってこなかったもんね。

いつか、私はあの頃、音声にできなかった想いをこのnoteを見せることで伝えたいって思っていた。それが時間を経て、ようやく覚悟が決まり、こんな形で表現することになった。

私が私のままで、自分のことを伝えられるように。
真偽は私にしかわからないものだけど、
でも脆弱すぎて、口から吐き出すことは現時点では困難なので、
こんな回りくどいやり方になってしまった。
…こんな気持ち、はたして受け止めてもらえるんだろうか?

…話がだいぶ、それてしまった。

ただ、
ここで得た「愛」があまりにもあたたかくて、
手放しがたいものになったのは事実だ。

私は、「好き」という言葉で1日が終われる幸せを知ってしまった。

たとえ、縁がもう、切れていたとしても、
私は忘れることなんかできないし、ましてや恨むことなんて、絶対にできない。

私は「愛」をくれた人の自由を私なりに愛したい。

「愛」をくれた人が幸せと思えるならば、
私はそれを、同じように喜べる私でありたいと思う。



「愛」の形はさまざまだけど、それは「優しい」ものであると気づけた

「愛」は、私が気づけなかっただけで、世界には「愛」が溢れてた。
…この世界は、頑張る人には案外、優しいものだったのだ。

私は、それを、これから人に伝えていければと思う。
私が縁した人たちは、それを、私との関わりから、感じ取れているだろうか…

だとしたら、私はこの上なく、幸せだ。


この小さな祈りさえも「愛」だと認められるようになった。

私の中には「愛」が溢れるほどあった。

それをくれたのは親であり、縁した全ての人であり、
私にたくさんのことを教えてくれた「愛」ある人の存在があってのことだった。

だから、私は願う。

私と縁した人、そうでない人、
私の好きな人、嫌いな人、
私を好きな人、嫌いな人、
そのどれにもあたらない人でさえも、
それなりに幸せと思える日々が、これからも続いていくように。

今の私が直接誰かにできることは少ないけど、
想う「愛」だけは、誰にも邪魔されない。

それを、私はできる範囲で届け続けたい。




「愛」に気づけたことで、私は確かに、
毎日、それなりに幸せだと思いながら、生きれるようになった。

そう思える人をこの発信活動で増やすことが、わたしの小さな野望だ。

ちょっとおこがましいけど、想うだけなら、
誰にも迷惑はかけないはずだから、
認められてほしいな、と常々、思っている。

愛を、受け止めていいと思わせてくれた関わりに、最大の感謝を。
出会ってくれてありがとう。出会わせてくれてありがとう。


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普段『好きを大切にする生き方』というテーマでnoteの発信をしています。

また、Radiotalkで「ゆるcafeれでぃお」という番組の中で音声での発信活動をしていますので、よければこちらも聴いてみてください。
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声による発信は、文章よりも熱を持ったものになっているかと思います。

現在、テキスト更新と同じように声活動を大切にしてます。
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本日はここまでです。

とてもボリュームのある記事でしたが、

読んでいただきありがとうございました。

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