『原作脚色論争』における完全なる外野からのアレやコレ

はじめに

 この記事は、昨今白熱している『原作が存在するものに対し、脚本家が過度に手を加えるのはいかがなものなのか』という議論に対して全くの外野であるただの映画好きが思ったことを書き殴ったものである。
 故に、職業を経て得た経験からなる主張や正確性なんてものはなく、ただただ一観客としての所感程度の裏打ちしかない。明らかに間違ったことを言っていたとしても、どうか強くキレないでコメントなどである程度の数のソースを以って教えてほしい。この記事を書き直すことはしないが、以降の人生においてそういう考え方もあるのだと頭に置きながら生きることをここに誓おう。
 最後に、ここから先の文章は内容を面白くするためにやや誇張したり、少々過激な言い回しを使うかもしれない。もし、あなたが脚本家や何らかの原作者で、自身の立つ側に対してそういった表現を使われるのを見ると著しく不快になったり、強い言葉で批判して吊るし上げたり、あるいは精神的不快感による訴訟を考えることが選択肢にあるならば、今すぐこのページを閉じて他の事柄に取り掛かったほうがいい。ついでにSNS、特に双方向性のあるものは今すぐ辞めたほうがいいし、エゴサーチも控えたほうがいいだろう。インターネットは有能だが、万能ではないからだ。
 
 ……ここまで丁寧に説明すれば、以降の記事を読んで耳真っ赤にしてTwitterで長文反論して取り巻き味方に叩いたり、先行ブロックして講釈垂れたり、まさかとは思うが訴訟してくるようなのはいないだろう。バカじゃあるまいし。

『原作のあるものに手を加える』ことについて

 一映画好きの意見として結論から言ってしまうと、面白ければそれで。というところが正直なところである。そもそもこの議論の発端が原作いじくりまわして品質を大きく下げた挙句、原作者直々にテコ入れした結果被害者仕草で暴れまわり、最悪な展開を引き起こしてしまったからである。原作ありきでも面白い脚本が書けないのに、自身を悲劇のヒロインとした大立ち回りは書けるんだから大したもんである。

 話がちょっとズレた。「面白ければそれで。」とは言ったが、もちろん"面白いこと"が前提の話なのは言うまでもない。そもそも起案の段階で売れている、あるいは面白い作品だからそうした話が持ち上がった訳であって、この時点で原作側の品質は保証されたものと言っていいだろう。
 ……というか、そうだと仮定しないとこの後の話が進まないからだ。もし原作が箸にも棒にも掛からない平々凡々ボボンボンな出来だとして、それを元に脚本家が「私ならこれをいじってより面白い作品にすることが出来る」などと思っているならば高慢ちきもいいところである。だったらお前が最初から書け。

 またしても話がズレた。つまり、既に一定の評価ラインがある以上ここからどう評価が変化するかは脚本にかかっている、ということになる。しかし悲しいかな、仮に成功しても手柄は原作のもの、失敗すれば脚本のせいとなってしまうのが世の流れである。
 それもそのはず、なぜなら評価の基準として原作があるからだ。そして好意的に評価するのは原作未読者が大半であり、欠点を浮き彫りにするのは原作に慣れ親しんだ者である。原作という偉大なる先人がいる以上、「見たことないから面白い」「知っているからこそここが気になって面白くない」となるのは仕方のないことである。

 例を挙げよう。半沢直樹、アレはなかなかにヒットを飛ばした作品だった。まぁ後に役者のほうまでトぶとは思わなかったが、なんにせよそれなり……いや、かなりの評価は得ていたはずだ。おそらく大体の人が見ていたことだろう。
 では、あなたはあのドラマが原作からどこがどう脚色されていたか知っているだろうか。ちなみに私は全く知らなかった。だって原作読んでないし、なんなら2期放送まで半沢ブームに乗り遅れていた側だったからだ。なんか土下座するやつくらいの認識だった。後になって原作では大和田はそんな出ないし、立ち位置の違うキャラクターもいるし、黒崎はキンタマを握ったりしないことを知った。でもオネェキャラではあるらしい、なんでだよ。
 などとまぁ、原作とは違う点が多々ありながらも半沢直樹のドラマは大ヒットを記録したワケである。理由は簡単、面白かったからだ。面白かったから幾多の改変も良いものとして受け入れられ、取り分け目立った批判は無かった(あるいは、週刊誌が騒ぎ立てたが目も当てられなかった)のである。
 
