『や』る気がないのではない、そもそもないのだ。〜無気力の話〜

 基本的にやる気がない。惰性で起き、列の流れに身を任せ、寄越された仕事を手順通りにこなし、鉛のような身体を引きずって帰路に着く。食のテイをギリギリ保った食事をし、虚ろな目でシャワーを浴び、起きているのか寝ているのかわからないまま朝を迎える。基本、これを繰り返す。
 やる気がない、というとさもやる気があることがあるかのような口ぶりになるが、そもそもやる気というパラメータ自体が存在しない。使命感や責務もない。ただただなんとなく、だらりと動いている。もはや生きているという気分すらない。風に吹かれるレジ袋が空を舞うような、そんな他所まかせの営みで今に至っている。

 そんなものだから休日ともなればてんで動かなくなる。時間の過ごし方がもったいないだのと言われようと動けないものは動けない。寝るでもなく、かといって起きることもなく、ただただ天井を見たり、布団と床の地平線を見ながら日が暮れる。「ああ、今日は動けない日だったな。」としかもはや思うこともなく、生き物として順当に欠け始めているのを感じる。

 ひとえに、やる気があるというのは素晴らしい。目標があり、そのための手段も理解し、行動に移す気力がある。これだけでも成さずして褒めるに値する。目標がわかれど何から始めていいかわからず、何を始めるにもどう動けばいいかわからず、挙げ句動く気すらわからなくなった側からすれば何もかもが羨ましい。やってるだけ偉い、とはこのことである。

 『やる気がある』というスタートラインに立ってないどころか、まだ家の布団にゴロリと寝っ転がることしか出来ない。まずは靴を履くところから……いや、玄関を探すところから始めなければいけないのかもしれない。