 で、その対となる失敗のほうは……挙げるまでもないだろう。おそらくそう少なくない作品が醜悪な改変を施され、多くの原作ファンや未読ながらドラマに期待を持っていた人々を灰燼に帰したのだろう。何がアレだと一つ一つ槍玉に上げるのは難しいが、中でも特段に悪化させているのは「恋愛描写の介入」だろう。あれは酷い。なんなら世のメディア化失敗理由の八割方をこれが占めているといっても過言じゃないだろう。
 別に恋愛描写が必ずしも悪であるとは言わないし、私がそういうジャンルを好んで見ていないだけで、もしかしたらそのエッセンスを加えて成功した作品もあるのかもしれない。だが、これまで見てきたものはすべからく陳腐で、安易で、恋愛バブルの皮算用も甚だしく、過去のトレンディ需要のエサ皿を未だに小汚しく嘗め回しているような、醜い負け犬の遠吠えにもならないノイズだ。自分ではカレーを作らないくせに、なんでもカレー味にすれば美味しくなると思っているのと一緒。バカの発想である。
 この点は日本に限らず世界的に言えることだが、恋愛要素を混ぜ込めばその手の需要が上がると思い込んでいるならば今すぐに止めたほうがいいと思っている。カレーが食いたきゃカレー屋に行くんだよこっちは。
 
 とどのつまり、面白くないから悪いのだ。救いようのないシメだが、事実なんだからしょうがない。

『じゃあ原作そのままならいいの?』というワケでもなくて

 となるとまぁ、「じゃあ最初からノータッチでやればいいんですね!」などと開き直られるとそうでもなくて、そのまま他メディアに起こされてもそれはそれで問題だったりする。
 仮にまぁ……今回の発端でもあるので漫画を元に考えるとしよう。
 まず前提として、尺が違う。ドラマだアニメだは基本的に1クール、つまり12ないし13、多くて14話くらいで構成される。この時点でまず原作を丸々か、あるいはキリのいいとこで切らねばならない。そしてそのあと話を分割し、それぞれを繋がりを持たせながら一話一話をある程度一つの話として体裁を整えねばならない。この時点でそうした方面に造詣のある人ならば、漫画の最初のページから始めて最後のページで終わり、これを12個作ってはい、おしまい……とはならないことがなんとなくわかるだろう。
 そうなれば話の密度の均等化を図るために順序を変えたり、原作にない描写を増やしたり、多少設定をいじって辻褄を合わせたりするのはまぁむべなるかな、といったところである。
 
 原作そのままがいいなら行き着く先は紙芝居や朗読劇になるし、じゃあそもそも原作読めばいいよね、という話になってしまう。こうなると本末転倒というか、読み物とメディア化を引き合わすのが間違いだった、となりかねない。それはなんというか……文化としての大きな損失だろう。どちらが秀でているかというのがないからこそ、双方の良さがわかるというに、誰かが我欲を出して優れようとしたがために本来しなくていい争いをしている訳だ。文化的紛争だ、こんなもの。

氏曰く、『オリジナル作品が出来ないから仕方なく脚本をやってる』らしい。

 ばか はずれです……
 
 としか思わないわな。需要もなきゃ面白くもねぇホンしか書けねぇのが悪いんだろ。紙とエンピツ買うとこからやり直せバカ。
 ……とか原作者側に立つ人は誰も言わないんだから偉いよな。同じように書きたいものが書けなかったり、表に出なかった経験があるから思っても言わないんだろう。えらいねぇ……僕は面と向かってこんなこと言われたら言っちゃうね、そんな経験がないから。
 
 それなのにそんなこと言っちゃう脚本家がいるってもんだから驚きである。情けないのう……とはいったが多分コミカライズを多くやってる漫画家の中にもいるな、同じこと言ってるやつが。おお、お僻み様じゃ。銭こさ供えて鎮まり願え。
 第一、さも今日日原作ありきばかりでオリジナル作品なんてほとんど見ないかのような口ぶりだったが、流石は物書き先生毎晩お眼を酷使してご苦労様です。眼科行ってこいマヌケとしか思わなかった。きっと新聞を読むのも一苦労なのだろう。
 
 とはいえ、オリジナル作品となると話題になりにくいというのもまた事実。ビッグネームでも出ていなければゴールデン付近には出られず、流れる枠はだいたい深夜帯か地方テレビ枠、ヒットしてやっと日の目が見られて、凡作以下は罵られもせず闇の底。なんならドラマの主演がブレイクするのまでがセットになるまである。
 確かに、このハードルを考えると「ウケるオリジナル作品を作る」ことの難しさを察するに余りある。楽じゃあない。ましてオリジナルの作品は蹴っといて実写のお鉢なんて回されようものならそら軽く荒れるのもわかる。まぁ、それで自分の手柄にしようとする根性してるからオリジナルの企画も通らねぇんだろうけど。

そんなこんなと、これからと。

 とりあえず思いついたことは書き殴れたので、ここいらで満足とする。
 しかしなんだ、形態はどうあれ創作で飯食ってるんだから、多少なり相手の気持ちを汲み取れるもんだと思っていたんだがな。別に人格者を期待していた訳ではないが、残念でしかない。
 ちなみにこの記事、数日に分けて……というか書いたり書かなかったり書き直したりして今に至るのだが、悲劇の舞台では今もなお笑えない三流芝居が続いている。もうキレイには終わらず、グズグズになって終わるのだろう。

 よくもまあ、こんな酷い脚本を書けたもんである。